世界心道教 りのさとし
ただいで、ついてできておりますが、回わりで不足不足をいうていた人はなかなか寄ってはきませんねい。ささいなことでも、先頭者はじめ一頭の者が、人を見て、ああのこうの批判をして暮らしていたのでは、しょせん助からんことになりますでねい。
御言葉の中に、『人を見て理を見る力なきものを、めくらというはちがいあるまい』と仰せくだされてありますとおり、「親様からいろ〜とお話しを聞かせてもらいたいが、ながく〜そばへによれないし、つまらんことや」というて不足を言っている人も、中にはたくさんあるように思いますが、
神様の御言葉の中に、『神というはつきあいよいものや』と仰せくだされてありますとおり、寄り日の時に、ごあいさつに出られて、遠慮なくどんどん質問してくださいれば、どんなことでも解答をさしていただきますから、ひとりでもよいから前へ出て、親様に声をかけていただきとうございます。
それから寄り日以外の日でも、なるべくお会いさせていただきますから、遠慮なく受付まで申し出てください。そこで皆さんに一言申し上げますが、ふだんつくしも運びもしないで、心の改良もしないで、お道に協力もしないで、においがけもお助けもしないで、ただばくぜんと本部へお参りにきて、人の話しを聞いてばくぜんと戻っている人は、おがみたのみのお参り信心で、親様月日様から聞かしていただくことはできませんので、自分から自然と遠ざかって、勝手に親様の悪口を言うている人も中にはあるそうな。
なれどそんなことは、こちらではおかまいなしですからねい。心次第でどれだけの協力したからとて、天で見おとしのありそうなことはありませんから、しっかりと目ざめて、道を正して向きを換えて、つくしもし、運びもし、心の改良もし、においがけもし、お助けもし、親様のところへじかに書面をよしてくだされば、一家の家庭の身上や事情の助かる道あけの御返事も、
次第によっては、出してもいただきますから、安心して近よるくせをつつけた方がとくだと思う、あいだの日に運ぶ時に、親様に面会するのがおっくうな人は、親様となれている人の案内で、出かけてきた方が早く助かると思うよくわかったでしょう。
二七日 月読之命様 めいめいの もちまいなるを よくさとれ 二七六
よろずたすかる ことになるから 先勝 ☆ 九五一
四三八 🦁
ということは、どういうことであるならば、お互様に、前々生から積んできた因縁の果し場所は、この地上でございますよ。『なんと生まれ変わっても、皆このとおり』といつも天で仰せだしてあるのでございますよ。
この地上でいろ〜な因縁を積んで出直しして、またこの世にきて仇をとったりとられたり、これがすなわち、『この世は恩の報じ場』という。御言葉の中に、『恩を果すかあずけるか。差し引き勘定天がしている』と
仰せくだされてありますからは、持ち場立ち場を大切に、現われてきたことを、恥じいることはないから、本部へ運んで聞かしていただいて、ふりかかってくる難をきりぬけていく道を教えてくださるのが、このたびの天降りの天からの、『こうせいよ、ああせいよ』とおさしずをしていてくださるのでございますから、仰せのままに進ましていただくことが、持ち場立ち場の役目を、無難で果していただくことができるのでございますから、しっかりと心しておさとりくださいませ。
『まあ前生にどんな悪いことがしてあっても、この道に出て、あやまり果ててざんげして、これからこうと改めかえて、このお道にふんばるというのなら、今までに積んだ因縁を切って、三代先の理を授ける、というは万どう末代一度の普請や。しっかりやってくれよ。月日たののみや』と仰せくだされてあって、人間が人を心でたたいたり、また相手の人にたたかれたりして
きょうまでは泥試合のような世渡りをしてきたが、『これからこうと、心を改めて暮らすというのなら、今までのところ許す』と仰せくだされてあるのでございますから、安心して、しっかりと道をやらしていただいてゆけば、どんな火水の中でも陽気暮らしになれる、ということや。いっさいの人間心をはいしして、神様一条で、おのが心をお互に、とりしまって暮らしていただくことが大切と思う。『大切と思う心は元へ出せ』と仰せくだされてあるからは、元とは親様月日様、八方様のこと。天地間の人を救わしてもらいうほど、親孝行はありませんね。
この世の中のありさまをよくながめて、よくさとって、善悪見さかいをよくつけて、心正しく導いて、あきずにこりずに運ばしてもらうことが助かる元ですよ。よくわかったでしょう。
このお道もそのとおりで、うんく〜わかった。腹立ちごとをやめるのか、うんく〜わかった、というて、一度運んでめったにこないで、年に一度ぐらい運んできて、「持ち前性分の改良か、また腹立ちか、そんなことは聞かんでもわかっているわ」といって、十年の間に三べんぐらい運んでいたのでは先生の顔もわからんし、本部の食堂がどこにあるのやら、自分が訪れる部屋がどこにあるのかわからんし、後から入信した人でも、真剣にやっている人は、前からですいていた人を追いぬいて、教会長になったり、支部長になったり分講長になったり、責任役員や委員や教師になったりして、世の中の理というものも明るくなって、人の先頭に立って多くの人にかしずかれて、敬いとばれて、親様にもみなかわいがられて、どんく〜と一家の家庭も助かり、教会内も助かり、結構ずくめになっておられる方もちくさんありま
