世界心道教 りのさとし

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​にはとんちゃくなく、お助けやら、いろ〜な道も通らしていただきましたが、親からは十一回も、かんどうされ、夫婦別れや、親子別れが三回、最後には離別され、そして昭和十三年に天降りをいただき、昭和十七年には、八社様の天降りをいただき、昭和二十一年には、東京から豊川に引っ越し、二十四年には、諏訪官林へ引っ越しをして、現在の所に落ち着かしていただいておるようなわけでございますから、これから先の道の次第も、理に理がそうてだん〜と、おおにぎわいの心のふしんが始まってくると思う。という親様の入信からの四十四年ぶりでようやくきょうの日でございます、ということや。
​ですから、皆さん方も、ひるまずたゆまず、理に理をいただいて、道の発展に努力をしてゆけば、親様月日様、八方様に認められて、今世も来世も来々世もということは、万ごう末代見落しなく、お連れ通りをいただいて

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こうした心の方向転換をして暮らさないと、因縁が切れないから、今世も来世も来々世も、一家族が全部御利益もらって暮らすことはできないことになりますから、一刻も早く、一家族がいっせいにめざめて実行してくださいということや。わかったでしょう。
​十日 大食天之命様 おたがいに てんのみおしえ よくまもり  四九八
          ふかくさとれば りからたすかる 赤口 ☆ 二七三
                            六五一 🐓
​『天のみ教えよく守れ』ということは、運んで聞いて、その時だけ感心して家にもどっていたのでは、いつになってもわかるめのないことになる。ある所のある人が、ざっと二十年もこの道の教えを聞かしていただいて、最初は支部をやっておって、次に教会をやっておって、四十一年になって、現場の方は結構づくめにさしていただいておりながら、自分の思いが通らなくなったというて、人間の持ち前性分を使いだして、長い年間の間、一人で思うがままにやって、教会というものはどういうものであるか、教会には教会組織というものがあって、神様の御言葉の中に、『教会組織のようでかかるからりや』と仰せくだされてあるにもかかわらず、教会と個人とをいっしょにしてしまって、が高慢をふりまわして、自分の思うようにならんといって人をたたきつけ、人また教会長をたたきつけ、双方で綱の引きあいをしている間は、どっちも倒れないが、学校で綱引きをやったこともあるでしょう。両方でひっぱりあっている間は倒れないが、力およばんといって、相手の方の人が手を離すと先方が倒れる。

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先方が倒れた姿をみて、びっくりたまげて、あんな人は心で道をやめるような心を持つと倒れてしまう。教会の中がしょうぎ倒しになる。長い年間高慢を積んできた因縁によって、高慢中気となる。それで第三者の親様こそいい災難で、長年倒さんよう、落さんようと、おかげおかげと喜んで、できげんとり〜一生懸命でやらしてもらったにもかかわらず、このとうといお道をやめるような心を使い出して、中気のようになって倒れてしまって、人間というものほどたよりないものはありませんねい。
​そこで皆さん、この教えをどういうふうに聞いてきたんでしょうか。うつつらの信仰であったのかと、いまさらながら親様があきれている次第でございますが、この道をお互様に深くきとって、理から助かっていただきたいと思います。

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こうした人が御利益をいただくには、入信時から、わがままいっぱいの道を通って、思うがままにやってきて、今度は思うがままにならなくなったというて、道をやめるようなわがままな根性はすっきりやめて、親様月日様、八方様のありがたいということを、いちかけから腹の中で心入れかえて入信時につらかった、助けていただいてありがたかった。こんな心を使っていたのでは、しょせん身上は助からない、と心構い改めるなら、中気も御守護をいただけるかもわかりませんが、ちょっとぐらいのざんげでは、御守護はなか〜いただけませんねい。
​この道の教えを聞かしていただいておりながら、不足をせいとか、腹を立てとか、けんかせいとか、ひとつもそういうことは教えてないはずや。それに親様月日様、八方様に対して違反しているから、とんでもない身上になって、周囲の人も総倒れになって、新しく道についた人が、なんでこんなに教会長や責任役員や委員や教師が、身上になっているのかと不思議に思って親様もあんまりだ神様もあんまりだ。なんで御利益をくれないのかなあ、と五年や十年運んでいる人が不思議に思うでしょうが、親様のそばへは寄りつかず、ざんげの道もわからず、道あけもわからず、ただ〜かげで願ってばかりいて、親様をふら〜にしておいて、信仰をやめると言ったり、腹の中で願ってみたり、願ったら信仰はやめていないでしょう。

