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​で聞いていただく、これ九宝様、伊佐那岐之命様、十宝様は伊佐那美之命様、天地間で言えば母親の理。
​一宝三宝と心して暮らすというのは、国床立之命様と面足之命様のこと。二三は国床様と、面足様と、国狭土様、四の五のいわず暮らす人こそ、さいわいや。四は月読様、五は雲読様、六宝七宝八宝と何から何まで教えを聞いて、家へもどりして親様からの理をば、家庭の者に取り次ぐが九宝に接するという。一から十まで語り合い、一家円満に暮らすこと。これすなわち、よろずの元をよく知って暮らすことこそ幸いなり。
​この道を聞かしていただく前と、聞いていからどう違うか。御言葉の中に、『お互様は、この道あればこそ、という心なくばいかん』と仰せでありますとおり、お互様にこまかいところまで天恩をよく知って、一家の家庭の経済に行きつまるんように暮らすにありと思う。かべにつきあたって
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​からではおそいから、何ごとによらず腹八分目という心になってお暮らしください、ということや。
​『腹を立て立ちきると、【脳いっ血やら、心臓まひ】であの世とやらへいかねばならんことになるから、いつの時でもひかえめにしてお暮らしくだされ』といつも天の御警告なればば心して日夜お暮らしください、ということや。よくわかったでしょう。
​五日
​大食天(おおじきてん) こいの日たてていわうは よいけれど 六二一
​一日之命様 いさいさとにゃ たすかりはせぬ 仏滅 ☆ 四九五 八七三
​ということは、どういうことであるならば、昔から、「こいの滝のぼり」と言うて、世の人が言い伝えてきてきょうの日でございますが、「男の子が授かって、このこいのとおりに元気よく、育ちますように」とまごいや、ひごい、矢車と五色のほたをひがえし、日々の暮らしの相を現わしている

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【12ページ(画像64)】
​これが矢車。人間の働く姿心に修めは五色ははた。
​皆さんがたには教えていただいてごぞんじでしょうが、青は国床立之命様、赤のはたは面足之命様、紫なるは国狭土様、白は煌根之命様。黒はまごいで大食天之命様。黄色のはたは大戸辺之命様。まごいに続くひでいとは、男の子が成長して、赤の女をめとるとやら、この理を天に報告の姿、そこで天高く心供えの理。
​あちらこちらの風にゆられて、ふら〜と遊ぶ姿や、学校で学びの姿。所帯もち、あるじと家内とまた子供、家庭内では毘沙門のたけきいかめし武者姿、真を守れる破軍七星、おうじんのしゃかのひるこのあかだづえ、いかな話しも真を知るなり、ということは、親が子供を育てて学校へやる、また働きにゆく、成長して所帯をもたす、親は子供にたいし、一し代通じていろいろな行事を行ない、育ての役。
​【13ページ(画像65)】
​子供成人して親は楽しみ、幼時は子供のめんどうをみ、子供成人して、自分が育ててもろうた恩がえしに親のめんどうをみる。これすなわちたがい立てあい助けあい、一家の家庭が円満や。今の世上のありさまは、時々耳に時間ききますが、かかげのいたりとはいいながら、あまりといえばあとさき考えず、無ぼうなことを発言していることを、時々聞いておりますが、天恩知らずのあほう者、からすがあほうと鳴いている。すずはちゅうちゅううなんのこと。せみはみん〜つくつくす、天然自然のご天想。人間様に悟れよと、天のおさとしこれかなかな。悟りの力わからねば、がんぜ知らずも同じこと。
​今の父母六、七十、さすれば子供は三、四十、嫁もらうして子ができてその子にいろ〜言われたら、どうまたお悟りなさいます。そのまた子供が成