すが、とにかく親様月日様、八方様の天降りということもしよくわからずに、うかつに暮らしていたのでは、年限だけは十年でも十五年でも運んでいるような顔をしておっても、十五年の間に三回か五回運んでおったのでは、きょう運んだ信徒と同じでしょう。
それだから、親様の前へもきまりが悪くてこらえなくて、だんく〜道から遠ざかっていってしまって、会長さんより古い信徒も中にはあるそうな。それが親ひとり子ひとりで暮らしていて、子供が成人して嫁をもらって、これからというところで、家をあけ渡ような気持ちで、お道にふばしてもらえばよいものを、子供が、「お母さん、神様のところへお参りでも行っていらっしゃいよ」と声をかけられたら、「ありがとうよ」と、お道に出させてもらえばよいものを、「おまえ二人はおれをじゃまして外へ追い出す気か。この親不孝者めが」といって、せがれをあくたもくたにの
のしって、「家のせがれは嫁が来てから悪くなった」といって、家から外へ一歩も出ずに、道もやらずに寝ているそうな。そのせがれは、幼い時から道を聞かしてもらっているから、道もやらねばならんが、生活面の維持も立てねばならんで、嫁と協力して家々のまわしから、人のつきあいから、道のことから、一生懸命でやっていているそうな。
なれど、この若夫婦の大事なところは、親を思いやって暮らしてもらっていないと、今度若夫婦が親の立ち場になるのだから、子供に親孝行してもらいたかったら、子供もつれてお道の方へ運ばしてもらって、心で親をかかずに、「何もかもおれの方の方がよくわかっている。この親はわからずやだ」といいて、親をさげしめんよう。何もかも聞かしてもらってわかっているとお母さんが、人間心にとざされて、今一生懸命で〇〇家の因縁を切ることも知らずに、来世のみやげをこしらえてもらう時期に困ったものやと、この
親様の方では、その人の将来をじっと見つめましておりますが、わかっていて実行しないのは、わからんと同じことでしょう。だんく〜と理に理がのって、しまいには天から理気知を取り上げられて、何んのみやげをもっておあの世とやらへ行かれるのか。ほどと深さもわからない。ただ目前になってしまって、むなしくこの世を送っている人の心が。こちらではいじらしいと思っておりますが、こういう姿で世の中を、「おれはわかっている。おれはわかっている」という人は、実行しなくなったらしもうろけてしまって人を相手にしなくなって、ひとりさびしく暮らさにゃならんようなことになりますから、いっせいに目ざめて、しっかりとこの道をやらしてもらいましょうねい、ということや。わかったでしょう。
昭和四十一年十二月二十日午後五時四十五分御書取り
三月の心得につき御言葉御願い
一日 惶根之命様 あれくろうせじょうのようすながめたら 四九八
みちの人ひと ひとりひとりが 先負 ☆ 二七三
六五一 🐭
心して暮らすにありとわれは知る。プロのどこまでお互は、人々助けに余念なく、天の御供いたしましょう。そうせんことには皆様よ、世上が破滅になりたなら、とってかえしがつかぬから、人々様にこのことを、一人ももれなく伝えましょう。さすれば、人も喜び、天も御喜びくださることとわれは知る。どこ尋ねても外にない、天の月日の親様や八方様の御心にそうような世送りをしたならば、世の人ごとに助けていただくことができるのや。
いつの時でも月日様、飛び出てござるということも、よく〜心に感じつつ暮らさせてもらわんと、日本が破滅になったなら、お互様も五尺の体のおきところが、ないようになってからではおそいから、今の間に、真の心からめざめさせてもろうて、それからそれいと道つけて心油断のなきように、八方めくばりいたしましょう。


にはとんちゃくなく、お助けやら、いろ〜な道も通らしていただきましたが、親からは十一回も、かんどうされ、夫婦別れや、親子別れが三回、最後には離別され、そして昭和十三年に天降りをいただき、昭和十七年には、八社様の天降りをいただき、昭和二十一年には、東京から豊川に引っ越し、二十四年には、諏訪官林へ引っ越しをして、現在の所に落ち着かしていただいておるようなわけでございますから、これから先の道の次第も、理に理がそうてだん〜と、おおにぎわいの心のふしんが始まってくると思う。という親様の入信からの四十四年ぶりでようやくきょうの日でございます、ということや。
ですから、皆さん方も、ひるまずたゆまず、理に理をいただいて、道の発展に努力をしてゆけば、親様月日様、八方様に認められて、今世も来世も来々世もということは、万ごう末代見落しなく、お連れ通りをいただいて