世界心道教 りのさとし
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ある』と仰せの御言葉をよくささとっていただきたいとうございます。
『ひながた見せて』とは、お互様にやき払われて、丸裸になったことが、ひながたですから、二度とふたたび相手を求めて、けんかするようなことはよくないことと思いますから、各自の家庭が皆けんかをしなくなれば、日本はおろか、世界どこのどこまでづうとづうと治まることになって、極楽世界を見さしていただくことができるようになれば、お互も気楽安楽になることと思いますから、一日も早くおだやかな世界になるよう、念願しているような次第でございます、という意味の御言葉や。よくわかったでしょう。
おわり
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第五次 告示
このたび、左記のとおり門衛所・地下道及び参道の建設をすることになりましたから、自 昭和四十二年四月一日
至 同 年四月十六日
昭和四十二年四月一日
世界心道教 会 田 ヒ デ
代表役員
信者その他利害関係人各位
記
一、名称 第四期工事(内訳)……門衛所・地下道及び参道
二、型式 鉄筋コンクリート建
三、坪数 門衛所:一六二平米(約四九坪)
地下道:一八五平米(約五六坪)
参道:敷石、門柱等
四、予算 壱千六百万円
五、着工 昭和四十二年三月二十日
六、完成予定 同 年九月末日
七、施工者 竹中工務店
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◎ 昭和四十二年三月四日午前十時御書き取り
五月の心得につき御言辞御願い
一日
国狭土之命様 このつきは さみだれづきで あるほどに 二七六
一日之命様 あじおてくらせ このかぐらをば 赤口 ☆ 九五一 四三八
『あじおてくらせこのかぐらをば』ということは、どういうことであるならば、『きみだれづき』ということは、五月すなわち、雲読之命様の月なれば、嘆きやくだぎや、またうらみ、お互いにしてうんばっとうの苦しみで、泣きの日暮らしは天も見かねてざるゆえ、『嘆きくだぎや、またうらみ、やめて暮らせよ』という天の御警告なれば、いっさい味おうて暮らしましょう。
『このかぐら』とは、天地間の人々が動いている。すなわち、働いている
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ことを、かぐらという。お筆先の中にも、『かぐら両人つとめはな、これがたしかこのよはじまり』と仰せくだされてありますとおり、『かぐらは両人』とは、父母様のこと。
『たしかこのよはじまり』ということは、夫婦のこと。『夫婦始まり人間の種、たねに始めた親の理をつぐ親と知れ』とも仰せくだされてありますおり、夫婦が始まりで、この世がなりたっているのでしよう。
月日親様をはじめ、八方様、それに連なる人間、作物、草木、鳥畜類めす、おす、め花にお花、世の中のありさまは、いっさいこのとおりと思う天から聞かせていただいて、何から何までえとくして、感謝で暮らすこの子供、何事によらず人間の心のうちを受け取りて、日夜の守護のありがたさ、お互いこれからもは、なおいっそうにふんばりて、感謝の日暮らしいたしましょう、ということや。わかったでしょう。
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二日
月読 おちついて くしてゆけば なんはない 三八七
一日之命様 いつになりても たすけくださ 先勝 ☆ 一六二 五四九
落ち着いて、静かに暮らしているならば、何の病にもなりはせん。御言辞の中にも、『おちつけば、のみものくいのものふじゅうない』と仰せくだされてありますとおり、この御言辞のうらを返せば、起きる時間に起きないで、人が寝るころ起きて遊びに行く、ろくなことにはなりません。夜寝ずにそこら庭をうろつき歩き、朝になったら寝てしまう。そんなことでは一家の家庭は恵まれね。どこ〜までも皆様よ、いさい味わう心もて、お互様に、ういたりしずんだり、ということは、どういうことであるならば、何か喜びごとのある時は、ういたういたでうかれ出し、前後左右も考えずにむちゃくちゃに金を使ってしまう。そのあとが悲観をする、嘆くくどくけんかする
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病の元はここにある。こうした日々の日暮らしは、ういたり、しずんだり、ということや。こうしたことでは天から利益はいただけんでない。お互い様が心を軌道に乗せて暮らすならば、天も勇んで守護くださる、ということや。わかったでしょう。
三日
雲読 せかいじゅう 言葉ひとつで まとまるで 四九八
一日之命様 いつになりても こころしてよめ 友引 ☆ 二七三 六五一
