世界心道教 りのさとし
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一と三と五で九でしょう。九から八切れれば一残るでしょう。一残ればかみしもの持ち前前性分は利己主義の根強い人だから、自分かっての言い条を通すことをやめて、それから、三番目のわが身かわいしの心を投げ出して、人を愛する心を持って、それから、国床立之命様の受け持ちの五番のこの字は、うらみの心の根強い人になれば、何が事言おうとも日々心して暮らしてこそ、一代末代助かる人ですよ。
それからまた、いつの時でも八方様の受け持ちの、のの字は面足之命様。ふににごりをうてばぶになるでしょう。その二と八とよせたら十になる。そこへこがつけば一がくわわる。八切って三残る、わが身の思案ばかりで日を送っていると、これがじがね。わが身投げうって人を助ける心なら、天の御供をさしていただきつつ、天から御連れ通りをいただいている人になるからじがねというものはないことになりますでねい。こうしたことを研究して、
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つづり合わせて、自分の名前と守護神とをよせて感謝して、日暮らしするにありと思う。
のの字と、ふの字なら、面足様と大戸辺様と国床立之命様と、この三神様になれば、気短をやめて、てきとうに見分けて、気長になって、それからふの字の大戸辺之命様の御神意にかなういのは、朝起きさしていただいて、用事を始める時、心のうちで人様ありがたいとみえる時は、自分の心が人様より低いが、あの人はちっとも役だたない、いやらしい人と見える時は、自分の心が高慢の心使いをしている時。この高慢が大けがの元、となるということになりますから、思いがえをして、いつも人を敬いとうとぶ心にならしてもらえば、八柱様の御神意にかなうから、何事もなく暮らしてもらうのですから、面足様も八柱様も御守りくださるから、何事もなしに暮らしてもらえるのですよ。
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この字は国床立之命様の受け持ちなれど、五番目にあたりますから、人をうらみやすき持ち前なれど、人をうらむより、人のことを天に願うて無難で暮らしていただけく心の持ち主になって、日々暮らしてもらうにありと思うすれば、利己主義のうらみ心は、しりぞいてしまいますから、国床立之命様の御神意にかなうことになりますよ。自分の名前をお互いは結論を出して、自分で因縁の自覚をして、感謝して心のじがねを廃止してお暮しくださいという意味の御言葉ですよ。よくわかったでしょう。
二七日
大食天(おおじきてん) おたがいは むだをはずいて くらすなら 七三二 ☆ 五一六 一六
一日之命様 すえはちょうじゃになるはとうぜん友引 九八四
人間というものは、一日のうちにどれだけむだなことをしているか気づかずに、むだごばかりしておりますねい。それだから、一年通じたら、むだを考えたら、ずいぶん不経済なことをして生活が困難になるように、困難に
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なるようにと拍車をかけて暮らしているようなことでございますねい。日々経済を重んじて暮らした方がよいと言えば、むだはやめないで必要なことがむだだと思って、つき合いをへらしてみたり、使わなければならんことをへらしてみたり、何とこそょうまでしてきたのやら、わけのわかんことばかりしているように思いますが、皆さんはいかがでございますか。
親様が通る道中道すがらに、こういうことを聞いたことがありましたが、ある所に親ひとり子ひとりの家庭がありまして、おとうさんは一生懸命で働いておられたが、たま〜せがれが金を持ち出して、芸術をあげてどんちゃんさわぎをしている姿を見て、家もどって、せがれの帰ってくるのを待ちうけて、おとうさんがせがれに向かって、「お前のように、ああやってひだ使いばかりしているのなら、おれもこれからはよ所へ行って、金を使ってくるぞ」とむすとに言うたそうな。
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そうするとむすこが、「おとうさん、おとうさん、わしはねい、一つもむだ使いはしていないよ、芸術のぎょくだいがい何んぼで、さしみが何んぼで、さかなが何んぼで、すの物が何んぼで」と言いて、ことこ細かく話しをしてくれたそうでございます。そうするとおとうさんが、「おお、そうか、そうか、そうして勘定してみれば、一つもむだはないなぁ」と言ータそうな。
