世界心道教徒だけど質問ある?
り、前生の因縁の深い者ほど因縁はたしがきれないと、生まれながらにし
てごく悪因縁を積む人もあれば、前生のごく悪因縁をはたすために、一生懸
命にいそいで、あっちこっちと因縁切りに歩く。この因縁切りに歩く人が家
を外にして、家族の者から見れば悪いことばかりしているように見えますが
『親子となるは深き因縁』とも仰せくだされてありますとおり、『一家族と
いうものは、同じ因縁を寄せて守護してある』とも仰せくだされてあります
から、お筆先の中に、『この世は、りいでせめたる世界なり、なにかよろづ
は、歌のりでせめる(家々の言葉の理)』とありますし、『せめるとて、手出しするではないほ
(家々でろんのすえ、事情がおきてくるということや)
どに、口でもいわん筆先のせめ』とありますとおり、これから先もなお一層
この世の中の善悪の見分け心にして、理から因縁を自覚して暮らすにありと
思う。そこで日夜心して、心のじじょうをふみならしてかよい道(本部のこと)という。そ
してよろず助けていただきましょうねい、ということや。わかったでしょう
六日 大食天之命様(おたがいに のむ物きるもの はなすものよろづたすかる ことであるから 友引) ☆
八四三
六二七 一九五
ということは、のむというたら現場では、水とか、お茶とか、ジュースとか、昆布茶とか、かき氷とかアイスクリームとか、いろ〜飲むものはあるでしょう。
そこで一家の家庭というものは、皆親子、兄弟、夫婦、孫、しゅうと、しゅうとめ、小じゅうとというように、みず知らずの他人はいないでしょう。これが【みず】それだから家族の者の話しを共に語り合って、だめにするようなことでは、お茶を飲んでいて理のわからん人、お互様に喜んで日暮らしをさせてもらうが【昆布茶】。【かき氷】とは、家々でへだて心を使って、あの子はこの子は、あのおやじは、この案内は、あのしゅうと、あのしゅうとめ、あの小じゅうとは、この子供は、この孫は、この嫁は、というてお互
に、にらみ合って冷たい心の持ち主という言葉の理が、かき氷という。
お互様に愛しあって、喜びあって、一つの苦労も共にさしていただいてわになって暮らしていただくということが【アイスクリーム】という。そこで、何事によらずゆずりあって暮らしてゆくという、何事によらずすべてじゅんずるという心、これすなわち【ジュース】という。
着る物という着る物はもめん、お互にめんめんが気をもまんようにする理で、【きもめん】を着ている理、いろ〜な着物もたくさんあるでしょう。いち〜言うたらきりのないことでございますが、【かすり】というたら、天からいろ〜な物を貸し与えてくだされて、人間からは借り物で、理というものをわからしてもらって、各自の家庭が軒を並べている姿が、かすりの理の姿。【しま柄】は、天から天降りの理の姿。
【横段】は、皆様方が家庭をもって一列に暮らしている理の姿。
鶴の柄でも、きっこうでも、着せていただいておっても、理がわからなかったら着ている価値はありませんでねい。
世の中でよく言う「鶴は千年、亀は万年」というていれどもこの心、悟りがのうては何もわかりませんねい。心の改良に専念して暮らしてもらえばいつまでもいつまでも万ごう末代御連れ通りくださる、という理の姿。
【きっこう】の姿は、手足をつっつ付けば引っ込め、頭をつっつ付けば、引っ込めして、へだてのない心をさして、べっこの取り扱いをせぬという心がまえが、天から見られて万ごう末代見落としはないから、低い優しいすなおな心の持ち主になって、はい〜で暮らしてゆけよ、との御心の理の姿。
【山】の姿は、高い心になると、めったに人が寄りつかなくなる、という理の姿。
【波の柄】は、心に波うつなよ。静かな心で平らに進めよと【川】の姿。
【花の柄】でもそのごとく、姿ながめてよく悟るにありと思う。
お互様に話すものということは、声のかけようで自分の心にぴったりとはまるような返事が、先方からいただけるのでございますが、こちらの声のかけ方が違っている時は、腹立たしい喜べない言葉を返してくれますから、声のかけようも日々研究して、日々お暮らしくさい、ということや。こういうことも、日々に心して暮らさしていだくけば万事助かる、ということや。心のかての一つですから心して日々お暮らしください、ということや。わかったでしょう。
七日 大戸辺之命様(かちまけの しょうぶごとおは やめにせよ りからそんする ことになりては 先負) ☆
九五四
七三八 二一六
いかんから、天から人間へ御注意くださるのであって、人間が勝負事をやっていると、損をするようなことになってはだめでしょう。そこで親様の二
十年の道中に、いろ〜勝負事で損をしたことを、見たり聞いたりして
