世界心道教 りのさとし
したことを、今日にいたるも、皆さんが朝夕おつとめをさしていただいておるのでしょう。ここのところは、天からの御言葉でございますから、よく聞いて心に治めていただとうございます。それはどういうことであるならば、容易ならざる天の御言葉でございますよ。
『むはんすっきり払うでしっかり助けに甘露台』と願う。はき出す息が空中へとびまわる。そのとびまわっている息を、吸いこむ人が、腹の中の悪気邪念が退ぞいて、おのずと導かれてくるのだそうでございます。
そしてまた、各教会で、支部長や、分講長や、責任役員や、委員や、教師や、信徒の家で、おつとめをされる空気が広がっておる。これを甘露法の雨という。ですから、このお道を聞かしていただいておる近所に火災がおこっても、その息を吸っているのと、甘露の法雨とで、家が焼けないのですが、あくたもくたをゆうておる人が隣におれば、その隣は焼けても、皆さんのお
になっているのでございますよ。
そこで中に反対者がおると、一様の家庭でも、業者でも、会社でも、空気が人間心と信仰心とがショートして、もやのごとくに暮らしている世の中でございますよ。ですから、この道の者が、意気はつらっと心のうちで、『むはんすっきり』と願いながら、ほとりの人にまじこらんよう、心してお暮らしください、ということや。わかったでしょう。
二〇日 雲読之命様 皆様よ さかきのまいとは なんのこと 四九八
あまくだりたる 元のいんねん 赤口 ☆ 二七三
六五一 🐰
ということは、この世をお造りくだされた、月日親様や八方様のところへ、この台が、『今この世上が、大東亜戦争とか何んとかいうて、日本へ攻めよせてきて、日本の人間が、みなごろしになるというような、危険な状態で皆おびえておりますから、さっそくくに地上へ、この私といっしょに天降っ
(一個前のもの)家には、甘露の法雨のしめりけで、火災をまぬがれるのでございますよ。この御言葉を天からいただいておられる人は、『授けのこうや広大無辺』と仰せくだされてあるのでございますよ。
それですから、まさえあったら、ほしい、おしい、かわいい、にくい、うらみ、腹立ち、つづまるところ、欲、高慢の心をなぎ払って、むはん払いのおつとめを余念なく、つとめていただきたいものでございます。それですから、この道の人のおられるところは、台風でも、水害でも、火災でも、地震でも、雷様でも、みな無難で通していただいておられるでしょう。こういういすいを悟ってお暮らしください、ということや。
すべての作物も、豊年作物の御利益をいただいておられるのでございますよ。会社でも、家庭でも、業者でも、なんとなく甘露の法雨のしめりけの御光を、人間の魂が吸いたくなって、商売の方も、会社の方も、すべて豊かに
てお助けいただきとうございます。人間ではとても世の中の人を救うことができませんから、お願いいたします』と天に御願いに出かけた姿が『のぼり龍』。天といっしょに天降っていただいたのが『下り龍』。皆さんがお助けをいただくたびごとに、天に願いをかける、これが『のぼり龍』。御言葉のさがってくるのが『下り龍』。そこで、皆さんとこの台と月日様と八方様と皆さんと共にやらしていただいて、世の人でとに助ける。この姿が、天降りたるものとの因縁、ということや。わかったでしょう。
二一日 煌根之命様 おたがいは かぐらのめんを よくさとれ 五一一
うたのいみあい こうしてよめ 先勝 ☆ 三八四
七六二 🐉
このとおりと思います。だが皆さん方の神社で、お祭りがあるでしょう。その時に、神楽堂へ出て、お面をかぶって、いろ〜な踊りをされるでしょう。その姿がみな、皆さんの家庭でやっておられる姿と思います。
にこやかにほがらかに暮らしているのが【おかとめさん】。口をとがらせて腹を立っているのが【ひょっとこ面】。いつも腹を立って、ものを言わずにふくれているのが【おたふく面】。あまりよくはこちらではわかりませんから、皆さんの方でお悟りください。
本部に運んで、おかがらづとめをなさる時、ただうか〜と、おかがら歌を読み流しにせぬよう。『こうして願えよ、助けてやるぞ』と、天からおさげ渡しされた御言葉の文面を、一言ずつ心におさめて、よく味わって、家庭におっても用い、外へいっても、人のふり見てわがふり直し、つとめにいっても、不足不足のけんかのうずにまきこまれて、不足はせぬよう。のらへいっても、畑に家々のほこりのいきをふっかけると、作物の実りが、とぼしくなりますから、ほこりの心つかかんよう。いつの時でも心して、日々お暮らしください、ということや。わかったでしょう。
からもう手ずがつけられないから自宅で養生をしてください、と医者からつましいんどうを渡されることになるでしょう。
