世界心道教 りのさとし
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うはかなめ。またのうず、頭はのう、あれのこれのと暮らす心、これすなわ
ち、十二視神経というて、八社様の御心ののうず、人をふみつけて暮らす心
これすなわち、天に違反するゆえ、人をふみつけずに暮らす心。
しゃばの人がよく言うことでございますが、人間がこの世を去るいまわの
きわに、土ふまずがはれあがってくる時は、「長いことない」と申しており
ましたが、この土ふまずと、のうずとは、天と地とのすなわち、月日様の
み心に違反していなければ、頭の病、土ふまずの病にはかからんことにな
っておりますから、皆さんも日々心してお暮しください、ということや。
何から何まで日々の心のモっていき方と、現場とは、皆見るもの、聞くも
の、話すもの、かなな教えでございますから、心の改良に心して暮らす方が
よいと思う。人間という者は、いばり高ぶり強がりて暮らしていると、わざ
わいの元と思う。
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人が、「金を貸してくれ」とこられた時に、その言葉にのって、いばって
高ぶって妙味を感じて、頭を下げてくる人に、貸してやると、相手が頭を下
げただけ金を持っていくと、「返してくれないで」といって、腹を立つ。こ
れがあっちへ行っても、こっちへきても腹ばかり立っていると、世渡りをす
るのに人は相手にしなくなるから、広い世界に暮らしておりながら、世の中
を渡るのにせまくなってしまいますから、日々をよほど心して お暮しくだ
さい、ということや。わかったでしょう。
四日
皇根 いつまでも てんおんいちじょう 心せよ 五一九
一日之命様 こまかくさとり かんしゃするよう 先負 ☆ 三八四 七六二
『神一条、人間一条わかりたら、世界一条早く悟れよ』と仰せくだされて
いますが、天恩という天は天にあり。天からの御恩は地にあり。なぜなら
ば、おさかりが天から下ってくる。雨も雪も、雷様も皆天恩や。雷様の稲妻
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も稲ほのためになるとやら、雨がなければ雨ごい、とやら、大雪の年は作物
の豊年とやら、日々にわいてくる心、これすなわち、自分が日々にわいてく
る心を天に供えてあるから、うつりし理をつうし返してくださる、これ皆理か
なり。
御言辞の中に、『わかす心の理を調べ、あざやかとなる心しあんせ』と仰
せくだされてありますとおり、あけてもくれても天の御恩をわきまえて暮ら
す心が悟りの境地なり。人間というものは、物が一つ悟れると、神様ぜんと
すましこんで、人間が人間を助けることができないのに、おれがお前を助け
てやる、というような、大それた心になりてはならんから、天の月日親神様
が、高慢の心を使っていると、『のぼりたら、くだりはむこうにみえるぞ
や、ろくじをされと、おりのぼりなし』と仰せくだされてありますが、
日本数字の六の字は、点うって、横棒をひくでしょう。これすなわち、天
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の心を一筋に、『はいく〜と暮らす心になりてこい』と仰せくだされてあり
ますが、ハの字は六の字にあるでしょう。イは心、そこで、『はいく〜と一
筋心で暮らすなら、天も勇んで守護する』と仰せくだされてありますとおり
何ごとによらずいさい悟りにありとわれは知る。
御言辞の中に、『一二三と組んでいく、役割りできる、とりきまりする』
と仰せくだされてありますが、日本数字の一は一、夫、二は夫婦になりた時
が二、三は夫婦になって子供が授かる、これが三、一二三と組めば六、こう
して お互いが所帯をもって、この道の教えを聞いて守って暮らしていけばしあ
わせや。しあわせが四の数字。天恩の広大無辺をよくさされ、ということが
五のけた。日々に運んで聞いていただいて、迷わず暮らすが六の字や。七
宝様は大食天様、八宝様は大戸辺之命様。
三宝四宝は、国狭土様と月読様、五宝六宝、雲読様と煌根様、何から何ま
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で聞いていただく、これ九宝様、伊佐那岐之命様、十宝様は伊佐那美之命様、天地間で言えば母親の理。