天の御言辞の中に、『言葉一つが用木の力、言葉一つでどのような、自由用もいただける』と仰せくだされてありますおり、声のかけようで、先方に腹を立たすもあり、喜んでもらえるもあり。こちらの声のかけよう一つで自分が満足のできる言葉をかけてもらえるもあり。また御言辞の中に、『草木も虫もどこもかも、一つ言葉にまとまりがつく』とも仰せくだされてありますが、皆さんはどう思いになりますか。天地間にありとあらゆるものと
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いうものには、皆言葉というものがありますね。
この「会田ヒデ」が通る道いの中で、いろ〜と言われてきましたが、悟る力の「会田ヒデ」は、何んと言われても顔の色の変わらんところまで、悟る力を持つ研究をさしていただいてまいりましたが、まあかりに、人に「馬鹿野郎」と言われても、これからは、うまくしっかりやりしてもらおうなあ、と思って暮らしていただきました。ばかやろう、という字は、馬と鹿と原野をとって暮らしていただきました。ばかやろう、という字は、馬と鹿と原野って暮らしていただいてまいりました。
くるまと読めば下から読んでまるく、人間の体の機械でもそのとどく、体の中のにたんのうという機械がある、ということですねい。『たんのうのただ一口にいうものの胸のよろずはこれでおさまる』と仰せくだされてありますし。肺病という肺があるでしょう。はい〜と答えて暮らす、ぴょ
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うはかなめ。またのうず、頭はのう、あれのこれのと暮らす心、これすなわ
ち、十二視神経というて、八社様の御心ののうず、人をふみつけて暮らす心
これすなわち、天に違反するゆえ、人をふみつけずに暮らす心。
しゃばの人がよく言うことでございますが、人間がこの世を去るいまわの
きわに、土ふまずがはれあがってくる時は、「長いことない」と申しており
ましたが、この土ふまずと、のうずとは、天と地とのすなわち、月日様の
み心に違反していなければ、頭の病、土ふまずの病にはかからんことにな
っておりますから、皆さんも日々心してお暮しください、ということや。
何から何まで日々の心のモっていき方と、現場とは、皆見るもの、聞くも
の、話すもの、かなな教えでございますから、心の改良に心して暮らす方が
よいと思う。人間という者は、いばり高ぶり強がりて暮らしていると、わざ
わいの元と思う。
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人が、「金を貸してくれ」とこられた時に、その言葉にのって、いばって
高ぶって妙味を感じて、頭を下げてくる人に、貸してやると、相手が頭を下
げただけ金を持っていくと、「返してくれないで」といって、腹を立つ。こ
れがあっちへ行っても、こっちへきても腹ばかり立っていると、世渡りをす
るのに人は相手にしなくなるから、広い世界に暮らしておりながら、世の中
を渡るのにせまくなってしまいますから、日々をよほど心して お暮しくだ
さい、ということや。わかったでしょう。
四日
皇根 いつまでも てんおんいちじょう 心せよ 五一九
一日之命様 こまかくさとり かんしゃするよう 先負 ☆ 三八四 七六二
『神一条、人間一条わかりたら、世界一条早く悟れよ』と仰せくだされて
いますが、天恩という天は天にあり。天からの御恩は地にあり。なぜなら
ば、おさかりが天から下ってくる。雨も雪も、雷様も皆天恩や。雷様の稲妻
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も稲ほのためになるとやら、雨がなければ雨ごい、とやら、大雪の年は作物
の豊年とやら、日々にわいてくる心、これすなわち、自分が日々にわいてく
る心を天に供えてあるから、うつりし理をつうし返してくださる、これ皆理か
なり。
御言辞の中に、『わかす心の理を調べ、あざやかとなる心しあんせ』と仰
せくだされてありますとおり、あけてもくれても天の御恩をわきまえて暮ら
す心が悟りの境地なり。人間というものは、物が一つ悟れると、神様ぜんと
すましこんで、人間が人間を助けることができないのに、おれがお前を助け
てやる、というような、大それた心になりてはならんから、天の月日親神様
が、高慢の心を使っていると、『のぼりたら、くだりはむこうにみえるぞ
や、ろくじをされと、おりのぼりなし』と仰せくだされてありますが、
日本数字の六の字は、点うって、横棒をひくでしょう。これすなわち、天
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の心を一筋に、『はいく〜と暮らす心になりてこい』と仰せくだされてあり
ますが、ハの字は六の字にあるでしょう。イは心、そこで、『はいく〜と一
筋心で暮らすなら、天も勇んで守護する』と仰せくだされてありますとおり
何ごとによらずいさい悟りにありとわれは知る。
御言辞の中に、『一二三と組んでいく、役割りできる、とりきまりする』
と仰せくだされてありますが、日本数字の一は一、夫、二は夫婦になりた時