それから親族会議を開いて、家へ引きとって、交互に看護することにしたそうでございますが、お医者さんは、今年いっぱい持つか持たんだかわかんないというそうだ。だが寿命の点はお医者様でもわからんし、あの世から持ってきた寿命どおりに、世の中に生きている人もあるし、あまりほこりをつみすぎれば、寿命より早くなる人もあるし、こういうことも、『理から治る道であるから』と仰せくだしてありますから、日々心してお暮しください、ということや。
この人は本部にきても、親様に近づったこともなく、御言葉もあまり聞いてはいないようでした。本部に来れば、明けの日には早々ともどるましう、つくし運びもそのわりにしてはいないし、こういう人は今にどうな
間がしてもらったり、春秋の講習の御言葉やら、話しは山ほど聞いておっても、自分のことになると、人間というものは、思いがえをしないで、勝手な心を使って、「死んでしまった方がましだ」なぞと、つまらん心を使って苦しんで願いに出るより、もう一息苦しんで死んで行けばよいのに、苦しくなると、たえられなくなって、「ああ死ぬような心を使ったからこうして出てきたのだ。あるじの帰りがおそくても、不足をするとせきが出るのだ、これはあるじといきが合わんだの」と親様月日様へおわびをして、あるじがおそく帰ってきても、きげんよく迎えてやるような心になれば、身上はたちまち守護になるんだが、どうして人間というものは、心の改良しないのでしょうかね。
ある所のある人が、体がだるいとか、苦しいとかいうて、お医者様にみてもらったら、子宮癌だとか、体内へ癌ができているとか、肋膜へ水がたまっ
ているとか言われて、家族の者が悲観をして、「親様月日様、まことに申しわけありませんが、もう一度神様へお願いをしていただきますとか、いろ〜なことを願っておられましたが、その身上の人は、お医者様に、いろ〜なことを家の人に話す。それを家系の者が悲観をしている人に、『悲観をしないで暮らしてもらいなさいよ。親様が天に願ってくださるから』と注意をすれば、『もと〜医者なんてだめだということは知っておりますから、今となっては、神様におすがりするよりほかに道はないいうて、家々は皆願っておりますよ』と、何んでも心というもののそっちのにして、おすがするだけではまことにと困ったものですね。
先方からこうした口上を聞かされると、親様の方では、ああ困った者だ。たとえ一カ月でも二カ月でも、お医者様にみてもらっておりながら、『もともとお医者様はだめだ』なぞいうて、たたきつぶしていたのでは、お医者様
からもう手ずがつけられないから自宅で養生をしてください、と医者からつましいんどうを渡されることになるでしょう。
それから親族会議を開いて、家へ引きとって、交互に看護することにしたそうでございますが、お医者さんは、今年いっぱい持つか持たんだかわかんないというそうだ。だが寿命の点はお医者様でもわからんし、あの世から持ってきた寿命どおりに、世の中に生きている人もあるし、あまりほこりをつみすぎれば、寿命より早くなる人もあるし、こういうことも、『理から治る道であるから』と仰せくだしてありますから、日々心してお暮しください、ということや。
この人は本部にきても、親様に近よったこともなく、御言葉もあまり聞いてはいないようでした。本部に来れば、明けの日には早々ともどってしまうし、つくし運びもそのわりにしてはいないし、こういう人は今にどうな
るかと、本部では見ておりましたところ、こうした身上になられて困っておられますのよ。
とにかく家庭では嫁さんをもらい、そのしゅうとめさんと嫁さんがあまり仲がよくなくて、嫁さんが出ていったの、戻ってきたのというているうちにけんかした嫁さんに、さかんにめんどうを見てもらわにゃならんのだから、嫁さんをもらいたてに、あまりしゅうちゅうとめ風をふかしていたから、年限たって嫁さんに頭を下げて、たとえお水一杯でも、下の世話でもしてもらわねばならんようなことがおこりますから、皆さん方も、理というものを日々研究してお暮らしください、ということや。よろず助かる道をたどってお暮らしくださいね。わかったでしょう。
二三日 大戸辺之命様 おたがいに りでなるみちと こころして 七三二
大じのまえの しょうじききわけ 先負 ☆ 五一六
九八四 🐎


にはとんちゃくなく、お助けやら、いろ〜な道も通らしていただきましたが、親からは十一回も、かんどうされ、夫婦別れや、親子別れが三回、最後には離別され、そして昭和十三年に天降りをいただき、昭和十七年には、八社様の天降りをいただき、昭和二十一年には、東京から豊川に引っ越し、二十四年には、諏訪官林へ引っ越しをして、現在の所に落ち着かしていただいておるようなわけでございますから、これから先の道の次第も、理に理がそうてだん〜と、おおにぎわいの心のふしんが始まってくると思う。という親様の入信からの四十四年ぶりでようやくきょうの日でございます、ということや。
ですから、皆さん方も、ひるまずたゆまず、理に理をいただいて、道の発展に努力をしてゆけば、親様月日様、八方様に認められて、今世も来世も来々世もということは、万ごう末代見落しなく、お連れ通りをいただいて