一宝三宝と心して暮らすというのは、国床立之命様と面足之命様のこと。二三は国床様と、面足様と、国狭土様、四の五のいわず暮らす人こそ、さいわいや。四は月読様、五は雲読様、六宝七宝八宝と何から何まで教えを聞いて、家へもどりして親様からの理をば、家庭の者に取り次ぐが九宝に接するという。一から十まで語り合い、一家円満に暮らすこと。これすなわち、よろずの元をよく知って暮らすことこそ幸いなり。
この道を聞かしていただく前と、聞いていからどう違うか。御言葉の中に、『お互様は、この道あればこそ、という心なくばいかん』と仰せでありますとおり、お互様にこまかいところまで天恩をよく知って、一家の家庭の経済に行きつまるんように暮らすにありと思う。かべにつきあたって
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からではおそいから、何ごとによらず腹八分目という心になってお暮らしください、ということや。
『腹を立て立ちきると、【脳いっ血やら、心臓まひ】であの世とやらへいかねばならんことになるから、いつの時でもひかえめにしてお暮らしくだされ』といつも天の御警告なればば心して日夜お暮らしください、ということや。よくわかったでしょう。
五日
大食天(おおじきてん) こいの日たてていわうは よいけれど 六二一
一日之命様 いさいさとにゃ たすかりはせぬ 仏滅 ☆ 四九五 八七三
ということは、どういうことであるならば、昔から、「こいの滝のぼり」と言うて、世の人が言い伝えてきてきょうの日でございますが、「男の子が授かって、このこいのとおりに元気よく、育ちますように」とまごいや、ひごい、矢車と五色のほたをひがえし、日々の暮らしの相を現わしている
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これが矢車。人間の働く姿心に修めは五色ははた。
皆さんがたには教えていただいてごぞんじでしょうが、青は国床立之命様、赤のはたは面足之命様、紫なるは国狭土様、白は煌根之命様。黒はまごいで大食天之命様。黄色のはたは大戸辺之命様。まごいに続くひでいとは、男の子が成長して、赤の女をめとるとやら、この理を天に報告の姿、そこで天高く心供えの理。
あちらこちらの風にゆられて、ふら〜と遊ぶ姿や、学校で学びの姿。所帯もち、あるじと家内とまた子供、家庭内では毘沙門のたけきいかめし武者姿、真を守れる破軍七星、おうじんのしゃかのひるこのあかだづえ、いかな話しも真を知るなり、ということは、親が子供を育てて学校へやる、また働きにゆく、成長して所帯をもたす、親は子供にたいし、一し代通じていろいろな行事を行ない、育ての役。
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子供成人して親は楽しみ、幼時は子供のめんどうをみ、子供成人して、自分が育ててもろうた恩がえしに親のめんどうをみる。これすなわちたがい立てあい助けあい、一家の家庭が円満や。今の世上のありさまは、時々耳に時間ききますが、かかげのいたりとはいいながら、あまりといえばあとさき考えず、無ぼうなことを発言していることを、時々聞いておりますが、天恩知らずのあほう者、からすがあほうと鳴いている。すずはちゅうちゅううなんのこと。せみはみん〜つくつくす、天然自然のご天想。人間様に悟れよと、天のおさとしこれかなかな。悟りの力わからねば、がんぜ知らずも同じこと。
今の父母六、七十、さすれば子供は三、四十、嫁もらうして子ができてその子にいろ〜言われたら、どうまたお悟りなさいます。そのまた子供が成
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ま進んでいったなら、どうなることか知らねど、末は恐ろしいことになると。
そこでお互いは、道を正して向きかえて、親に孝養いたしましょう。
そこでお互いは、五月五日のこいのぼり、風にゆられてゆら〜と、暮らせにゃならんことになる。お互いはしっかりと一家の家庭を見守りて暮らしてゆくが第一や。悟りの力心におさめて暮らしましょう、ということや。よくわかったでしょう。
六日
大戸辺之命様 いかなるときも てんのまもり 大安 ☆ 五一六 九八四