が二、三は夫婦になって子供が授かる、これが三、一二三と組めば六、こう
して お互いが所帯をもって、この道の教えを聞いて守って暮らしていけばしあ
わせや。しあわせが四の数字。天恩の広大無辺をよくさされ、ということが
五のけた。日々に運んで聞いていただいて、迷わず暮らすが六の字や。七
宝様は大食天様、八宝様は大戸辺之命様。
三宝四宝は、国狭土様と月読様、五宝六宝、雲読様と煌根様、何から何ま
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で聞いていただく、これ九宝様、伊佐那岐之命様、十宝様は伊佐那美之命様、天地間で言えば母親の理。
一宝三宝と心して暮らすというのは、国床立之命様と面足之命様のこと。二三は国床様と、面足様と、国狭土様、四の五のいわず暮らす人こそ、さいわいや。四は月読様、五は雲読様、六宝七宝八宝と何から何まで教えを聞いて、家へもどりして親様からの理をば、家庭の者に取り次ぐが九宝に接するという。一から十まで語り合い、一家円満に暮らすこと。これすなわち、よろずの元をよく知って暮らすことこそ幸いなり。
この道を聞かしていただく前と、聞いていからどう違うか。御言葉の中に、『お互様は、この道あればこそ、という心なくばいかん』と仰せでありますとおり、お互様にこまかいところまで天恩をよく知って、一家の家庭の経済に行きつまるんように暮らすにありと思う。かべにつきあたって
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からではおそいから、何ごとによらず腹八分目という心になってお暮らしください、ということや。
『腹を立て立ちきると、【脳いっ血やら、心臓まひ】であの世とやらへいかねばならんことになるから、いつの時でもひかえめにしてお暮らしくだされ』といつも天の御警告なればば心して日夜お暮らしください、ということや。よくわかったでしょう。
五日
大食天(おおじきてん) こいの日たてていわうは よいけれど 六二一
一日之命様 いさいさとにゃ たすかりはせぬ 仏滅 ☆ 四九五 八七三
ということは、どういうことであるならば、昔から、「こいの滝のぼり」と言うて、世の人が言い伝えてきてきょうの日でございますが、「男の子が授かって、このこいのとおりに元気よく、育ちますように」とまごいや、ひごい、矢車と五色のほたをひがえし、日々の暮らしの相を現わしている
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これが矢車。人間の働く姿心に修めは五色ははた。
皆さんがたには教えていただいてごぞんじでしょうが、青は国床立之命様、赤のはたは面足之命様、紫なるは国狭土様、白は煌根之命様。黒はまごいで大食天之命様。黄色のはたは大戸辺之命様。まごいに続くひでいとは、男の子が成長して、赤の女をめとるとやら、この理を天に報告の姿、そこで天高く心供えの理。
あちらこちらの風にゆられて、ふら〜と遊ぶ姿や、学校で学びの姿。所帯もち、あるじと家内とまた子供、家庭内では毘沙門のたけきいかめし武者姿、真を守れる破軍七星、おうじんのしゃかのひるこのあかだづえ、いかな話しも真を知るなり、ということは、親が子供を育てて学校へやる、また働きにゆく、成長して所帯をもたす、親は子供にたいし、一し代通じていろいろな行事を行ない、育ての役。
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子供成人して親は楽しみ、幼時は子供のめんどうをみ、子供成人して、自分が育ててもろうた恩がえしに親のめんどうをみる。これすなわちたがい立てあい助けあい、一家の家庭が円満や。今の世上のありさまは、時々耳に時間ききますが、かかげのいたりとはいいながら、あまりといえばあとさき考えず、無ぼうなことを発言していることを、時々聞いておりますが、天恩知らずのあほう者、からすがあほうと鳴いている。すずはちゅうちゅううなんのこと。せみはみん〜つくつくす、天然自然のご天想。人間様に悟れよと、天のおさとしこれかなかな。悟りの力わからねば、がんぜ知らずも同じこと。
今の父母六、七十、さすれば子供は三、四十、嫁もらうして子ができてその子にいろ〜言われたら、どうまたお悟りなさいます。そのまた子供が成
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ま進んでいったなら、どうなることか知らねど、末は恐ろしいことになると。
そこでお互いは、道を正して向きかえて、親に孝養いたしましょう。
そこでお互いは、五月五日のこいのぼり、風にゆられてゆら〜と、暮らせにゃならんことになる。お互いはしっかりと一家の家庭を見守りて暮らしてゆくが第一や。悟りの力心におさめて暮らしましょう、ということや。よくわかったでしょう。
六日
大戸辺之命様 いかなるときも てんのまもり 大安 ☆ 五一六 九八四
