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>イザベラ・バード(Isabella Bird)『朝鮮紀行』WiKipedia
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>釜山の印象
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>日本探索を終えてから、日本経由で釜山に上陸したバードは、高台にある外国人居留地の周りの杉林が1592年からの文禄・慶長の役の際に日本の豊臣秀吉軍による植林によるものと記し、また釜山の旧市街が同じく文禄・慶長の役の占領の際に、日本人によって手がけられたと記している(「砦はとても古いものの、中の市街は三世紀前の構想に沿って日本人の手によって近代化されている」[1])。 -
>イザベラ・バード(Isabella Bird)『朝鮮紀行』WiKipedia
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>朝鮮の町並みとソウルの悪臭
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>バードは本書の中で、ソウル、条約港、幹線道路の周辺のはげ山は非常に目につき、儒教の影響で国内で見下されている手工業は不振で美術工芸は何もなく、国土の有様に関しても不幸な未来を抱かせると述べている。朝鮮半島南部の大部分は、墓地理由を除き皆無であったと記している。1894年の訪問時のソウルに関して、道は牛がすれ違えないほど細く迷路のようであり、家から出た汚物によって悪臭が酷く、北京を見るまで「ソウルこそこの世で一番不潔な町」だとし、「紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどいにおいだ」「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に形容しがたい」と記している[3]。また、人工の道や橋も少なく、「あっても夏には土埃が厚くて、冬にはぬかるみ、ならしてない場合はでこぼこの地面と、突き出た岩の上をわだちが通っている。道といっても獣や人間の通行でどうやら識別可能な程度についた通路に過ぎない」、小川というか下水というか水路について、「蓋のない広い水路を暗くよどんだ水が、かつては砂利だった川底に堆積した排泄物やごみの間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく」と記している[4]。1660年~1864年の間に死亡者が多数発生した疫病は79回あるとして、このうち一回で10万人以上が死亡した場合は6回もあったと不衛生さを述べている。また、ソウルには芸術品はまったくなく、古代の遺跡もわずかで、公園もなければ、まれな例外を除けば見るべきイベントも劇場もなく、旧跡も図書館も文献もなく、宗教におよそ無関心であったため寺院もなく、迷信が影響力をもつため墓地もない、と驚いた。孔子廟と碑を除くと公認の寺院がひとつもなく、城内に僧侶が入ると死刑に処せられかねないため、清や日本ならどんなみすぼらしい町にでもある堂々とした宗教建築物の与える迫力がソウルにはないとしている[5]。
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>イザベラ・バード(Isabella Bird)『朝鮮紀行』WiKipedia
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>イザベルは国王が事実上朝鮮政府そのものになっていて、憲法がなく議会も存在しないのである以上、国王の公布した勅令以外に法律はないことにある。朝鮮半島の朝鮮人が豊かになるためには2つの条件が不可欠であるとして 、「朝鮮にはその内部からみずからを改革する能力がないので、外部から改革されねばならない」、「(王制を残すなら)国王の権限は厳重かつ恒常的な憲法上の抑制を受けねばならない」と結論づけている[10]。残虐だった刑罰について、日本の影響下に入った後は拷問は廃止されたし、切断された首や胴体をさらしたり、笞打ちや身体のそぎ切りで死にいたらしめるような刑罰も禁止された[11]。 -
>イザベラ・バード(Isabella Bird)『朝鮮紀行』WiKipedia
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>朝鮮の農業・畜産業
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>バードによると日本人の細かなところにも目のいく几帳面さや清国人の手の込んだ倹約ぶりに比べると、朝鮮人の農業は無駄が多くてしまりがないと述べている[12]。朝鮮では牛の喉を切り開いた切り口に栓をしてしおいてから手斧を取り、牛の尻を死ぬまでなぐる。一時間ほどかかる作業中に、牛は意識を失うまで恐怖と苦痛にあうが、この手法が使われる理由は、わずか少量の出血しか起こらないために血液がそのまま残り、その結果重量が減らないので売り手には得だからである[13]。 -
>イザベラ・バード(Isabella Bird)『朝鮮紀行』WiKipedia
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>李氏朝鮮における宗教
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>バードによると朝鮮の都市には寺院や聖職者の姿がない。家々には神棚がなく、 村祭りには神輿もなければ、偶像を運ぶ行列もなく、婚礼や葬儀では聖職者が祝福をしたり冥福を祈ったりすることがない。朝鮮の仏教は日本の大きな仏教改革派の特色である正義を求める崇高な目的や向上心は何も見られないとして、朝鮮の修行僧たちはひどく無学で迷信深く、 自ら信仰している宗教の歴史や教義についてほとんど何も知らなかったと記している。 -
>イザベラ・バード(Isabella Bird)『朝鮮紀行』WiKipedia
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>李氏朝鮮の両班・官僚・刑罰・民族性
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>朝鮮には実質階級が盗む側と盗まれる側の2つであり、両班から登用された官僚階級は公認の吸血鬼であり、人口の5分の4をゆうに占める非貴族は文字通り「下の人間」で、吸血鬼に血を提供することがその存在理由となっていた。宗主国中国の影響のもとに、朝鮮の両班たちは貴族社会の全体的風潮である搾取と暴政をこれまで事実上ほしいままにしてきた[15]。
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>朝鮮の官僚については、日本の発展に興味を持つ者も少数はいたものの、多くの者は搾取や不正利得ができなくなるという私利私欲のために改革に反対していたとし、堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したが、それは困難きわまりなかったと述べている。
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身分制度に関して、両班は究極に無能であり、その従者たちは金を払わず住民を脅して鶏や卵を奪っているとしている。両班は公認の吸血鬼であり、ソウルには「盗む側」と「盗まれる側」の二つの身分しかないと述べている。 貯金をしていると近所の人に告げ口されようものなら、官僚がそれを貸せと言ってきて、貸せば元金も利子も返済されず、貸すのを断れば罪をでっちあげられて投獄され、本人あるいは身内が要求金額を用意しないかぎり笞で打たれる[20]。「朝鮮にいたとき、わたしは朝鮮人というのはくずのような民族でその状態は望みなしと考えていた」
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>イザベラ・バード(Isabella Bird)『朝鮮紀行』WiKipedia
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女性の中では、出産した女性のみが許される胸を出した格好(乳出しチョゴリ)こそ一人前扱いされた。
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>朝鮮の非貴族女性について、「粗野で礼儀を知らず、日本の同じ階層の女性のしとやかさや清国の農婦の節度や親切心からはおよそ程遠い 」として、着ている白い服は茶色く汚れていて、夜遅くまで休みなく洗濯するのは自分たちでも、綺麗な服を着るのは男の専売特許と考えているみたいだとしている。名誉殺人があり、故意と偶然に関わらず、よその男と手が触れ合っただけでも、娘は父親、妻は夫に殺され、更には自害する女性すらいた。
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https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%B4%80%E8%A1%8C
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>『朝鮮紀行』(ちょうせんきこう、Korea and Her Neighbours)はイザベラ・バードが1894年(明治27年)から1897年(明治30年)にかけて、4度にわたり最末期の李氏朝鮮(朝鮮王朝)を訪れた旅行の記録。当時の朝鮮の風俗、社会、政治情勢などを知ることのできる歴史的資料である。