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親様の方では、その人らに見すてられても、またほかの方面で、しっかりしてやっていてくださるお方もたくさんありますので、親様の方では、さっぱり心配しておりませんが、すがってくればよし、すがってこなけりゃそれまでだが、とにかく困ったものやと思っておりますが、皆さんは、これからは、お互に天のみ教えをよく守って、理から助かっていただきたいと思うのみの親様でございますからよく味わってお暮らしください、ということや。わかったでしょう。この理というものを、深くおさとりくださいねい。
​十一日 大戸辺之命様 なんぎをば したいというて できぬみち  五一九
          こころさがれば りからおさまる 友引 ☆ 三八四
                             七六二 🐕
​このとおりでございます。なれど皆さん、この御言葉をどうお読みになりますか。威んでどうおさとりになりますか。『なるほどはわかっても日々の理が容易にわからん』と仰せくだされてありますとおり、親様も皆様に、何と語りてよいのやら、どういうふうにさとしたら、深くさとりとれるのやら十人十色、百人百色で、天の御言葉の中に、聞いてすぐわかるものがあれば三年五年たってわかる人もあり、一代かかってもわからずじまいで終る人も、世の中にはたくさんあるそうな。

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天の御言葉の中に、『三つ子にもわかるこの教え、わからんという理はないはずのこと』人間の持ち前性分を改良するという気持ちのない人は、いつになりてもわかりませんねい。なぜならば、あれがこういうからおれがこう思う。あれがああいうことをするからおれもこういうことをする。天の御言葉の中に、『うり言葉にかい言葉の精神凡夫』という。とにかく改良する心のない人は、病のところが変わるばかりにて、病の根切れにはなりませんねい。このお道の中に、真剣に心も改良し、つくしも運びもし、においがけ

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もし、お助けもし、教会の中も支部の中も、発展している人に聞いてごらんなさい。
​『なんぎしたくもできぬ理の道』ということも、よくわかっておられますよ。そしていつの時でも人様と言葉を重ねないで、負けて暮らしている人は心がいつも人様よりへりくだっておるから、理からどん〜御利益をいただいて、運んで暮らしておられますから、そういう人が、親様の前へごあいさつに出られると、親様の方でも、理にかなった日暮らしをしておられますから、理から日々の喜びが親様の方へうつって、いつの時でも、オホホ、アハハで家へもどっておられますが、
​腹に一も持って、不足不足の人が前にすわられると、親様の方が鎹ですからゆううつになって、その人の顔を見ると文句が言いたくなる。親様に文句を言われた時は、「ああわたしが日々不足ばかり言うて、腹ばかり立って暮らしているから、親様に文句を言われるんだなあ」とさとって親様の前へ出た時、見る聞く理をざんげして、その場で心を入れかえれば、親様の方は鎹ですから、『ああ心をきりかえたなあ』と思って、陽気な話しをしてくださるが心を悔い改めない限りは、いつまでも文句を言われますよ。

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また、わが身思案の身びいき身勝手の強い人が前へすわると、親様の方では、口をきくのもいやになって、なか〜結構な御言葉がいただけませんねい。たまく〜運ぶ人は、身上事情にせめ立てられて、身上の御利益だけをいただきにこられる人も、中にはたくさんありますが、困る時だけ運んでいる人は、運ばない時に、理にかなわん心を使っている時に、病のもとを製造して、どこへ行ってみてもらっても直らんので、一度助けてもらったおぼえがあるので、きょうは何と言われても仕方がない。行って御利益をもらってこうかというて運んでくる。
​ひとかわもふたかわもつらの皮をこきむかれて、御利益をもらって家へもどる。助けてもらっておきながら、あんなところへはもう運ばん、というてまた三年五年こない。三年五年たってから、また身上になって運んでくる。そうしてだん〜とめざめてゆく人も、中にはたくさんあるように思いますが、親様にあまり骨を折らさないでいただきたいと思います。
​親様や月日様や八方様の方には、皆さんが身上になったとて、なんの関係もないのですよ。皆さんが腹の中でいろ〜な、ほしい、おしい、かわいい、にくい、うらみ、腹立ち、欲、高慢の心を乱用して身上になったのですから、めい〜がめざめなければ、理から絶対に御利益にはなりませんねい。本文をよく味わってお暮らしください、ということや。よくわかったでしょう。

