• 32セクハラ人民裁判に邁進する反米・極左
    2022/12/17(土) 16:38:14 ID:zCFJWRvA0
    >Dは、素手では血で手が汚れると考え、ビニール袋で拳を覆い、ガムテープでこれを留めた上、拳で少女の腹部や肩などを力任せに数十回殴りつけ、Aらもこれに倣って拳をビニール袋で包み、次々に少女の顔、腹部、太ももなどを拳で殴りつけて足蹴りするなどし、更に、Aが鉄球を含む総重量約1.74kgのキックボクシング練習器の鉄製脚部を持ち出し、その鉄球部分でゴルフスイングの要領で少女の太もも等を力任せに多数回にわたり殴りつけ、Bらもこれに倣って代わる代わる少女の太ももなどをその鉄球で数十回殴打し、Dは肩の高さから鉄球を少女の腹部めがけて2、3回落下させた[判決 4]。Aは繰り返し揮発性油を少女の太ももなどに注ぎ、ライターで火を点けるなどしたが、少女は最初は手で火を消そうとする仕草をしたものの、やがてほとんど反応を示すこともなくなり、ぐったりとして横たわったままになった[判決 4]。
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    >これらの一連の暴行を当日の午前8時頃から10時頃まで、約2時間にわたって休みなく続けた結果、少女は重篤な傷害により、1月4日午後10時ごろまでの間に死亡した[判決 4]。
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    >少女の遺体を毛布で包み、大型の旅行かばんに入れてガムテープを巻きつけた。次に、Aはかつての仕事先からトラックを借り出して、セメントを貰い受けて、近くの建材店から砂やブロックを盗み出した。そして、トラックで少女の遺体と、付近で取ってきたごみ入れ用のドラム缶をC宅前に運び、そこでコンクリートを練り上げた。そして、少女の遺体の入ったかばんをドラム缶の中に入れ、コンクリートをドラム缶の中に流し込み、更にブロックや煉瓦を入れて固定し、ドラム缶に黒色ビニール製ごみ袋を被せてガムテープで密閉した[判決 4]。そして、1月5日午後8時頃、A・B・Cの3人はトラックでドラム缶を運び[判決 4]、東京都江東区若洲の埋め立て地に遺棄したのである。
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    >1988年12月初め頃、Cが少女を自宅に監禁していた時、Cの父親(日本共産党員)は、Cの部屋で奇声が聞こえたので注意しようと2階に上がった[13]。Cの父親は「うるさいぞ」と注意して部屋に入ろうとしたが中に入れてもらえず、その際に女性の声がしたため「女の子が遊びに来ている」と思ったという[13]。
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    >12月末のある日には被害者少女とみられる女性が2階にいることを知ったため[13]、両親(日本共産党員)は少女にドアの外から「食事をあげるから出てきなさい」と説得して1階のリビングに降りて来させ[11]、一緒に和室で夕食を摂り、その際に「家に帰りなさい」と注意したという[11]。夕食にはCと仲間の少年も同席していたが、少女はほとんど話をしなかったという[10]。両親(日本共産党員)はその後「女の子が1人だけ一階に残った隙に『帰りなさい』と声を掛け、玄関から送り出した」が、Cが間もなく逃走を知って追いかけ、連れ戻していた[11]。Cらが両親(日本共産党員)から注意を受けたのはこの1度きりで[14]、少年らから常に激しい暴行を受けていたため、怯えきっていた少女はその後、逃げ出したり助けを求めるそぶりさえできなかったとみられる[11]。
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