こうした話を聞かしていただいた時に、おとうさんが、「おれも行って金を使ってくるぞ」と言うたけれど、「せがれは何もしないから」と言って、金を使うことをおとうさんはやめたそうな。おとうさんは金を使わないうちだから、それでむだではなかったが、せがれの方人は横道の方へそれて、始めからしまいまで、むだなことをしているのでしよう。
人間というものは、知らず知らずのうちに、むだばかりやって暮らしている人もありすようには思いますが、むだばかりしていると、
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しまいには赤字になって、正氏の体の置きどころのないようなことになって、上のやっかいにならねばならないようなことになりますから、むだをはぶいて内容充実で平凡な暮らしが幸福の元と思う。
経済を重んじて、経済の中から承知のうえで、許すはんいの内の物見遊覧ぐらいはよいと思いますが、飲みにいったのがやみつきで、とことまですやってしまうと、一家が皆路頭に迷わねばならんようになりますからね。世上の人のたとえ言葉のとおり、「一匹狂えば千匹狂う」と世のことわざも決してそうではありませんから、日々心してお暮しください、ということや。年をとってからのことがむだをはぶいて暮せば気楽安楽、ということや。本文にあるとおり、末は長者になるは当然、ということや。わかったでしょう。
二八日
大戸辺(おおとべ) にちにじに じかねをだしていたのでは 八四三 ☆ 六二七 一九五
一日之命様 てんのうけとり ないとこそしれ 先負
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人間という者は、じがねを出して暮らしていると、天からの利益は絶対になりませんでねい。何がじがねなら、持ち前前性を使い出して、自分のつとうのよいことばかり考えていると、本部へも運べない、心の改良もできないし、つくし運びもできないし、においがけもお助けもできないし、しゅはんらんかんことになりますねい。
人間の心のじがね、というものは、いたるところに心を使い出して、悪い時ばかり本部に運んで暮らしていると、一年のうちに二度ぐらいで、悪い時ばかり運んでいると、持ち前前の話しでもちきられるから、外に陽気になるような話を聞かしていただくところまでは話ができないので、お助けの仕方がよいとか、悪いとかといって、不足不足で帰宅をしている人もあるにはたくさんありますが、まったく困ったことだと本部では思っておりますが、
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いうことや。悪い時ばかりこないで、何事もない時に足繁く運んで、しっかりと助かっていただきたいと思いますがい、皆さんもこの御言葉をよく味わってください、ということや。よくわかったでしょう。
二九日
岐様(きさま) おたがいは かってまちがい たなにあげ 九五四 ☆ 七三八 二一一
一日之命様 ひとのすること どうやこうやと 仏減
強い者勝ちけんかばっかりで日を暮らしている人も、世の中にはたくさんあるように思いますが、皆さんはいかがでございますか。あれやこれやとけんかをふっかけたり、けんかをふっかけられて、けんかの相手になって、もちもさげもならんような日を送っている人も、世の中にはたくさんあるようでございますねい。
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らしていただきましょうねい。けんかするほど損なことはありませんねい世の中にはけんかをするのに命のやりとりをしたり、金をたくさん使ったりしまいには国をとられたり、あとのもんちゃくがなかん〜治まらんで困っている人も中にはたくさんあるように思いますが、
すべて一家の家庭の人もやり方がよいとか、悪いとか言うて、もめあったり、すれあったり、いつになってもこうしたけんかはやめられないものでしょうかねい。まあお互いはひとりひとり心して暮らしていただきましょう。わかったでしょう。
三〇日
美様(みさま) てんからは どんなときでも ひながたを 一六五 ☆ 八四九 三三七
一日之命様 みせてたすけて ようきづとめに 大安
してやろうと御心くだきのありがたいと、いうこともわからずに暮らしているのが人間でございますねい。神様の御言葉の中に、『にげつつかくれつお