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15ページ(画像67)】
​ま進んでいったなら、どうなることか知らねど、末は恐ろしいことになると。
​そこでお互いは、道を正して向きかえて、親に孝養いたしましょう。
​そこでお互いは、五月五日のこいのぼり、風にゆられてゆら〜と、暮らせにゃならんことになる。お互いはしっかりと一家の家庭を見守りて暮らしてゆくが第一や。悟りの力心におさめて暮らしましょう、ということや。よくわかったでしょう。
​六日
​大戸辺之命様 いかなるときも てんのまもり 大安 ☆ 五一六 九八四
​一日之命様 あるのやで、ということは、どういうことであるならば、一家の家庭のひとりひとりの腹の中、鬼やら蛇やらわからんような心では、天の御供できやせん。また御連れ通りはいただけん。お互様にこれからは、腹の中をば、か
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​いこんして、理というものを喜んで暮らすことならば、天のおん供末代や。御連れ通りもいただける。
​一家の人々は、語れることでも語れんことでも語りあい、いつの時でも、うちとけあって暮らしていけば難はない。一家の家庭で家出するようなこともない。親は子供につまらんことを聞かせると、だれえ苦しみ家出する。年老いた親にむかって、あれこれとっつけんどんにあたりちらして暮らしていると、年老いた親が家出する。嫁のことをば年老いた親がとやかくいうて暮らしていると、嫁が家出する。年老いた親と孫とが暮らすようになるそんなこといつまでやっていたとても、語りあわねばらしがあかぬ。ちらしがかねば日が照らん、やぶれちぎれてかけてゆく。一家の家庭が破滅になる『こんなことでは、むつまじいとは言えようまいがなぁ』と天で仰せでござ

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​います、聞いた瞬間、見た瞬間、自分で自分の心をば、正しく導きがえし、暮らしてゆけば皆様よ、交通事故や殺人罪、強盗、窃盗、さぎ、横領、こうしたことにはならないのに、学校で学んだことはみな忘れ、わが身の私欲、が欲から、この世の中は泥の海、こちらあたりでお互いは、道を正して暮らして行けばよいものを、不時災難やけががあやまちゃ、不足不足の世渡りをしていることをやめて、暮らすことこそしあわせや。
​ラジオや新聞、またテレビ、世の中のひとりひとりが安心して暮らしてゆかねばならんことになるから、皆様よ天の法則よく守り、国のおきてもよく守り、交通事故のことやとて、よっぱらい運転や追越、歩行の人でも、運転手も、双方共に実行して暮らしてゆけばよいものを、どうして国のおきてが守れぬのか、実にになげかわしいことになる。
​世の人ごとに注意して、言われるまでもないことを、実行せずに死んでゆ
​【18ページ(画像70)】
​く、けががあやまちでかたわとなる、世の人でとにはいせきされて、まぐれあたりでお互いが生きているような日暮らしは、むつまし人とは言わんで、心して読め、お互いは実行するようにいたしましょう、ということや。わかったでしょう。
​七日
​国床立之命様 さとりのうては なにもわかん 赤口 ☆ 六二七 一九五
​一日之命様 いろいろな うたのかずかず あるけれど
​この世は、歌でせめきりあるけれど、歌をうとうていながらも、心にむうち実行にうつしていかねば、歌の理も何の役にもたちはせん。物見遊山や、寺参り、芝居、映画やあれこれと、物見遊山もかずあれど、現場目に見ることでジ、心がぬきで、わが身の思案にあけくれて、末の細道知らぬゆえ。
​『末の細道』とは何んのこと、年老いて身上になりて、五尺の体が動けぬ
​【19ページ(画像71)】
​で、水いっぱいも飲めぬようなことになったら細道や、心して読めりのさとし、わかりがついたら実行にうつして、感謝の日暮らしいたしましょう。
​天の御言葉の中に、『どうなりと、なげすててでもただ一つ、台の心によせてかたまり』親様月日様を真として、落ち着きはろうて泰然自若と、心静かに暮らすなら、けががあやまちもなくなりて、病や事情もなくなりて、一家そろって笑顔にと、暮らせることに相なりますで、親様月日様を真として、お国のためや、世のためや、一家のためというように、心のピントを合わせずに本部に運び、つまらんことをば皆やめて、理でなる道をよく知りて、映画や芝居や、寺参り、物見遊山も身につくことになるゆえに、けっしてひだにはならんから、理というものをお互が、深くとりて日々に天の御恩や、夫の恩、妻の恩やら、子供の恩、親の恩やら、親戚の恩、縁者の恩やら、物の恩。

