世界心道教徒だけど質問ある?
で一つ一つふしからめがでて、けっこうにならさしていただいておるのでございますよ。それですから、人間というものは、うんめいがよくなった時、ういたういたで暮らしていると、うんめいがわるくなると、なかなかうんめいがかいふくしてきませんから、よい時もわるい時も、おてんとう様が、東から西へ、西から東へ、というように、いつもあいかわらずの心で暮らさしていきさいすれば、うきしずみはないものとわれは知る。人間というものは、持ち場、立ち場を、「大切に思う心はもとへ出せ」とおおせくだされてありますとおり、しんこうしんねんがもとでだと思います。そこでみなさんは、一度より二度、二度より三度と、いろいろにきかせていただくたびごとに、天理の話しが、腹の中へうえこまれて、しんこうしんねんをうちこんでいくうちに、しんこうの人になりきって暮らさしてもらうこそ、しあわせと思います。
なにごとによらず、つまらんことを腹の中へ、ひっぱりこんで、相手をもとめてけんかをしていると、病の根もきれませんし、じじょうの根もきれませんから、いさめるようなけっこうなことは、ひっぱりこんでも、ようきのもとになりますから、よろしいなれど、ぐちやこごとやら腹立ちやら、すぎたることをごたごたと腹の中へ、ひっぱりこむと、ろくなことにはなりませんからね。よくよく味わってお暮らしくださいませ。
善悪の通算
それから昭和十七年のくれに、あまくだりをいただいて、よいことをしたことと、わるいことをしたこととつうさんして、わるいことが一つのこりました。それは、四十五、四十四、四十三というように、どんどんとさかのぼっていって、じんじょう三年、すなわち、十才の時のことでしたが、天から「お前は、これはを知っているか」と、ひいばあさんがもっておられたさいふを、天から見せられてびっくりいたしました。
そのさいふは、三十六年前に親様が十才のとき、新潟県におらしていただきましたときに、秋祭りがありまして、秋祭りのお祭りにゆくおこずかいがほしくてこまっておりましたが、おとうさんやおかあさんは、柏崎の町のほうにいっておられましたし、おばあさんは、おさんばあさんであったので、村におさんがあったので、とりあげにいっておられたし、お祭りにはゆきたいし、日はくれてくるし、はやくはやくと思いながら、わるいとしりつつ、おばあさんのさいふの中から、二銭どうかを一つもちだして、お祭りにいって佐藤という砂糖屋から、黒砂糖をかって、黒砂糖をかじりながら、お祭りからかえってきて、知らんかおしておりましたが、あとでおばあさんにみつかって、しらべられて、これからはわるいことはしませんからと、ゆるしてもらいましたが、そのころは、天におわびをするということは、一つもわかっていませんでした。
そして、四十五才まで、天におわびをすることは気がつきませんでした。
そして、いろいろとよいこととわるいこと、つうさんの時がきたので、天から「お前はこれを知っているか」といわれました時は、びっくりいたしました、わるいことはできないものだなあ、と思いました。
三十六年も前のことが、今ここで天からつうさんに出ようとは、なんとおそろしいものだなあと思いました。そうしてみると、どんなよいことをしたことでも、わるいことをしたことでも、ぜんあくとわずに、みな天のだいちょうに、しるしてあるのだなあと思いました。そのおばあさんのさいふは、せいむ皮のような、はば十センチぐらいの、高さ五センチぐらいの、黄色のさいふでございました。天からこれを知っているかとお出ましくだされたさいふと、
いっしょであったので、びっくりいたしました。
それから、「このつうさんをどうしてするか」と天よりおおせくだされたので、いろいろとかんがえましたが、つうさんするものがないので、くるしんだあげく、親様月日様、つみのおぎないに、この私の命をとってくださいともうしあげましたところ、「お前のからだは、神のやしろともらいうけたのだから、命をとることということはできん」とおおせくださいました。