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われつ通りてきたる道を忘れるな』と仰せでありますから、これからは絶対に、けんか口論なきように、命のとりやりやいっさいのたたかいとはやめた方がよいと思う。
この世上のひとりひとりがけんかをやめて暮らすなら、気楽安楽の生涯が送れるのでございますよ。にげつとかくれつおわれてつつ通りてきたる道を忘れるな、ということは、爆弾で逃げ、そかいをしてかくれ、追われ追われて丸裸になってもうで、やけくそ起して、うけては使いもうけては使いして、今だにうだつの上がらん人も世の中にはたくさんあるような。お互いにやけくそをやめて、まじめに暮らすことが幸福の元になるのだから、日々心して暮らしていただきましょうねい、ということや。
それだから、この人ならばという人はどんく〜導いて助けてやっていただいたいたいと思います。天からは、『人間にとひながた見せてあきらかにさとして
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われつ通りてきたる道を忘れるな』と仰せでありますから、これからは絶対に、けんか口論なきように、命のとりやりやいっさいのたたかいとはやめた方がよいと思う。
この世上のひとりひとりがけんかをやめて暮らすなら、気楽安楽の生涯が送れるのでございますよ。にげつとかくれつおわれてつつ通りてきたる道を忘れるな、ということは、爆弾で逃げ、そかいをしてかくれ、追われ追われて丸裸になってもうで、やけくそ起して、うけては使いもうけては使いして、今だにうだつの上がらん人も世の中にはたくさんあるような。お互いにやけくそをやめて、まじめに暮らすことが幸福の元になるのだから、日々心して暮らしていただきましょうねい、ということや。
それだから、この人ならばという人はどんく〜導いて助けてやっていただいたいたいと思います。天からは、『人間にとひながた見せてあきらかにさとして
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ある』と仰せの御言葉をよくささとっていただきたいとうございます。
『ひながた見せて』とは、お互様にやき払われて、丸裸になったことが、ひながたですから、二度とふたたび相手を求めて、けんかするようなことはよくないことと思いますから、各自の家庭が皆けんかをしなくなれば、日本はおろか、世界どこのどこまでづうとづうと治まることになって、極楽世界を見さしていただくことができるようになれば、お互も気楽安楽になることと思いますから、一日も早くおだやかな世界になるよう、念願しているような次第でございます、という意味の御言葉や。よくわかったでしょう。
おわり
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第五次 告示
このたび、左記のとおり門衛所・地下道及び参道の建設をすることになりましたから、自 昭和四十二年四月一日
至 同 年四月十六日
昭和四十二年四月一日
世界心道教 会 田 ヒ デ
代表役員
信者その他利害関係人各位
記
一、名称 第四期工事(内訳)……門衛所・地下道及び参道
二、型式 鉄筋コンクリート建
三、坪数 門衛所:一六二平米(約四九坪)
地下道:一八五平米(約五六坪)
参道:敷石、門柱等
四、予算 壱千六百万円
五、着工 昭和四十二年三月二十日
六、完成予定 同 年九月末日
七、施工者 竹中工務店
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◎ 昭和四十二年三月四日午前十時御書き取り
五月の心得につき御言辞御願い
一日
国狭土之命様 このつきは さみだれづきで あるほどに 二七六
一日之命様 あじおてくらせ このかぐらをば 赤口 ☆ 九五一 四三八
『あじおてくらせこのかぐらをば』ということは、どういうことであるならば、『きみだれづき』ということは、五月すなわち、雲読之命様の月なれば、嘆きやくだぎや、またうらみ、お互いにしてうんばっとうの苦しみで、泣きの日暮らしは天も見かねてざるゆえ、『嘆きくだぎや、またうらみ、やめて暮らせよ』という天の御警告なれば、いっさい味おうて暮らしましょう。
『このかぐら』とは、天地間の人々が動いている。すなわち、働いている
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ことを、かぐらという。お筆先の中にも、『かぐら両人つとめはな、これがたしかこのよはじまり』と仰せくだされてありますとおり、『かぐらは両人』とは、父母様のこと。
