世界心道教徒だけど質問ある?
お互様は、親様月日様、八方様の御利益で、皆様方の協力で万ごう末代助けていたゞく、なくてはならん本部と、なくてはならん十社様と、皆様方と三つ一つになって、世上助けにまい進していただいて、皆めいく〜が心のそうじにいそしんで、暮らすことが大切と思う。
この道の信仰にはいらしてもらって、一つの教会や支部を持たしていただいて、教会長や支部長や、分講長や、責任役員や、委員や、教師になるまでの間をさして、『そうじしたところを、あるきたちどまり』ということが、日夜人様を導かしてもらった功徳によって、一つのしるしを持たしていたゞけた、ということが、そのところより親様月日様、八方様とこの台の心を受けて、世上助けにまい進して、親様月日様、八方様の理を取り次いで、信徒さんをたくさんかくとくすることをさして、そのところより甘露台様、すなわち十社様の理を取り次ぐことを、『そうじしたところを歩き立ちどまり、そ
のところよりかんろうだいを』ということやそうな。よくわかったでしょう。
二日 国狭土之命様(どのような からきしんぱい みえたとて
なにもこわみな あぶなげもない 仏滅) ☆
四九八
二七三 六五一
ということは、何事によらず心配事があったら、いつでも本部に運ばしていただいて、その心配事を天からといて聞かしていただいて、帰宅をしておられたら、何も心配することはないでしょう。腹の中で心配事を考えて、いくら人間が心配をしていたとてどうにもならんのだから、正気づいて本部に運ぶにあると思う。ある書物を読んで、いつなん時どんなことになってくるかと、心の中をちぢみあがらしているようなことでは、お道を聞かしていただいた価値がないでしょう。
人間の世界、人間の世であったら、人間同志が心配をせねばならんが、神様の世界で、神様の世であるのだから、心配は一つもないと思いますねい。
皆様方が、「親様月日様」と御願いをされれば、いつも利益をいただいておられるでしょう。それだから、何事が一万事心配をして世渡りをしている必要はないと思いますねい。それですから、『どのようなからき心配みえたとて、何もこわみなあぶなげもない』と仰せくだされてあるのですよ。いつの時でも、ない世界、ない人間を御造りくだされてある世上、ということをよく〜悟ってごらんんなさい。
なぜならば、あなた方のおなかへ赤ちゃんを宿らしくださるでしょう。そこで、子供を『宿しこむのも月日なら、生まれ出すのも月日せわどり』と仰せくだされてあって、ない世界、ない人間を生まれ出さしてくだされてある、ということは、よくわかるでしょう。人間の力で十月十日の間に五輪五体をそろえて生まれさしてくだされてあることだけでも、よくわかるでしょう。妊娠中に一家の家庭がごた〜して、ほこりを積んでいると、五輪五体
りと思う、ということや。わかったでしょう。
三日 月読之命様(おたがいに 節分祭を よくさとれまめではたらく ことであるなら 大安) ☆
五一九
三八四 七六二
天も勇んで守護くださることやから、節分祭ということは、せつの分かれめであって、日々心配事をくり返して、ふるえていることと、心があたたかくなって、家族がそろってえ顔で暮らすこの心を、ということが節分祭になぞらえて、豆まきをやっているでしょう。四方八方へ気くばり、目くばりさせてもらって商売をやらしていただく理の姿が、まめで働く、ということやそうな。
「福は内、鬼は外」というていたとて、家々でつの突き合いをしていたら福が舞いこんできそうなことはない。鬼のような心を追放しながら、福は内鬼は外となえれば、天から心どおりの守護をしてくださる、ということや
四日 雲読之命様(いつつるぞ なんのひがてる なにゆえか このせいしんの みちをしらねば 赤口) ☆
六二一
四九五 八七三
ということは、このお道を聞かしていただいてからは、皆さん方の心を天が受け取って、うつりし理をうつし返ししていてくだされて、天のみ心になった心を天へ供えておればこそ、家々も明かるくなり、つくし運びもできにおいがけもしさせてもらい、教師になってお助けもでき、そしてどこからどこまでも人様に敬まい、とうとばれるような心の持ち主になった時が、親様月日様、八方様のありがたいがわかった時、天から入信していない人のことを、『いつつるぞ、なんのひがてるなにゆえか』と仰せくだされてあるのですから、皆さんは一人も多く導いてやらんと、天の月日親神様が、『親として子供の苦労を見るにしのびん』と仰せくだされてありますとおり、においがけや、お助けをさしていたゞかんと、天の御心が日々休まらんことになり
