世界心道教 りのさとし
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でねい。それから、
【伊佐那岐之命様】は、人間の父親の理。
【伊佐那美之命様】は、人間の母親の理。
さすれば父母様の子供となる人は、父の教えや母の教えをよく守って、父親や母親の行いのよいところはとり入れて実行し、父親や母親の悪いところは改良して、見直して、きりかえて暮らすにありと思う。さすれば、十社様の親様の、み心をみ心として暮らしていただきたいさいすれば、この世上という、実社会に出て働いてもらっても、わが身にしあわせが向いてくる、ということや。
八方ちょっともちがわぬよう、さしがね定木の道ならば、心してお暮らしください、ということや。『お互に難儀したくもできぬ世や。八方十方さとりとるよう』と仰せくだされてあるでございますから、八方様の理をしっ。
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かりとさとりをとって、八方様や十方様の心に違反しないようにしてお暮らしください、ということや。よくわかったでしょう。
二三日 月読之命様 おたがいはいくたのじっしょうみてあろう 八四三
さとりのとれたら におううつせよ 友引 ☆ 六二七
一九五 🐒
と天で仰せくだされてあるのでございますから、わかっていていながら、においはうつさず、助けもせず、つくし運びもせず、心の改良もせず暮らしていたのでは、天の御神意にかなわんから、ろくな利益はいただけませんねい。惜心してしっかりとした、ありがたい御利益をたくさんいただいてくだね。お互様は長年の間聞きかしていただいて、いろ〜と御利益もたくさんいただいておられるでしょう。
それだから、自分が助けていただいたありがたいということを、人さんにお話しをしてあげて、そして、人様にも助かっていただいてくださいね。そ。
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して共に助け合って、しっかりとこの道をやっていただきたい、ということや。よくわかったでしょう。
二四日 雲読之命様 なにとても こころしてよめ こののかぐら 九五四
いつになりても みなこのとおり 先負 ☆ 七三八
二一六 🐗
『いつになりても心して読めこのかぐら』とは、どういうことであるならば、人間がこの世に生まれさしていただいて、日夜行動しているでしょう。その行動して暮らしていただいてお人の、ひとりひとりを見きわめて、「あゝ、あの人はあゝいう行いをしているなあ。あゝこの人はこうゆうことをやっているなあ。あゝあの人は一つの会社の社長になっているなあ。あゝの人は一家の家庭のあるじになったなあ。あゝあの人は一家の家庭の奥さんになったなあ。あゝあそこの家では子供がひとり授かったなあ。どういう教育の仕方をするか。ふたりめの子供はどういうふうな性質かなあ。あそ
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この娘はあゝいう行いをする子だなあ。あゝあそこの親はまじめな性格だなあ。あゝあそこの奥さんは少しこしぜいたくなだなあ。あゝあそこの家では親ゆずりの財産をもらって、ぜいたくに暮らしているなあ。あゝあそこの家では親をみがしまりやで、家内が苦しんでいるなあ」といっさい世の中の人の動きをみて、よいところだけをとって、実行してさえゆけば、結構づくめになるのは理の当然と思う。良いことも悪いこともしながら暮らしてもらって動いていることが、天からは、『かぐら舞い』という。
神様の御言葉の中に、『かぐら両人つとめはなあ、これがたしかこの世はじまり』と仰せくだされてありますが、これは、かぐら両人とは父母様のこと、そこからこの世の中がなりたっている、ということ。いつになりてをもみなことおりという意味あいの御言葉もよくわかったでしょう。
そこで各自の家庭をながめて、「あゝいう行いをすればそうなったのか
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八方様ということも、日夜忘れてしまって、身上になった時、親様月日様と思い出したような信仰をしている人が、いつの時でも案じがわいてきて、
「親様月日様、行く末長くお連れ通り願います」とか、または「親様月日様この私をお見すてでなく」とかか申しておる人も、なかにはたくさんあるように思いますが、