『たしかこのよはじまり』ということは、夫婦のこと。『夫婦始まり人間の種、たねに始めた親の理をつぐ親と知れ』とも仰せくだされてありますおり、夫婦が始まりで、この世がなりたっているのでしよう。
月日親様をはじめ、八方様、それに連なる人間、作物、草木、鳥畜類めす、おす、め花にお花、世の中のありさまは、いっさいこのとおりと思う天から聞かせていただいて、何から何までえとくして、感謝で暮らすこの子供、何事によらず人間の心のうちを受け取りて、日夜の守護のありがたさ、お互いこれからもは、なおいっそうにふんばりて、感謝の日暮らしいたしましょう、ということや。わかったでしょう。
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二日
月読 おちついて くしてゆけば なんはない 三八七
一日之命様 いつになりても たすけくださ 先勝 ☆ 一六二 五四九
落ち着いて、静かに暮らしているならば、何の病にもなりはせん。御言辞の中にも、『おちつけば、のみものくいのものふじゅうない』と仰せくだされてありますとおり、この御言辞のうらを返せば、起きる時間に起きないで、人が寝るころ起きて遊びに行く、ろくなことにはなりません。夜寝ずにそこら庭をうろつき歩き、朝になったら寝てしまう。そんなことでは一家の家庭は恵まれね。どこ〜までも皆様よ、いさい味わう心もて、お互様に、ういたりしずんだり、ということは、どういうことであるならば、何か喜びごとのある時は、ういたういたでうかれ出し、前後左右も考えずにむちゃくちゃに金を使ってしまう。そのあとが悲観をする、嘆くくどくけんかする
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病の元はここにある。こうした日々の日暮らしは、ういたり、しずんだり、ということや。こうしたことでは天から利益はいただけんでない。お互い様が心を軌道に乗せて暮らすならば、天も勇んで守護くださる、ということや。わかったでしょう。
三日
雲読 せかいじゅう 言葉ひとつで まとまるで 四九八
一日之命様 いつになりても こころしてよめ 友引 ☆ 二七三 六五一
天の御言辞の中に、『言葉一つが用木の力、言葉一つでどのような、自由用もいただける』と仰せくだされてありますおり、声のかけようで、先方に腹を立たすもあり、喜んでもらえるもあり。こちらの声のかけよう一つで自分が満足のできる言葉をかけてもらえるもあり。また御言辞の中に、『草木も虫もどこもかも、一つ言葉にまとまりがつく』とも仰せくだされてありますが、皆さんはどう思いになりますか。天地間にありとあらゆるものと
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いうものには、皆言葉というものがありますね。
この「会田ヒデ」が通る道いの中で、いろ〜と言われてきましたが、悟る力の「会田ヒデ」は、何んと言われても顔の色の変わらんところまで、悟る力を持つ研究をさしていただいてまいりましたが、まあかりに、人に「馬鹿野郎」と言われても、これからは、うまくしっかりやりしてもらおうなあ、と思って暮らしていただきました。ばかやろう、という字は、馬と鹿と原野をとって暮らしていただきました。ばかやろう、という字は、馬と鹿と原野って暮らしていただいてまいりました。
くるまと読めば下から読んでまるく、人間の体の機械でもそのとどく、体の中のにたんのうという機械がある、ということですねい。『たんのうのただ一口にいうものの胸のよろずはこれでおさまる』と仰せくだされてありますし。肺病という肺があるでしょう。はい〜と答えて暮らす、ぴょ


にはとんちゃくなく、お助けやら、いろ〜な道も通らしていただきましたが、親からは十一回も、かんどうされ、夫婦別れや、親子別れが三回、最後には離別され、そして昭和十三年に天降りをいただき、昭和十七年には、八社様の天降りをいただき、昭和二十一年には、東京から豊川に引っ越し、二十四年には、諏訪官林へ引っ越しをして、現在の所に落ち着かしていただいておるようなわけでございますから、これから先の道の次第も、理に理がそうてだん〜と、おおにぎわいの心のふしんが始まってくると思う。という親様の入信からの四十四年ぶりでようやくきょうの日でございます、ということや。
ですから、皆さん方も、ひるまずたゆまず、理に理をいただいて、道の発展に努力をしてゆけば、親様月日様、八方様に認められて、今世も来世も来々世もということは、万ごう末代見落しなく、お連れ通りをいただいて