一日之命様 あるのやで、ということは、どういうことであるならば、一家の家庭のひとりひとりの腹の中、鬼やら蛇やらわからんような心では、天の御供できやせん。また御連れ通りはいただけん。お互様にこれからは、腹の中をば、か
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いこんして、理というものを喜んで暮らすことならば、天のおん供末代や。御連れ通りもいただける。
一家の人々は、語れることでも語れんことでも語りあい、いつの時でも、うちとけあって暮らしていけば難はない。一家の家庭で家出するようなこともない。親は子供につまらんことを聞かせると、だれえ苦しみ家出する。年老いた親にむかって、あれこれとっつけんどんにあたりちらして暮らしていると、年老いた親が家出する。嫁のことをば年老いた親がとやかくいうて暮らしていると、嫁が家出する。年老いた親と孫とが暮らすようになるそんなこといつまでやっていたとても、語りあわねばらしがあかぬ。ちらしがかねば日が照らん、やぶれちぎれてかけてゆく。一家の家庭が破滅になる『こんなことでは、むつまじいとは言えようまいがなぁ』と天で仰せでござ
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います、聞いた瞬間、見た瞬間、自分で自分の心をば、正しく導きがえし、暮らしてゆけば皆様よ、交通事故や殺人罪、強盗、窃盗、さぎ、横領、こうしたことにはならないのに、学校で学んだことはみな忘れ、わが身の私欲、が欲から、この世の中は泥の海、こちらあたりでお互いは、道を正して暮らして行けばよいものを、不時災難やけががあやまちゃ、不足不足の世渡りをしていることをやめて、暮らすことこそしあわせや。
ラジオや新聞、またテレビ、世の中のひとりひとりが安心して暮らしてゆかねばならんことになるから、皆様よ天の法則よく守り、国のおきてもよく守り、交通事故のことやとて、よっぱらい運転や追越、歩行の人でも、運転手も、双方共に実行して暮らしてゆけばよいものを、どうして国のおきてが守れぬのか、実にになげかわしいことになる。
世の人ごとに注意して、言われるまでもないことを、実行せずに死んでゆ
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く、けががあやまちでかたわとなる、世の人でとにはいせきされて、まぐれあたりでお互いが生きているような日暮らしは、むつまし人とは言わんで、心して読め、お互いは実行するようにいたしましょう、ということや。わかったでしょう。
七日
国床立之命様 さとりのうては なにもわかん 赤口 ☆ 六二七 一九五
一日之命様 いろいろな うたのかずかず あるけれど
この世は、歌でせめきりあるけれど、歌をうとうていながらも、心にむうち実行にうつしていかねば、歌の理も何の役にもたちはせん。物見遊山や、寺参り、芝居、映画やあれこれと、物見遊山もかずあれど、現場目に見ることでジ、心がぬきで、わが身の思案にあけくれて、末の細道知らぬゆえ。
『末の細道』とは何んのこと、年老いて身上になりて、五尺の体が動けぬ
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で、水いっぱいも飲めぬようなことになったら細道や、心して読めりのさとし、わかりがついたら実行にうつして、感謝の日暮らしいたしましょう。
天の御言葉の中に、『どうなりと、なげすててでもただ一つ、台の心によせてかたまり』親様月日様を真として、落ち着きはろうて泰然自若と、心静かに暮らすなら、けががあやまちもなくなりて、病や事情もなくなりて、一家そろって笑顔にと、暮らせることに相なりますで、親様月日様を真として、お国のためや、世のためや、一家のためというように、心のピントを合わせずに本部に運び、つまらんことをば皆やめて、理でなる道をよく知りて、映画や芝居や、寺参り、物見遊山も身につくことになるゆえに、けっしてひだにはならんから、理というものをお互が、深くとりて日々に天の御恩や、夫の恩、妻の恩やら、子供の恩、親の恩やら、親戚の恩、縁者の恩やら、物の恩。