親様月日様、八方様ということを考えてもいない人が、ようするに親様月日様をみすてているのでしょう。だから、おみすてなくというような言葉を出さなければならないようなことになるでしょう。そこでこれからお互様は、親様月日様、八方様ということとに、無関心で暮らしているようなことで、心を軌道にのせて暮らしていただいた方が得だと思う。よくわかったでしょう。
二六日 大食天之命様 おたがいに こそくなこころ みなやめて 二七六
くらせばともに ようきぐらしが 大安 ☆ 九五一
四三八 🐂
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できるということや。『こそくな心』ということは、ささいなことに腹を立ったり、不足をしたり、いつになってもきれめなく、御連れ通りのきょうの日や。さすれば皆さんこれからは、共に手をとりむつまじく、世界のみにあらためて、どっちからでもふんばりて、道の次第もよくわかり、天のみ心もよくわかり、台の心もよく知って、本部の人々の心もよく味わい、一家族の人々の心もめい〜よく悟り、親戚縁者の人々の心も、ひとりひとりよく味わい、それからそれいいと道つけて、感謝の日暮らしいいたしましょう。こうして暮らしてもらうことが、こそくな心のない人と思う。そこでめいめいお互が、陽気に暮らせることになると思う。
世の中によくある、殺人、強盗、窃盗、さぎ、横領というようなことも、もとはといえばこそくな心から生じて、五尺の体のおきどころのないような道を歩んだら、人にけいべつされてしまうし、ささいな道を歩くために、
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いろ〜な悪風をたてられて、世目をせまく渡らにゃならんことにもなるし、お互様に、「言うはやすし、行いがたし」で、まことに困ったものでございますねい。お互様に、日夜心して日暮らしをさしていただきましたしょうねい、ということや。よくわかったでしょう。
二七日 大戸辺之命様 おたがいは いつまたどこで あえるよな 三八七
こころでいては ともにくらやみ 赤口 ☆ 一六二
五四九 🐅
ということや、どういうことであるならば、天の御言葉の中に、『一家の家庭は、主従親子や兄弟の皆因縁の集まりである』と仰せくだされてありますが、いつも申し上げておるように、一家の家庭というものは、汽車の中の乗組員のようなもので、いつどこでどういう災難に出会って下車をする、というように、出直しになっても、いつまたどこで会えるというような心でいたの
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では、共にくらやみとなります、必ず天が仲立で、どこへも去ってしまうのではありませんよ。
親が子となり子が親となり、また親戚縁者ともなり、また世の中の人がよくいう、「つらい浮世」だとか、または、「世の中は割りきれない世の中だ」とか、「わしにはこうしたいやな因縁はないはずだ」とか、「あそこと家は金持長者だ」とか、「おらんところは家庭にめぐれない」とか、いろいろ〜なぐちゃや小言で暮らしておられる人も、世の中にはたくさんありますが、
とにかく人間というものは、身から出たさびであって、いつどこでどどの様な種をまいておったか、『どこから生まれてきたのやら、どこへ死んでゆくのやら、人間としてあとさき知りたる者はなし』と天ではいつも仰せでございますが、天の方では人間の心を受け取って、いつも天によいことも悪いことも貯蓄がしてあるのですから、なによのことも一つも心配はありませんね
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い。それだからお互様は、日々気をつけて不平不満をとりこまぬよう、喜び勇んで感謝の日暮らしをさしていただきましょうねい、ということや。よくわかったでしょう。
二八日 岐神様 りというものを なんとみる 四九八
りというものは てんのほうそく 先勝 ☆ 二七三
六五一 🐊
皆さん方は、本部に運んで聞かせていただいて、理というものをよくわかり、人の心というものは、どういう心で暮らしておられるということもしっかり、自分ということもしよくわかっているはずのこと。良い心はよいけれど、悪い心はきりかえて、良い心の持ち主になって暮らしていただいてどうではありませんか。
『理というものは天の法則』と仰せくだされてありますが、理というものは、天の法律おいたも同じこと』と仰せくだされてあ
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りますとおり、国の法律を守らねば、どういう報いがくるのでしょうか。さすれば天の法律を守らなければ、どういう理が現われてくるのでしょうか。教えを守らのが、天へやいばを向けているも同じことで、どういう天罰をうけて、どういう事情や身上が現われてくるのでしょうか。