そこで年男だとか、年女だとか言うているでしょう。これは鬼門の年の人、八方ふさがりの年の人、病門の年の人のこと。この節にお互様は、心を徐行して暮らしていきさいすれば、その年は無難で暮らせる、ということや。
お互様に、横目ふらずに、ということは、道草くわずに、理というものを心でねってということは、よりかけてということや。そしてどんなけわしい山道でも、ということは、どんな苦労でも心配事でも、運んで聞かしていただいて、理というものを杖として暮らさせていただくことを、天の御言葉の中に、『横目ふらずによりかけて、ほうてのぼれよ理をつえにして』と仰せくだされてあるのでございますから、親様月日様、八方様ということを、たえず安心して暮らすにありと思う。理を杖にして、ということは、運んで聞かしていただいているでしょう。そのみ教えを守っていくことをさして、理をつえにして、ということですよ。わかったでしょう。
ますから、においがけや、お助けをした人を一人もおとおさんよう、信徒さんを修理して、信徒さんの家を花ざかりに導いてやって、実のりをたっぷりあたえてやってもらえば、おのづと信徒は、それからそれいとふえてくる。というこの精神が天のみ心のかなって、大きな働きがさしていたゞけるのだと天でいつも仰せくだされてあることを、『いつてるぞ、なんの日がてる、なにゆえか、この精神をよくしらねば』と仰せくださる御心の御言葉でございますから、皆様も心の改良をしながら、つくしも運びもやりながら、においがけお助けにまい進していただきたいと、いつも天が地上のありさまをながめて、台と天と八方様と皆さんと、せつなる願いと思う。
これからもなお一層しっかりと、お道にふんばりください、ということやわかったでしょう。
ますから、においがけや、お助けをした人を一人もおとおさんよう、信徒さんを修理して、信徒さんの家を花ざかりに導いてやって、実のりをたっぷりあたえてやってもらえば、おのづと信徒は、それからそれいとふえてくる。というこの精神が天のみ心のかなって、大きな働きがさしていたゞけるのだと天でいつも仰せくだされてあることを、『いつてるぞ、なんの日がてる、なにゆえか、この精神をよくしらねば』と仰せくださる御心の御言葉でございますから、皆様も心の改良をしながら、つくしも運びもやりながら、においがけお助けにまい進していただきたいと、いつも天が地上のありさまをながめて、台と天と八方様と皆さんと、せつなる願いと思う。
これからもなお一層しっかりと、お道にふんばりください、ということやわかったでしょう。
五日 惶根之命様(ぜんあくを みわけすすめて なにもかも よろずたすかる ことになるから 先勝) ☆
七三二
五一六 九八四
ということは、善悪の見さかいなきときは、たとえていうたら、皆様よ、無二の親友だとか、あれは遠縁にあたる親戚だとか、またはあれは昔から知っている人だからというて、人というものをむやみに信用して、「この人はおれに金を借りる受け判になってくれというているけれど、おれには迷惑をかけるような人ではないだろう」と、うっかり受け人になって、はんを押し・て三年五年とたつうちに、人間には「この人を受け人にしておいて、先になったらおれはどこかへ借りた金も返さずに高とびをして、受け判をしてくれた人の財産を、おれの借金のかたに払わしてやろう」というような、悪のりょうけんはないでしょうけれど、いきがかり上事業に失敗して、赤字になってどういうふうにやりくりをしても、とうていおっつかなくなったというて
どこかへ行方不明になる。そうこうしているうちに、受け判をした人のところへいきなり差し押えがくる。金が払えなければ競売にする、というようなとんでもない災難がまい込んでくる。
お互様に前生に相手方に借金をしておいて払わずに世を去ったり、払わずに夜逃げをしたり、いろ〜な因縁が積んであったとしたら、その借財を返さにゃならん因縁があるから、たのまれりゃ受け判でも何でもして、前生の借金を返さにゃならんとあせって受け判をするようになったり、前生に泣かしてある女に出会うと、ごきげをとって返さにゃならん理がでてくると、二号でも三号でもやたらもって早く因縁を切って、せい〜しようと思って一生懸命にはたしにかかる。
それからまた『人間というものはどこから生まれてきたのやら、どこへ死んで行くのやらあとさき知りたる者はない』と仰せくだされてありますとお


初心者なので文章汚いと思います。
誰でも歓迎します。誹謗中傷やご指摘どしどしどうぞ。