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芽ばえふっきり花咲き実りの恩、恩のかずく〜山ほどさとり、陽気遊山のありがたさ、世の中の人がよく働いて、「くたびれた」と言う人がたくさんあるように思いますが、働いたのではない、わがことをして、日々遊ばしていただいておるようなものなれば、「きょう一日無事に遊ばしていただいてありがとうございます」と親やら、人やら、天やらにお礼を申しあげて暮してゆくが第一と思う。よくわかったでしょう。
八日
面足之命様 やさしくて ふそくのなきが まるきなり 九五四
一日之命様 てるもてらぬも そこにあるなり 先勝 ☆ 七三八 二一六
『やさしい』ということは、何事によらず問われた時に、相手方にわかるように話しをしてやるのが、やさしいという。日々に、『不足をする』ということは、自分の思うがままにならないから、いつの時でも反抗心を持って相手方ののしる。その心を天が御ながめになって、『こらく〜そうした心は
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違うぞ』と仰せくださるその時に、反抗心をもつゆえに不足が、【かぜ】とわれは知る。
人間の言葉がかぜであるゆえに、いちめいいかぜをひくという。そこで不足しない人が天の目から御らんになりて、『やさしいすなおおな、にゅううわな心の持ち主だなあ』と御思いになる。これすなわち、やさしくて不足のなぎが丸きなり、天の御照らしがすなわぢ、思えばそのまま、言えばそのままの利益をいただける人のことを、『照る』
『照らん』というのは、局部局部に自由用のいただける人のことを、照らんということや。お互いに、『自由用をいただける人と、自由用をいただける人と心のひらきがそこにあるのでございますよ』と天の仰せの御言葉でございます。よくわかったでしょう。
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九日
国狭土之命様 おたがいに きいてつたえて もちいずば 一六五
一日之命様 これにしこたる はんたいはない 仏滅 ☆ 八四九 三二七
お互様に天から助かる道を聞かしていただいておおりながら、また人様にも取り次いでおりながら、この教えを用いていかねば、天に対してこれほど親の月日様のことの不孝者はない、ということや。
反対は腹の中にあるから、『反対(腹の中)はうちにあるからそとにある、見る聞く理を思案するよう』と仰せくだされてありますが、お互様にしっかりと実行にうつして、改良していていただいて、助けていただいて、暮らしてしてもらうことが第一と思う。
ある教会の会長の所へ、ある信徒がきて、「あんたはこのたび本部へどこのくらいおつくしするのか」と尋ねたそうな。そうすると、会長が、「私はこのくらいのいつくしますよ」と言うたそうな。そうすると、「そんなにまでつく
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さんでもいいじゃないか、おれと同じに、これだけつくしなよ」と言うたそな。そこで会長が、「お前さんはお前さんでつくせばよい、おれはおれで決めただけ、つくすよ」と言えばいいものを、「お前がそれだけなら、おれもお前と同じにしておこう、よけいいつくしたんではばか〜しい」と言うて、おつくしをへらしたそうな。
そうしてみると、会長の腹には、これくらいと思っていたから、外から自分の心どおりに言われて、「そんならおれもおまえと同じにしよう」と言うて、ふたり共、同じ値段にして、本部へ持ってきて、「親様、あの人がああ言うことを言うたから、私もあの人と同じにしましたよ」と言うて持ってきてだから、こちらでは、『そうですか、いくらでも結構ですから、これからもしっかりと おつくしをしてくださいね。あなた方のことは天から御利益をくださるし、そちらでつくしてくだされば、こちらも助かりますでねい』と申
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したことがありました。
また日を改めて、その教会の信徒が本部へきて、親様に伺って会長のことと言って、「あんたはいいくら本部へつくすのか」と言うたら、「これく〜つくすよ」と言うて、「お前さんよりおれの方がよけいつくしていたんではばか〜しいから、お前さんといっしょにするよ」と言うて、信徒が会長のことを親様に言うておりましたが、『ああ、そうかね、こちらはどちらでも結構ですから、おつくししてくださいねい』と申して帰ってもらいましたが、どちらがまほう(ほうとう)や、うそやらわかりませんが、親様の方では、おつくしをしてくださるまでですから、望みがないからべつのにむか〜と腹も立ちませんでしたが、聞かされた瞬間には、あまりいい気持ちもしませんでしたが、おつくしのことなどは語り合わずに、思いうかがし気づかしいいただいたのは、てんぐ〜につくしていただけばよいものを、語り合わんでもよいこと