とにかく人間というものが、気付いていながら、気付いていないところを本部へ運んで聞かしていただくのだから、よく見つけて教えにもとづいて、実行家になってお暮らしください、ということや。天の御言葉の中に、『よく〜思案定めてついてこい。どんなときでも助けてやるぞ』という御慈悲のこもったお心を、よく〜くみとってお暮らしください、ということや。わかったでしょう。
二九日 美様 みなひとは りというものを しらんゆえ 五一一
なってくるりに おそれいるので 友引 ☆ 三八四
七六二 🐕
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まことに困りますねい。それだから理というものを知っている皆さんが一日も早く、西も東も何も知らずに暮らししている人に対し、人間の魂の親は月日様であるということを、においかけをしてお助けをして、心の改良をしてもらって、つくし運びに応念なく暮らしてもらって、だん〜と理というものもわかってくるのですから、聞かせていただいて、自分だけ助かっていたのでは、四海同胞のよしみとして、これほど薄情者はありませんねい。天に対しても申しわけないことになりますから、世の中の人を見わけて導いてやっていただきたいとうございます。
とにかく皆さんは、世の中の人を助けるという容易ならん責任があるのですよ。なぜならば、お互様にげんとう二世の利益をいただいて暮らしてらうのには、今世はおろか来世の路銀、すなわち来世のみやげ、またはこの世へ出て来る時に、幸福な家庭を結べるという陰徳を、今世いきある間に
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徳を積んで親元にかえり、再びきりょうよしに生まれさしていただくのには(鼻)
低いやさしい、すななな心で暮らしてゆけば、【おも高な顔】になり。
良いことと悪いことと目をつぶって通らしていただけば、【目のぱっちり】とした目にもなり。
人の悪口やら、ほめるやら、あけっぱなしの出しやばりの、よいくなことをしゃべって、色情因縁の強い人は、口にしまりがなく、変な口元になりますから、心がきりっとしまった人になって暮らしてゆきさえすれば【口元の愛らしい】人にもなり。
おれの悪口を人がゆっていないかと、きき耳立てるような心を使っていると、【おかしなかっこうの耳】にもなりますから、そういう余分な心を使わずに暮らせば、あたりまえの耳かたちにもなり、【よく聞える耳】にもなり。
忍耐力の強い人になって暮らせば、【福々しい柔和な顔かたち】にもなり。
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ますし。
【色目】に生まれさしてもらうのは、今世やつきになって、腹を立つ心をやめて通れば色目の顔になりますよ。
こうまんな心をやめて暮らしていただけば、【中肉中指のよい姿】になって生まれさしていただくことができるのだそうでございます。
外へとび出すような心を使って、親に苦労ばかりかけていると、【足の煩い】をうけますから、これからは、いつい素直な心の持ち主にならしていただきましょうねい。
そして世の中の人人は、自然天然になってくる理におびえている人が、たくさんあるようでございますが、理というものを守って暮らしていただけば神様の御言葉の中に、『天地世界におそるものなし』と仰せくだされてありますとおり、『何もこわみなあぶなげもない』と仰せでございますから、し
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っかりとお道の心になってお暮らしください、ということや。よくわかったでしょう。お道の精神の心がけが第一と思う。
三〇日 国狭土之命様 おたがいに かたることばは おなじでも 六二一
こころちがえば うけとりないから 先負 ☆ 四九五
八七三 🐍
ということは、親様月日様、八方様の天降りのやかたに運んで、理というものを聞かせていただいて実行してゆけば、皆ひとりひとりが助かっておられるでしょう。なれど天保九年からきょうの日まで、いろ〜な宗派もあれば、いろ〜な勉強もありますが、指導をうけていない勝手なひとり勉強は天降りのやかたに運んで聞かしていただけておる人と、無軌道で理というものもわからずに読んでばかりいたのでは、自我の悟りゆえ、天からのうけとりはありませんでねい。
それですから、しょせん助からんことになりますからねい。一日も早く運