おりましたが、勝負事をして損をすると、前に損をした元金を取り返そうと
思って、だん〜と深みにはいって行って、しまいには家を抵当に入れたり
地所を売ったりして、皆損をして目をさまさずに、家内の生活費を腕力で家
家の者を泣かして勝負事に持っていく。また中には家庭内のいろ〜な道具
を持ち出して売り払って勝負事に使っている人も、中にはたくさんあるよう
に思いますが、とにかく家々に何んにもないようになって娘を売りとばした
り、男の子はあいそをつかして家に寄りつかなくなったり、家内はおやじに
離婚をせまって出ていってしまう。一家の家庭がどどのつまりは、破壊して
しまうようなことにもなる。
また家内や子供と一家むつまじく暮らしていればよいものを、二号三号と
持ち歩いて家内の方には仕送りをしなくなって、二号三号の方で暮らしてい
るうちに、にっちもさっちもいかなくなって、みすぼらしい姿をして一号の
ところへもどってくる。家内や子供にさげしめられて、自殺をとげる人もあ
る。これ皆勝負事のようなものなれば、天の御言葉の中に、『万里の道も一
歩から』と仰せくだされてありますとおり、ふみ出しのかゝりが大事ですか
ら、一家の家庭で不平不満を共に語り合って、不平不満のないようにして暮
らしてゆけば、二号、三号も、もたないですむし、勝負事もしないですむよ
うになりますから、一家族が和合して、豊かな道を通らしてもらうよう心し
てお暮らしください。
さすれば理から結構になりますし、勝負事や、二号、三号をもって家庭を外
にすると、軌道からはずれた脱線者になりますから、家々の者から理から排
せきされるようなことになりますから、しっかりと心してお暮らしください
ということや。わかったでしょう。
八日 岐 様 おやこでも りというものが なかだちや りからなかよく くらすことなら 仏滅 ☆
一六五
八四九 三二七
ということは、皆さんここのところはよく聞きわけてくださいねい。この道はうらはらの道とゆうて、前生親子であれば、親が先に死んで子供の子供(孫)にな って生まれてきて、前生の姿そのままに現わすものであって、これを理が仲立ちという事ですよ。それだから女の子であれば、男親と非常に仲良く暮らす者もあり。また男の子であって母親と仲良く暮らすもありで、そこでせがれが嫁をもらって、親とせがれが仲がよすぎて、嫁をお手伝いさんのようにむやみやたらとき使って、親とせがれが嫁を目下に見下してどなる、ふてる、たたく、親子で夫婦気取りで、嫁さんは日々まご〜おど〜して暮らしている家庭も、たくさんあるようでございますねい。
また嫁さんとむこさんが、はたの見る目もうらやましいくらい、仲良くと
おる若夫婦、その姿を見て、嫁を見て、父親がやきもきするもあり、養子を迎えてしゅうとめがやきもきするもあり、また孫としゅうと、しゅうとめが仲良く暮らすもあり、嫁が子供をざんこくに扱うもあり、子供が親をざんこくに扱うもあり、何しろ前生の姿そのままに今世現わしているのだから、ようするにしゅうとめが嫁をひどいめにあわしていると、今度はしゅうとめが孫になって現われてきて、その孫が嫁にひどいめにあっている。これが理が仲立ちであるから、前生の因縁と自覚して、嫁が子供を愛していくのが理が仲立ち、ということや。それから子供もこの道を聞かしていただいて、「前生このおれがこのおっかさんをひどいめにあわしたから、今世ひどいめにあわされるのだから、理が仲立ちだから、たたくおかあさんを自分が悪かったから、今たたかれているのだ」と、喜んで母親に感謝して暮らさしていただくという心がけが大切と思う。これで理の仲立ちと、うらはらの道ということがよくわかったでしょう。一つ聞いたらいっさいが、かたきをとって
うとことがよくわかったでしょう。一つ聞いたら一さいが、かたきをとって
とられて暮らしていく世の中の理の姿というものですよ。そこでお互が因縁
を自覚して仲良く暮らすにありと思う。よくわかったでしょう。
九日 美様(おたがいに いっちだんけつ たいせつや
ともにたすかる みちをもために 先勝) ☆
二七六
九五一 四三八
皆さんは、本部に運んでおりながら、教会の信徒なら教会に協力するが理
の当然でしょう。それにもかかわらず一致団結力を忘れてしまって、十年も
前に本部から出張した先生の口車にのって、自分のつごうのよいことを言わ
れて、その気になって同じようなグループをこしらえて、教会から脱線して
かってな行動をとっていた人が、今から店をたたんで暮らさにゃならんよう
なはめに落ち入ったり、【腎臓結石】を煩ったり、【尿道結石】になったり、
または【胃潰瘍】になったり、または【腰抜け】になったり、あるじが病気


初心者なので文章汚いと思います。
誰でも歓迎します。誹謗中傷やご指摘どしどしどうぞ。