世界心道教徒だけど質問ある?
そこでみなさん、お互い様は、いきふきわけ、ちえふんべつのりきちの守護を、たっぷりいただくのには、人をばかにする心をやめて、人を思いやる心を、親様月日様の、御心になって、また八方様のごくろうごかんなんを、よくさとって、いきふきわけ、ちえふんべつに心して、じあいをすてて、たあいのきと、きりついで暮らす心が第一と思う。そうした心で暮らしてゆけば、かしこねのみこと様の、御意志にいはんしないから、のうまくえんや、ばかは生まれてきませんから、ものをごまかす心も、やめて暮らしたほうがよいと思う。何かごまかしておっても、人間どうしはわからんが、天のほうでは、いつもごかんとくですから、ごまかした理によって
人をばかにしやがると、腹を立たす。これがみな、わが身にむくいてきて、一代ばかにをつれて通らにゃならんことになる。これがすなわち、「あほうのかがみにならんよう」と天からの、御言葉でございますよ。それから、世の中によくノイローゼだとか、せいしんぶんれつしょうだとか、いろいろにもうされておりますが、自分の思いが通らんと、人のめいわくになることを、一つもかんがえずに、まわりの人にくろうさす人がよくありますが、人間には、ばかもなければ、き⭕️ちがいもなければ、なんにもないのですよ。みな理からせめたてられて、くるしんでいるのですよ。これを世の中でよくいう、身から出たさびとでもいいましょうか、こまったものですね。お互い様に、一じがばんじ、くいあらためて。暮らさしてもらいましょう。身に病いはなくなりますでねい。
それから、たいしょくてんのみこと様の御意志にそうように、通らしてい
ただくのには、しとうのよくはよろしいなれど、ごうよく、とんよくが、ほこりとなるのでございますから、ごうよく、とんよくは、やめましょうねい。
どうせ人間は、食って通るだけであって、心のしせいを正しくみちびいてゆくにありと思います。このたいしょくてんのみこと様の御意志にそわんと、妊娠中でも、赤ちゃんがさかごになって、腹の中のびてしまったり、赤ちゃんがミイラになってしまったり、子宮外妊娠になってしまったり、つまらん心をつないでゆくと手術をせんでもよいのに、手術をしたり、腹を切ったり、よくで目が見えなくなったり、からだのきかいがしじゅうこしょうして、からだがよわくなったり、だるくなったり、にぎらんでもよいものをにぎると、からだがしびれたり、よくのために腹ばかり立っていると、目、鼻に、口に、耳に、頭にのどに、口中に、いつもこしょうがおきて、頭やみになって、皆欲のまちがいから、
四百四病が、かわるがわるにおきて、しんぞうべんまくしょうだのしんぞうひだいだの、何しろいっさいの不足をやめて、喜んで暮らす人になっていただきとうございます。あまり腹を立って、暮らしていると、かみの毛からまゆ毛から、まつ毛からみなぬけてしもうて、もうひとしきり腹をたつと、からだの中から血やら肉やらが、からだの皮をやぶって、がいかんへのうみが流れ出る。これが一名世上でいう、らい病とやらでくるしまなけれねばならんから、しょうしょうの腹立ちでもやめて暮らしてください。腹立ちの強い人が、とくとう病になったりひふ病になったりしますから、欲の心も、いいかげんにやめて、暮らさしていただきましょうね。それから、おおとのべのみこと様の御意志にそむくと、
田畑のみのりがわるく、不作となりますから、いっさい心してお暮らしくださいね。とにかく一家のかていで、あそこの家は、めが出たとか、めが出ないとかいうて暮らしているでしょう。みなこの神様の御意志にかなわんと、めはふきませんでねい。そこで、このにおいがけや、お助けや、心のかいりょうや、つくしや、はこびや、一生けんめいにやる人は、どんどんと一家のかていが、することなすことけっこうずくめになって、親様にも、月日様にも、八方様にも喜んでいただき、また人様からもうやまわれ、とうとばれ、あなた様のおかげでと人にかんしゃされて、日々けっこうずくめになって、ごくらくの世わたりをさしていただけるのでございますよ。そこで、われよかれのやり方ばかりして、日々へらず口をたたいているといつのまにやら月日がたって、日々につのり重ねたいんねんによって、中気にもなれば、のういっ血にもなれば、いろいろな病にとりつかれて、一代
くろうでおわらにゃならんことになりますから、日々心してお暮らしください。
いざなぎのみこと様と、いざなみのみこと様とは、いつも一家のかていの父母親様にいりこんで、自由用かなえていてくださるのでございますから、