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は語り合ってつくしをへらしたり、双方で反抗心を持って、双方側が悪いようなことを言って、親様につげ口をしていたのでは、こちらはまことに迷惑をいたしますから、お互様は語り合うことでも、そうした陰徳を積むようなことは語り合わん方がいいと思いますねい、ということや。よくわかったでしょう。
一〇日
月読之命様 どうこうと かたりあわして したことに 二七六
一日之命様 まともにできる ことはないから 大安 ☆ 九五一 四三八
ということは、夫婦でも、親子でも、親戚縁者でも、「今度こういうことをやらせてもらおうと思うが、どうだろうかねい」と会社を始めるにせよ、商売をするにせよ、百姓をやるにせよ、地所を買って家を造るにせよ、事によらず、人間同志で語り合ってしたことは、まともにできれば結構だが金を借りたりして、地所を借りたり、人間という者は仲の良い時はよいけれ
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ど、人間のくふう才知はあてにならんし、『人間同士が語り合いてしたことにまともにできることはないから』と仰せくだされてありますとおり、まっ たくのことと思います。
親様のやかたへ人様がみえて、「これく〜こういう機械を買って、これこれこういう商売をやりたいのですが、どうでしょうか」とこられた方がおられたから、親様が天に御伺いしましたところ、天は、「今までのだなれた商売をしていればよいのであって、なれないことをやると失敗をするぞ」と仰せくだされましたから、尋ねてこられた方に申しましたところ、自分がきめてきたことを、どこまでも親様に許可をとりにきたようなこと目で、天の仰せどおり言えば、「あぁでもない、こうでもない」と自信まんく〜で親様にさからっておりましたから、『そんなにさからうほどの自信があるならば、伺いにこなければよかったじゃないか、そんなにどうこう言うなら、自分の思
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ったとおりにやりなさい』と申しましたところ、あっけにとられて、「親様申しわけございませんでした、親様のおっしゃるとおりにさしていただきます」と言って帰って行きましたが、
二、三か月たつと、またその人が本部へきて、親様に、「どうしてももあきらめられないから、自分の思うとおりにやりましたところ、とう〜失敗に終りました。親様これから先どうしたらよいでしょうか」と申しましたから、『その機械を売って、元の商売をやればいいじゃないか』と申しましたところ、「そうしていたきます」とかんたんに聞き分けて、もどって行きましたが、また二、三か月すると、本部んきて、「親様のおっしゃるとおりにしないで、あとから買った機械を持ち続けて、規模を小さくして、前の商売といっしょにやっておりましたが、前の方の商売の黒字の金と、あとの商売の赤字とうめ合わせて、黒字の方より赤字の方が少しよけいで困りました」


にはとんちゃくなく、お助けやら、いろ〜な道も通らしていただきましたが、親からは十一回も、かんどうされ、夫婦別れや、親子別れが三回、最後には離別され、そして昭和十三年に天降りをいただき、昭和十七年には、八社様の天降りをいただき、昭和二十一年には、東京から豊川に引っ越し、二十四年には、諏訪官林へ引っ越しをして、現在の所に落ち着かしていただいておるようなわけでございますから、これから先の道の次第も、理に理がそうてだん〜と、おおにぎわいの心のふしんが始まってくると思う。という親様の入信からの四十四年ぶりでようやくきょうの日でございます、ということや。
ですから、皆さん方も、ひるまずたゆまず、理に理をいただいて、道の発展に努力をしてゆけば、親様月日様、八方様に認められて、今世も来世も来々世もということは、万ごう末代見落しなく、お連れ通りをいただいて