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十二日 岐神様 にんげんは たすかりたいが ひとこころ  六二一
        たすけたいのが おやのこころや 先負 ☆ 四九五
                           八七三 🐗
​天と人間とが、本文のような御言葉のとおりなら、何も言うことはないけれど、助かりたいのが人間の心であって、助かりたいくせに助かるような道を通らずに暮らしておって、教えを守らずにおって助けてくれというて、親様月日様、八方様に苦情をいうような心はないが、この地上におって通っている心が、天へ通っていることに気付かずに暮らしていることが、助からんと愚痴が出るから、ほんとうに人間というものは日々思案をして、助からんのなら、助からんような道を歩いているかと思えば、親様月日様、八方様は人間に対していつも残念に思っておられますよ。
​それだから、今年という今年に未年なれば、親様や月日様や八方様や、いくら人を見て、とってもやれんようにしてくださいねい。ということや。まこと尊いことのお話となるのですから、実行して暮らししてください。ということや。分かったでしょう。
​十三日 美様 ふうふでも おやことなるも いんねんや  七三二
       そこらここらで わかるめはなし 仏滅 ☆ 五一六
                          九八四 🐭

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ということは、お互様に、『どこから生まれてきたのやら、どこへ死んでゆくのやら、あとさき知りたる者はなし』と仰せくだされてありますが、主従親子や兄弟の皆因縁の集まりが一家族となり、親戚縁者となり、助けあいともなり、前生の因縁で仇同士にもなり、中にはぶっつぶしてくれる人もあり、助けてくれる人もあり、生まれ変わり死に変わり、もつれもつれて交通地獄、もつれもつれて家庭の地獄、戦争地獄。人を殺せば自分も殺さる。人のものをとればいつかは自分もとられる。またさぎを働けば人にまたさぎを働かれる。人のものを横領すればまた人に横領される。
​この世の中のありさまは、自分でおかした罪のだん〜が現われて、世の中の人は困っておられるのでございますよ。これすなわち、理の世界ともいう。天罰ともいう。天の御言葉の中に、『つぶすことない、理がこわい』と仰せくだされてありますとおり、お互様にいつの時でも、心得違いは出直しして、皆お互様に、道を正して向きかえて、地獄の世渡りせぬように、ごく楽な世渡りができるような道を教えていてくださるのでございますから、いつときも早く皆おとずれて、聞かしていただいて助かっていただきたいのみでございます。

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だがお互様は、このみ教えを食わず嫌いでいたのでは、助かる道はわかりませんねい。とにかく数多く運んで助かってくださいね、ということや。わかったでしょう。ここへ運ばしていただかねば、いっさいわかるものではありません。
​十四日 国狭土之命様 みちあけの こころでくらし いるならば  八四三
          どこのどこまで ずっとたすかる 大安 ☆ 六二七
                            一九五 🐂
​この親様は、今年で四十五年の道をお連れ通りいただきまして、天からの御言葉や、また昭和十三年に天降っていただいて、それからまた昭和十七年に八社様も天降りくださってきょうの日でございますが、いつの時でも、天から道あけの仕方の御言葉をいただいてきょうの日でございますが、皆様も本部に運ばれて、道あけを聞かしていただいて、御利益をいただいて、帰宅をされておられるでしょう。
​それだから神様にお願いをして御利益をいただくのではなく、運んで皆さんが道あけの仕方を教えていただいて帰宅をされて、再び本部になられるまでの間に、日々道あけをしてお暮らしになれば、身上にさわりは絶対につくものではありませんねい。どこ〜までも、道あけをすることをお忘れなくお暮らしください、ということや。

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