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​できるということや。『こそくな心』ということは、ささいなことに腹を立ったり、不足をしたり、いつになってもきれめなく、御連れ通りのきょうの日や。さすれば皆さんこれからは、共に手をとりむつまじく、世界のみにあらためて、どっちからでもふんばりて、道の次第もよくわかり、天のみ心もよくわかり、台の心もよく知って、本部の人々の心もよく味わい、一家族の人々の心もめい〜よく悟り、親戚縁者の人々の心も、ひとりひとりよく味わい、それからそれいいと道つけて、感謝の日暮らしいいたしましょう。こうして暮らしてもらうことが、こそくな心のない人と思う。そこでめいめいお互が、陽気に暮らせることになると思う。
​世の中によくある、殺人、強盗、窃盗、さぎ、横領というようなことも、もとはといえばこそくな心から生じて、五尺の体のおきどころのないような道を歩んだら、人にけいべつされてしまうし、ささいな道を歩くために、
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​いろ〜な悪風をたてられて、世目をせまく渡らにゃならんことにもなるし、お互様に、「言うはやすし、行いがたし」で、まことに困ったものでございますねい。お互様に、日夜心して日暮らしをさしていただきましたしょうねい、ということや。よくわかったでしょう。
​二七日 大戸辺之命様 おたがいは いつまたどこで あえるよな  三八七
          こころでいては ともにくらやみ 赤口 ☆ 一六二
                            五四九 🐅
​ということや、どういうことであるならば、天の御言葉の中に、『一家の家庭は、主従親子や兄弟の皆因縁の集まりである』と仰せくだされてありますが、いつも申し上げておるように、一家の家庭というものは、汽車の中の乗組員のようなもので、いつどこでどういう災難に出会って下車をする、というように、出直しになっても、いつまたどこで会えるというような心でいたの
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