「ぎみニそんのはじめだし、これまでなるは地ごしらえ」とおおせくだされてありますが、いつになってもきれめなく、御守りどうしのごくろうのほどさふかさをさとって暮らす人が、いつもごくらくの世わたりができるのでございますよ。天地のあいだの人々様のおかげ、おかげ大環(おおかん)わかりたら、何も不足をいうところはなくなりて、安心りつめいができますもよ。いつもかぐらや、手おどりや、すえではめずらし助けする。子供会のみなさまも、青年会のみなさまも、夏季大会におとずれて、年々きかせてもらって、教会や支部でも、きかせていただいて、日夜実行しておられると思いますが、御言葉をよく味わって、日々心にうちこんで、正気
づいた日ぐらしをさしてもらいましょうね。正気づいたひぐらしをさしてもらわんと、八社様や、岐美様「いざなぎ様といざなみ様のこと」や、父母様の御意志にかなわんと、ごくらくの世わたりはできませんでね。
きいて一つ、見て一つ、おこのうて一つ、あらわれて一つ、何が何でもどこもかしこも、自分の心にてらして、きょうは一日は、きょう一日は、と安心のできる世わたりをさしていただきましょうね。ういたりしずんだりの心が、じゅみょうの毒ですよ。「きりなしの、おかげ大環わかりたら、けっこうじゅうぶんこればかり、これが月日の教えやと、いうたにおいがきょうのできごと。一手一つにさしずどおりにはこぶなら、天地世界におそるものなし」と、おおせくだされて
ありますとおり、日夜心してお暮らしくださいませ。
自分の心が、人をばかに見える時は、自分の心がさがっているのですよ。それですからおれをばかにしやがる、と腹を立っている時が、人の話しをけとばしているのですから、その心をやめて、人をうやまう心と、きりかえて暮らしてゆけば、天からながめられて、「あの子はよい子だなあ」とおおせくだされて、いつも無事ぶなんに、おつれ通りくださるのでございますよ。そんとくなしの日暮らしのしかたが大切と思う。こうしてお互い様が、月日様の天くだりのしゅんに、人間と生まれてさしていただいているのは、よういならんしゅくせのごえんでございますよ。それですから、天の月日親神様の御言葉の中に、「この世へ出た人間というは、何ほどの理あるやわかりゃせんで」と、おおせくだされてありますが、まったくそのとおりと思います。人間というものは、身分すじょうをいうでなし、mなぜならば、みんな生まれた時は、はだかでこの世へ生まれさしてもろうて、親様月日様をはじめ、八方様のおかげ、父母様のごたんせいのおかげ、おかげおかげと喜んで暮らしてもらえばよいのであって、おれはびんぼうだからとか、あれがざいさん家だとか、いろいろな心をつかってやけくそおこして、つまらん人にならんよう、お互い様に、もちばたちばを大切にくらさしてもらうにありと思う。
車夫の話
親様が小さい時、ある人の話しをきかさせてもらった日がありましたが、どういう話しかと申しますと、みなさんが学校でならっておられる、かけざんも、九九がありますね。おとぎ話しのような話しですが、よういならん御言葉ですよ。よく味わってくださいね。それはね、こうゆう話しですよ、昔、人力車というものがあって、それを引くしゃふと、その人力車にのるお客さんと、話しあったのだそうでございますが、そのしゃふがお客さんにむかって、あなたはいつも車にのっておられますが、お年はいくつでございますかとたずねたそうな。そうすると、お客様は、おれは三十六才だ、車屋さんはいくつだねえと言われたそうな。わしも三十六ですと答えたそうな。そうすると、くるま屋さんが、お客様、あなたも三十六、わしも三十六、同じ三十六でありながらあせだくになってあなたをひかなけりゃならん、これはいったいどうゆうわけでしょうか、としゃふがお客さんにたずねたそうな。
そうすると、お客さんが、しょうしょうもじって、おまえさん四✖️九、三十六だから、ひく三十六だ。そうすると、どうなるのでしょうか、と車屋さんがお客さんにきいたところ、おれとおまえとは、けたがちがうから、いっしょにはならないなあ、といわれたそうな。そこで、きょうになってさとらしていただけば、前世のいんねんによって今の車屋さんは、お客さんであって、今のおきゃくさんが車屋であって、入れかわりになったまでやで、あまんじて、しょくむを喜んで通らしてもらえば、御言葉の中に、「つとめさえかわらんようになりたら、天のあたえにかわりない」ということが、はっきりとわかるでしょう。
それだから、みなともにたすけあいでしょう。楽をしている因縁で、車屋さんい、
に、賃金をはらわねばならんでしょう。ほねをおった因縁で、車屋さんはお客さんから賃金をもらうのでしょう。どちらがよいともわるいとも、きめられないでしょう。これですなわち、助けあいがよくわかるでしょう。
「そんとくなしやで、腹も立て、立てぬところがふかきやで、」と、おかぐら歌にも、おおせくだされてあるのでございますよ。「どんななかでも


初心者なので文章汚いと思います。
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