そこで、どうしたらよいかわからなくなりましたので、どうしたならば、このつみのおぎないをさしていただけるのでございますかと、おうかがいいたしましたところ、「お前は二銭だまをさいふの中から出して、くろざとうをかってたべたのだから、二世の世のたてかえに、くろうをいとわず、このくろうのさとをたすけると、いうのならゆるしおこう(ゆるしてやろう)」とおおせくださいましたので、ほっといたしまして、これからもなおいっそう心して、この世のあらんかぎり、このたましいのあらんかぎり、この肉体のあらんかぎり、天の月日親神様のおともをさしていただきとうございます。そしてしっかりと、てんゆうをいただきつつ、天地間の作物、そうもくちゅうちくるい、ぎゅうば人間というように、生あるものを一人もれなく、おん助けたまえと、天にちかいましたところ、天もお喜びになって、八方様もお喜びになって、八方様もお喜びになって、「いつの時でも手をうつところなくばならんで」とおおせくだされて、日夜場所も、所も、所もかまわずに、天におすがりをして、みなさんに助かっていただいておるのでございますよ。それですから、人間というものは、よいこともしているが、わるいこともなかなかたくさんあるようでございますね。それですから、「お互い様は、日々心しても
お暮らしください」といつも言わしていただいておるのでございますから、みなさんも、心しても
お暮らしくださいね。
これから子供会のたびにごとに、榊舞い(さかきまい)やら、むほんばらいや、神楽舞いやらを、つとめさしていただくのですが、榊舞いのぶんめんやら、御神楽のぶんめんやらを、よくあじわって、心しずかに、心してかぐらまいをつとめていただきとうございます。しゃばのおどりとはちがいますから、よくぶんめんを味わっておつとめください。世上の歌でも、みな理ぜめになっていますから、何ごとによらず、まじめに学びながら、けんきゅうしながら、味わいながら、実行して、かぞくそろって、えがおでお暮らしください、えがおで暮らさないで、「腹の中で人をにくんでいると、がんめん神経痛(しんけいつう)」「ならんことをむりにのぞんでいると、盲腸(もうちょう)なって、くるしまねばなりませんよ」「さきあんじが肺炎(はいえん)」「日々に、うるさいうるさい、口やかましい、いやになってしまうというて、ふそくをいったり、人にふそくをさしたりしている人が、ぜんそくとなったり」「きこえてもきこえないふりをしていると、しまいにはつ⭕️んぼ」になったり。「みないでもよいことをみて、しょらをやいて、やっきになっていると、そこひやら、トラホームやら、いろいろな目の病い」「人がよってたかって話しをしているすがたを見て、ねたんだり、そねんだりしていると、蓄のう症やら、はなたけやらで、はなの病い」をわずらいますよ。「くやしがってはぎしりかんで暮らしていると、しそうのうろうのように、はぐきの病いにかかって、はぐきからちをふいたり、はぐきの骨がくさったりして、こまらにゃなりませんから、こうした心ずかいをやめて、お暮らしくださいませ」わかったでしょう。「こうしてくれん、ああしてくれんと、ふそくをしていると、手の病い」「おわし(お金?)ぶそくをしていると、足の病い」「全身で心がねじれていると、全身にかいせんができて、なんぎをしなくてはなりませんから、ぶつぶついうことをやめて暮らしてくださいね」わかったでしょう。
御かぐら舞てほどき世界心道教
一下り
一ッ、天のつきひのおやさまが二十六さいそのときに
二ッ、てんからみちびきくだされてそれからそれいとみちとおし
三ッ、てんからみおとしなきようにおんつれとおりのありがたさ
四ッ、みめぐみふかきみおやさまはるかはなれしこのちじょうへ
五ッ、
天からじかにあまくだり四十一さいそのときに
六ッニはしらさまのあまくだり四十五さいのそのときに
七ッ八しやのみおやのあまくだりそこでつとめのできるように
八ッみちあけなされてくだされて五十九さいそのときに
九ッふしんにかかれとおこえありみなさまがたとだんじして
四十一ねんしょうがつにふしんのかかりとなりまして
二下り
一ッげんばのふしんのきょうのひやそこでみなさんおたがいの
二ッこころのふしんをいたしましょうげんばのふしんとりのふしん
三ッこころのあゆみとおたがいがげんばのふしんのこのあゆみ
四ッさそくうそくというようにみなさんがたあとてをつなぎ
五ッよろずのもとのねをほらすちからあるならほりきりて
六ッみよとてんからおおせやがどこのどこまでこのねえの
七ッほりかたおしえていただいてまつだいたすかるみちしるべ
八ッかんなんくろうのみおやさまはつぽうさまもそのごとく
九ッおやのくろうでこがひかるそんとくなしやでみなのもの
たがいたがいにたすかりてみなもろともにほがらかに


初心者なので文章汚いと思います。
誰でも歓迎します。誹謗中傷やご指摘どしどしどうぞ。