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​芽ばえふっきり花咲き実りの恩、恩のかずく〜山ほどさとり、陽気遊山のありがたさ、世の中の人がよく働いて、「くたびれた」と言う人がたくさんあるように思いますが、働いたのではない、わがことをして、日々遊ばしていただいておるようなものなれば、「きょう一日無事に遊ばしていただいてありがとうございます」と親やら、人やら、天やらにお礼を申しあげて暮してゆくが第一と思う。よくわかったでしょう。
​八日
​面足之命様 やさしくて ふそくのなきが まるきなり 九五四
​一日之命様 てるもてらぬも そこにあるなり 先勝 ☆ 七三八 二一六
​『やさしい』ということは、何事によらず問われた時に、相手方にわかるように話しをしてやるのが、やさしいという。日々に、『不足をする』ということは、自分の思うがままにならないから、いつの時でも反抗心を持って相手方ののしる。その心を天が御ながめになって、『こらく〜そうした心は
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​違うぞ』と仰せくださるその時に、反抗心をもつゆえに不足が、【かぜ】とわれは知る。
​人間の言葉がかぜであるゆえに、いちめいいかぜをひくという。そこで不足しない人が天の目から御らんになりて、『やさしいすなおおな、にゅううわな心の持ち主だなあ』と御思いになる。これすなわち、やさしくて不足のなぎが丸きなり、天の御照らしがすなわぢ、思えばそのまま、言えばそのままの利益をいただける人のことを、『照る』
​『照らん』というのは、局部局部に自由用のいただける人のことを、照らんということや。お互いに、『自由用をいただける人と、自由用をいただける人と心のひらきがそこにあるのでございますよ』と天の仰せの御言葉でございます。よくわかったでしょう。

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【22ページ(画像330)】
​九日
​国狭土之命様 おたがいに きいてつたえて もちいずば 一六五
​一日之命様 これにしこたる はんたいはない 仏滅 ☆ 八四九 三二七
​お互様に天から助かる道を聞かしていただいておおりながら、また人様にも取り次いでおりながら、この教えを用いていかねば、天に対してこれほど親の月日様のことの不孝者はない、ということや。
​反対は腹の中にあるから、『反対(腹の中)はうちにあるからそとにある、見る聞く理を思案するよう』と仰せくだされてありますが、お互様にしっかりと実行にうつして、改良していていただいて、助けていただいて、暮らしてしてもらうことが第一と思う。
​ある教会の会長の所へ、ある信徒がきて、「あんたはこのたび本部へどこのくらいおつくしするのか」と尋ねたそうな。そうすると、会長が、「私はこのくらいのいつくしますよ」と言うたそうな。そうすると、「そんなにまでつく
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​さんでもいいじゃないか、おれと同じに、これだけつくしなよ」と言うたそな。そこで会長が、「お前さんはお前さんでつくせばよい、おれはおれで決めただけ、つくすよ」と言えばいいものを、「お前がそれだけなら、おれもお前と同じにしておこう、よけいいつくしたんではばか〜しい」と言うて、おつくしをへらしたそうな。
​そうしてみると、会長の腹には、これくらいと思っていたから、外から自分の心どおりに言われて、「そんならおれもおまえと同じにしよう」と言うて、ふたり共、同じ値段にして、本部へ持ってきて、「親様、あの人がああ言うことを言うたから、私もあの人と同じにしましたよ」と言うて持ってきてだから、こちらでは、『そうですか、いくらでも結構ですから、これからもしっかりと おつくしをしてくださいね。あなた方のことは天から御利益をくださるし、そちらでつくしてくだされば、こちらも助かりますでねい』と申

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【24ページ(画像332)】
​したことがありました。
​また日を改めて、その教会の信徒が本部へきて、親様に伺って会長のことと言って、「あんたはいいくら本部へつくすのか」と言うたら、「これく〜つくすよ」と言うて、「お前さんよりおれの方がよけいつくしていたんではばか〜しいから、お前さんといっしょにするよ」と言うて、信徒が会長のことを親様に言うておりましたが、『ああ、そうかね、こちらはどちらでも結構ですから、おつくししてくださいねい』と申して帰ってもらいましたが、どちらがまほう(ほうとう)や、うそやらわかりませんが、親様の方では、おつくしをしてくださるまでですから、望みがないからべつのにむか〜と腹も立ちませんでしたが、聞かされた瞬間には、あまりいい気持ちもしませんでしたが、おつくしのことなどは語り合わずに、思いうかがし気づかしいいただいたのは、てんぐ〜につくしていただけばよいものを、語り合わんでもよいこと
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​は語り合ってつくしをへらしたり、双方で反抗心を持って、双方側が悪いようなことを言って、親様につげ口をしていたのでは、こちらはまことに迷惑をいたしますから、お互様は語り合うことでも、そうした陰徳を積むようなことは語り合わん方がいいと思いますねい、ということや。よくわかったでしょう。
​一〇日
​月読之命様 どうこうと かたりあわして したことに 二七六
​一日之命様 まともにできる ことはないから 大安 ☆ 九五一 四三八
​ということは、夫婦でも、親子でも、親戚縁者でも、「今度こういうことをやらせてもらおうと思うが、どうだろうかねい」と会社を始めるにせよ、商売をするにせよ、百姓をやるにせよ、地所を買って家を造るにせよ、事によらず、人間同志で語り合ってしたことは、まともにできれば結構だが金を借りたりして、地所を借りたり、人間という者は仲の良い時はよいけれ

