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幼少期、早熟で性的好奇心かなり強めだった自分。
好奇心や性欲の矛先は唯一身近な異性だった母親でした。
9歳で下着、10歳では女性器に興味を持ち、同時にチンコ弄りも覚えてしまいました。
母親のタンスを焦って持ち出しては自分の部屋でオナニー。
精通はまだだったけど、既に匂いフェチにもなっておりパンツを嗅いでは快楽に浸っていました。
たまに寝静まっている母親の部屋に侵入しては母の女性器を覗き見ることも。
(両親別々の部屋で、母は寝る時だけ、素っ裸の限定裸族。冬だけパジャマ)

11歳の頃は急にパタッと興味を失うことに。
12歳になってしばらくした頃、深夜にトイレで目覚めた時に偶然にも一人リビングでオナる母親を目撃。(当時、36歳)
いわゆる、ディルドを使用していてそれが気になった自分は後日タンスを漁って発見。
それからまた好奇心と性欲が戻った自分は、夜、寝静まっている母親の部屋へ。
小さな懐中電灯で照らしながらアレが入ってた場所をクパァ~しながら手探り確認。
初日は寝返りして確認がしづらくなったのでそれで退散。
それから2度3度と回数をこなしているうちに感覚が麻痺してきて、匂いを嗅ぎながらオナニーしたり、指入れしてマンコの味を確かめたりするように。
全くバレないので調子に乗ってしまった自分は指入れで弄ったりするうちにニチャニチャと卑猥な音が鳴って、同時にメス臭がムワッと漂うことに気付きました。
それで頭がクラクラしておかしくなった自分は、仰向けで寝てる母親の脚を掴んで強制位置替え。
足を広げさせ母に覆い被さるような恰好で恐る恐る仮性包茎の先っぽを母親の膣口へ。
ググッと押し込んだ拍子にチンコの皮がズルりと剥け、敏感な亀頭が初マンコに耐えれるわけもなく、何度かゆっくりピストンするうちにたまらず膣内射精。
癖になるスリルと想像を遥かに超えた快感に負け、翌日も翌々日も母を犯した。
(犯してるという感覚はなく、ただ好奇心と性欲を満たしてるだけっていう感覚)

さすがに何度か続けているうちに耐えかねた母から、
「ママで変なことするのやめなさい」って言われてバレてた恥ずかしさで母への行為は一切やめた。

でもね、手マンやクンニしてるとダラダラ愛液が垂れさせて感じまくってたのを知ってる。
息子のムスコでピストンされて中出しされてる最中、母のマンコがギュンギュン締まってたのは知ってる。

中2になると毎日のようにオナニーして部屋のゴミ箱ティッシュだらけで、たちこめる精子の臭いのせいでかメス化した母親が夜、一人で盛ってた自分を見るなり変な気を起こさないようにって月に2回、手コキやフェラでイカせてくれた。
そんな関係になったから気が緩んでマンコの匂い嗅ぎたいってぶっちゃけると、お尻を突き出したまま息子に嗅がれてるだけでダラダラ愛液垂らす母を見て、親子で変態だなって思った。
父が休日ゴルフに出かけた日は、貞操観念が完全に崩壊して我慢できなくなった母のほうからゴムを付けられ挿入。
母は今まで声を押し殺して我慢してたせいなのか、めちゃくちゃ喘ぎながら乱れまくった。
罪悪感?背徳感?なのか、こんなに興奮してセックスするの初めてって叫びながら大人の本気腰振り騎乗位で何度もイカせられ、大人の性欲の強さと淫らな母の姿に正直ひいた(苦笑)
安全日なんかは狂ったように生チンを求めてくるので、随分と夫婦の営みもなかったのかもしれません。

高校に進学してから彼女ができ、母親との関係もそれで自然消滅。
それから母はエロい下着を買い込んで若い男を漁るようになってしまいました。
47歳となった母は今でも喜んで男子大学生の肉便器と化してます。
禁断の近親相姦と、今も続く母の浮気と肉便器化は墓までもっていくつもりです。

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