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んで助かっていただきたいと思います。とにかく書いて語ってはおりますが語ればわずかな言葉ですが、これを大衆の前で会議をしてゆけば、万巻の書物になりますねい。
『共に語りて共々に、広く大きく真定め、こそくな心を皆やめて、かかりは一つ大きな心になれ』と天から仰せでございますが、小さな心ではにっちもさっちもいかんようになりますから、いつの時でも腹を立つときは、くるっとまいて、陽気な心になり、不足の心のわきおこるときも、くるっとむきをかえて、はれ〜とした心になって暮らしさせていただくことが肝心と思うこうした心が使いわけていれば、天から受け取っていくということできるという元ねでございますからね。よくわかったでしょう。
三一日 月読之命様 あちこちと においうつして たすけても 七三二
しゅうりこやしを せねばいかんかで 仏滅 ☆ 五一六
九八四 🐎
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まことにのことと思います。お互様に畑に種をまいをつけて、しゅうり肥しをしなければ立ち消えになったり、草だらけになったりして、まいた種を実りとることはできませんねい。ですからお互様はあきずにこりずに、種から芽をふっきるまでは、いろ〜とたんせいするのがにおいがけ。
それから、一つの身上事情のお助けするのが二段階。心の改良さすのが三段階。本部に入って聞かしてもらうのが四段階。それから陰徳積むのが五段階。六月のおついたちに稲の苗代。これが苗床。これ気がにおいがけ。田植がおり取りが、皆さんと手をたずさえて本部へ運ぶのが、実りとりの各自の家庭へ収穫の時期となるのですから。
自分が天から子供を授けていただいて、母の胎内へ宿してくだされて十カ月。二十年はむだ飯。それから家庭を持たして、妻や夫を迎える。それが二
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十四、五才。そのこと思えば、五尺の体になってはおるが、理というものがわからんから、むちゃも言えば不足もする。それを助け人が気短かおこしてほうってしまうしたら、種のまきっぱなしと同じことで、ついてきてはくれませんでねい。たんせいして育ててやってください、ということや。これが『しゅうりこやしで花が咲く』ということや。
助け人も、天の御言葉の中に、『人を助けてわが身助かる』ということをお忘れなくお暮らしくださいませ。日々なみな天でみわけいていてくださるのだから、しっかりとひとりひとりをたんせいして、親心になって導いてやってください、ということや。わかったでしょう。
お わ り
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(◎ 昭和四十二年二月二日午後八時十五分御書き取り)
四月の心得につき御言葉御願い
一日 雲読之命様 しあわせがむいてくるのもないのも 八四三
こころひとつで どんなことでも 大安 ☆ 六二七
一九五 🐕
みなとりのと思います。だが皆さん、古くより運んでおられる人々が助かっておられるでしょう。それだから、このお道を聞かせていただいていて多くの御利益をいただいておられる人が、新らしい人を育ててやっていただきたいとうございます。
先日ある所のお人が、「甘露様は月様、合様とは会田ヒデ様」と言われましたが、これは大きなまちがいですよ。なぜならば、「会田ヒデ」はあたりまえの人間でございますよ。そこで、この「会田ヒデ」が、『甘露様』
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にはとんちゃくなく、お助けやら、いろ〜な道も通らしていただきましたが、親からは十一回も、かんどうされ、夫婦別れや、親子別れが三回、最後には離別され、そして昭和十三年に天降りをいただき、昭和十七年には、八社様の天降りをいただき、昭和二十一年には、東京から豊川に引っ越し、二十四年には、諏訪官林へ引っ越しをして、現在の所に落ち着かしていただいておるようなわけでございますから、これから先の道の次第も、理に理がそうてだん〜と、おおにぎわいの心のふしんが始まってくると思う。という親様の入信からの四十四年ぶりでようやくきょうの日でございます、ということや。
ですから、皆さん方も、ひるまずたゆまず、理に理をいただいて、道の発展に努力をしてゆけば、親様月日様、八方様に認められて、今世も来世も来々世もということは、万ごう末代見落しなく、お連れ通りをいただいて