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〓21世紀の日本で未だに東北の蝦夷(えみし)が流布する“悪しき東北史観”が蔓延している:

・曰く「日本人は単一民族だ」

・曰く「徳川家康公は無能な室町将軍が放置した戦国時代を終わらせ260年間の天下泰平を築いたヒーローだ」

・曰く「『東北の蝦夷(えみし)を率いて(大和民族の支持を集めた)持明院統と戦った北畠顕家の大覚寺統(南朝)が正統な皇統』と記した水戸黄門の『大日本史』こそ永久に受け継がれるべき正しい皇国史観だ」

・曰く「東北の蝦夷(えみし)を率いて(大和民族の支持を集めた)持明院統と戦った『神皇正統記』の著者 北畠親房の嫡男である北畠顕家の大覚寺統(南朝)こそ正統な皇統だ」



〓藤原摂関家の帰依する法相宗の徳一国師は、西暦817年~821年の『三一権実争論』において東北の蝦夷(えみし)を根っからの無法者(『無性』)と断じた。

〓にも拘わらず(大和民族の支持を集めた)持明院統との戦いに大覚寺統(南朝)の北畠顕家が東北の蝦夷(えみし)を動員した主な理由は、大和民族の多くの武士団が持明院統に付いてしまったためである。

〓大覚寺統(南朝)は護良親王(大塔宮)を征夷大将軍に、北畠顕家を鎮守府大将軍に任命するなど、藤原摂関家(近衛経忠)の助言に従い東北の蝦夷(えみし)を根っからの無法者と敵視していた。

〓その点では大覚寺統(南朝)も持明院統と何ら変わらなかった。

〓根っからの無法者(『無性』)と藤原摂関家の帰依する法相宗が敵視していた東北の蝦夷(えみし)を動員しなければならなくなった時点で、『鎮守府大将軍』、『征夷大将軍』としてのミッション(職務)を完全に放棄しており、北畠顕家は単なる賊軍、反乱軍に成り下がっていたというべきである。

〓ところが藤原摂関家を出し抜いて大覚寺統(南朝)を牛耳った北畠親房や北畠顕家は村上源氏なので三一権実争論における徳一国師の法相宗に無頓着であった。

〓その点は東北の蝦夷(えみし)が多く帰依する天台宗の坊主に丸め込まれた戊辰戦争時の旧徳川幕府軍も全く同様である。

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〓従って東北の蝦夷(えみし)が源義経を担いで源頼朝の平家追討に積極的に加勢したのとは状況が まるで異なるのである。

〓後三年の役(1083年~1087年)で勝者となったものの朝廷から私闘と看做された藤原清衡は、源八幡太郎義家の後ろ盾によって辛うじて奥州の覇者の地位を維持することができた。

〓根っからの無法者(『無性』)と藤原摂関家の帰依する法相宗が敵視する東北の蝦夷(えみし)が、こともあろうに“藤原氏”を名乗って奥州の覇者の地位に立つことを正真正銘の藤原摂関家が認めなかったのは当然と言えば当然だった。

〓要するに奥州の覇者たる藤原清衡の地位は朝廷(藤原摂関家)から公認されたものではなく、専ら『清和源氏の家来』として築かれた。

〓このような経緯から、源平合戦に際し、藤原秀衡は主君である清和源氏に加勢したと考えられる。

〓もっとも坂上田村麻呂以前から大和民族に対する反抗を繰り返す東北の蝦夷(えみし)の素行を熟知していた(法相宗に帰依する)藤原摂関家の助言により、勇猛ではあるが根っからの無法者である東北の蝦夷(えみし)を戦目付の梶原景時が厳しく監視していた。

〓だが困ったことに源義経が壇ノ浦で平家を壊滅させると、すっかり舞い上がって東北の蝦夷(えみし)を買い被った後白河法皇が源頼朝への征夷大将軍宣下を渋り、東北の蝦夷(えみし)を率いる源義経を重用しようとしたので、(法相宗に帰依する)藤原摂関家の後援を得た源頼朝が蝦夷(えみし)を討伐した(1189年)。

〓東北の蝦夷(えみし)の支配を蝦夷(『俘囚の上頭』)である(“藤原氏”を仮冒する)秀衡に任せることならば渋々ではあるが黙認もするが、大和民族の象徴である天皇の後ろ盾となる軍隊の主力を、法相宗の徳一国師によって根っからの無法者(『無性』)と断じられた東北の蝦夷(えみし)に委ねることは断じて認められないという藤原摂関家の判断が背景にあった。