一日之命様 あるのやで、ということは、どういうことであるならば、一家の家庭のひとりひとりの腹の中、鬼やら蛇やらわからんような心では、天の御供できやせん。また御連れ通りはいただけん。お互様にこれからは、腹の中をば、か
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いこんして、理というものを喜んで暮らすことならば、天のおん供末代や。御連れ通りもいただける。
一家の人々は、語れることでも語れんことでも語りあい、いつの時でも、うちとけあって暮らしていけば難はない。一家の家庭で家出するようなこともない。親は子供につまらんことを聞かせると、だれえ苦しみ家出する。年老いた親にむかって、あれこれとっつけんどんにあたりちらして暮らしていると、年老いた親が家出する。嫁のことをば年老いた親がとやかくいうて暮らしていると、嫁が家出する。年老いた親と孫とが暮らすようになるそんなこといつまでやっていたとても、語りあわねばらしがあかぬ。ちらしがかねば日が照らん、やぶれちぎれてかけてゆく。一家の家庭が破滅になる『こんなことでは、むつまじいとは言えようまいがなぁ』と天で仰せでござ
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います、聞いた瞬間、見た瞬間、自分で自分の心をば、正しく導きがえし、暮らしてゆけば皆様よ、交通事故や殺人罪、強盗、窃盗、さぎ、横領、こうしたことにはならないのに、学校で学んだことはみな忘れ、わが身の私欲、が欲から、この世の中は泥の海、こちらあたりでお互いは、道を正して暮らして行けばよいものを、不時災難やけががあやまちゃ、不足不足の世渡りをしていることをやめて、暮らすことこそしあわせや。
ラジオや新聞、またテレビ、世の中のひとりひとりが安心して暮らしてゆかねばならんことになるから、皆様よ天の法則よく守り、国のおきてもよく守り、交通事故のことやとて、よっぱらい運転や追越、歩行の人でも、運転手も、双方共に実行して暮らしてゆけばよいものを、どうして国のおきてが守れぬのか、実にになげかわしいことになる。
世の人ごとに注意して、言われるまでもないことを、実行せずに死んでゆ
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く、けががあやまちでかたわとなる、世の人でとにはいせきされて、まぐれあたりでお互いが生きているような日暮らしは、むつまし人とは言わんで、心して読め、お互いは実行するようにいたしましょう、ということや。わかったでしょう。
七日
国床立之命様 さとりのうては なにもわかん 赤口 ☆ 六二七 一九五
一日之命様 いろいろな うたのかずかず あるけれど
この世は、歌でせめきりあるけれど、歌をうとうていながらも、心にむうち実行にうつしていかねば、歌の理も何の役にもたちはせん。物見遊山や、寺参り、芝居、映画やあれこれと、物見遊山もかずあれど、現場目に見ることでジ、心がぬきで、わが身の思案にあけくれて、末の細道知らぬゆえ。
『末の細道』とは何んのこと、年老いて身上になりて、五尺の体が動けぬ
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で、水いっぱいも飲めぬようなことになったら細道や、心して読めりのさとし、わかりがついたら実行にうつして、感謝の日暮らしいたしましょう。
天の御言葉の中に、『どうなりと、なげすててでもただ一つ、台の心によせてかたまり』親様月日様を真として、落ち着きはろうて泰然自若と、心静かに暮らすなら、けががあやまちもなくなりて、病や事情もなくなりて、一家そろって笑顔にと、暮らせることに相なりますで、親様月日様を真として、お国のためや、世のためや、一家のためというように、心のピントを合わせずに本部に運び、つまらんことをば皆やめて、理でなる道をよく知りて、映画や芝居や、寺参り、物見遊山も身につくことになるゆえに、けっしてひだにはならんから、理というものをお互が、深くとりて日々に天の御恩や、夫の恩、妻の恩やら、子供の恩、親の恩やら、親戚の恩、縁者の恩やら、物の恩。


にはとんちゃくなく、お助けやら、いろ〜な道も通らしていただきましたが、親からは十一回も、かんどうされ、夫婦別れや、親子別れが三回、最後には離別され、そして昭和十三年に天降りをいただき、昭和十七年には、八社様の天降りをいただき、昭和二十一年には、東京から豊川に引っ越し、二十四年には、諏訪官林へ引っ越しをして、現在の所に落ち着かしていただいておるようなわけでございますから、これから先の道の次第も、理に理がそうてだん〜と、おおにぎわいの心のふしんが始まってくると思う。という親様の入信からの四十四年ぶりでようやくきょうの日でございます、ということや。
ですから、皆さん方も、ひるまずたゆまず、理に理をいただいて、道の発展に努力をしてゆけば、親様月日様、八方様に認められて、今世も来世も来々世もということは、万ごう末代見落しなく、お連れ通りをいただいて