〓源平合戦の時と異なり、鎮守府大将軍たる北畠顕家に東北の蝦夷(えみし)が付き従ったのは専ら大和民族に対する略奪や暴行を北畠顕家によって黙認されていたからだと推察される。

〓以下の『太平記』の記述が そのことを裏付けている。



>《元来無慚無愧の夷共なれば、路次の民屋を追捕し、神社仏閣を焼払ふ。総此勢の打過ける跡、塵を払て海道二三里が間には、在家の一宇も残らず草木の一本も無りけり。》
出典:『太平記19巻 追奥勢跡道々合戦事』



〓二・二六事件の後、憲兵隊(『統制派』)を率いて軍部を掌握した東北の蝦夷(えみし)である東条英機を、藤原摂関家の近衛文麿が陸軍大臣として入閣させ、東条英機の希望通り、狂人ヒットラーのナチ党と反米・極右軍事同盟を結んでしまった。

〓藤原摂関家の帰依する法相宗の徳一国師が伝えた「東北の蝦夷(えみし)は根っからの無法者(『無性』)」という渾身の“家訓”を軽んじた近衛文麿は東条英機によって破滅させられた。

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〓呆れたことに、日本の公式の皇統譜も未だに“悪しき東北史観”に汚染されており、歴代天皇の代数から、現皇室の直系尊属であり大和民族の支持を集めた持明院統の、所謂『北朝5代』が外された侭 放置されている。

〓徳一国師と最澄の『三一権実争論』(西暦817年~821年)から1,200年が経ち、徳一国師が指摘した『無性』(根っからの無法者)という東北の蝦夷(えみし)の本性は真実であることが明らかとなった。

〓この間 天台宗の坊主が必死に説法を行ったが、東北の蝦夷(えみし)供には全く効き目が無かった。

〓今後の東北政策:3つの選択肢。

1.東北の分離・独立:

根っからの無法者である蝦夷(えみし)の住する東北を大和民族の日本から完全に切り離し、再び東北の蝦夷(えみし)が日本の国政を壟断する事態を予防する。

2.東北において大和民族の“軍政”を施行:

嘗ての征夷大将軍による軍政を手本に、(説法によって善導することが困難な)東北の蝦夷(えみし)を大和民族の自衛隊による“軍政”下に置く。

3.米自治領プエルトリコの統治機構を手本に日米共同統治の自治領に移行:

【You】
米本土からプエルトリコに旅行、移住する際に、出入国や通関手続が必要か?

プエルトリコの住民は米本土と全く同じ米国籍を有しているのか?

プエルトリコの住民は米国議会に議員を送り込んでいるか?

プエルトリコの住民は米大統領選の選挙権を有しているか?

プエルトリコの代表は首相か総督か知事か?

プエルトリコの企業は米本土との取引で通関手続が必要か?

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>【ChatGPT】
>1. 米本土からプエルトリコへの旅行・移住の出入国や通関手続

>米本土とプエルトリコの間の移動は国内旅行とみなされるため、出入国審査は不要。

>ただし、プエルトリコは**関税特別地域(customs territory)**の扱いを受けるため、通関手続きは必要になる場合がある(特に商業物品の持ち込み・持ち出し)。

>2. プエルトリコの住民の国籍

>プエルトリコ住民は米国市民権を有している(1917年の「ジョーンズ法」により付与)。

>ただし、プエルトリコは**合衆国の未編入領域(unincorporated territory)**であるため、州とは異なる扱いを受ける。

>3. プエルトリコの米国議会への代表

>プエルトリコは**米下院に「住民代表(Resident Commissioner)」**を1名送っている。

>ただし、この代表には本会議での投票権がない(委員会での発言・投票権はある)。

>上院には代表を送る権利がない(州ではないため)。

>4. 米大統領選の選挙権

>プエルトリコ住民は米大統領選の投票権を持たない(州の選挙人団に含まれないため)。

>ただし、米本土に移住すれば大統領選で投票できる(同じ米国市民であるため)。

>5. プエルトリコの代表の呼称

>プエルトリコの最高行政官は**「知事(Governor)」**である。

>首相や総督ではない(ただし、スペイン統治時代には総督(Gobernador)と呼ばれた)。

>6. プエルトリコ企業の米本土との取引の通関手続

>プエルトリコは関税特別地域のため、米本土との間での通関手続きが必要。

>ただし、米国内扱いのため、輸入関税は発生しない(一定の規制や申告手続きはあり)。



〓法の支配や自由主義ブルジョア憲法との整合性を図る観点からは、根っからの無法者である蝦夷(えみし)の住する東北を、プエルトリコを手本に日米共同統治の自治領に移行することが最善の選択肢であるように思われる。

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