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26ページ(画像334)】
​ど、人間のくふう才知はあてにならんし、『人間同士が語り合いてしたことにまともにできることはないから』と仰せくだされてありますとおり、まっ たくのことと思います。
​親様のやかたへ人様がみえて、「これく〜こういう機械を買って、これこれこういう商売をやりたいのですが、どうでしょうか」とこられた方がおられたから、親様が天に御伺いしましたところ、天は、「今までのだなれた商売をしていればよいのであって、なれないことをやると失敗をするぞ」と仰せくだされましたから、尋ねてこられた方に申しましたところ、自分がきめてきたことを、どこまでも親様に許可をとりにきたようなこと目で、天の仰せどおり言えば、「あぁでもない、こうでもない」と自信まんく〜で親様にさからっておりましたから、『そんなにさからうほどの自信があるならば、伺いにこなければよかったじゃないか、そんなにどうこう言うなら、自分の思
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​ったとおりにやりなさい』と申しましたところ、あっけにとられて、「親様申しわけございませんでした、親様のおっしゃるとおりにさしていただきます」と言って帰って行きましたが、
​二、三か月たつと、またその人が本部へきて、親様に、「どうしてももあきらめられないから、自分の思うとおりにやりましたところ、とう〜失敗に終りました。親様これから先どうしたらよいでしょうか」と申しましたから、『その機械を売って、元の商売をやればいいじゃないか』と申しましたところ、「そうしていたきます」とかんたんに聞き分けて、もどって行きましたが、また二、三か月すると、本部んきて、「親様のおっしゃるとおりにしないで、あとから買った機械を持ち続けて、規模を小さくして、前の商売といっしょにやっておりましたが、前の方の商売の黒字の金と、あとの商売の赤字とうめ合わせて、黒字の方より赤字の方が少しよけいで困りました」

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【28ページ(画像336)】
​と申してきまして、「ほんとうはどうしたらよいのか」と言われますので、『これからは、自分の思ったとおりにおやりなさい、結構になるでしょう』と申したことがございましたが、
​人間同士が語り合わせしたことに、まともにできることは、めったにありませんから、これからは、親様月日様に伺って、天からの仰せどおりにやしていただけば失敗はないと思います。『天で一度言うたとこと、千に一つも違うことなし』と仰せくだされてあるのでございますから、天ではいつも人間のすること、なすこと、見てはいられんそれゆえに、子供かたずけとしえに、このたび天からはる〜天降りくだされて、いろ〜とおさしずをしてくださるのでございますから、『こここうなおせと言うたら、はい〜
(賞ぎになるとということ)
きったらおちにゃ通れん』と仰せくだされてありますから、皆さんも、天の
​【29ページ(画像337)】
​仰せをすなおに守ってお暮らしください、ということや。わかったでしょう。
​一一日
​雲読之命様 おめおそれんりょきがねがまあとなる 三八七
​一日之命様 えんりょするような みちでないから 赤口 ☆ 一六二 五四九
​まったくのことと思います。なぜならば、この道に運ばしてもらうのに、「家族の者や、親戚縁者が反対する」と言うて、おそれて遠慮して、気がだして運ような道ではないと思う。信徒の中によく、「あるじが反するの、家内が反するの、この道のことをしゅうとが反対するの、むすこが反対するの、孫が反対して、なかく〜運べないの」というてこられるお方がたくさんありますが、この道は家族の者に反対されるような教えは一つもといておりません。
​そんなことを言うてくる人に限って、ただ自分が困るところだけ助けてもらって、なるべく運びたくないから、そんな家族の者が反対しているような

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【28ページ(画像336)】
​と申してきまして、「ほんとうはどうしたらよいのか」と言われますので、『これからは、自分の思ったとおりにおやりなさい、結構になるでしょう』と申したことがございましたが、
​人間同士が語り合わせしたことに、まともにできることは、めったにありませんから、これからは、親様月日様に伺って、天からの仰せどおりにやしていただけば失敗はないと思います。『天で一度言うたとこと、千に一つも違うことなし』と仰せくだされてあるのでございますから、天ではいつも人間のすること、なすこと、見てはいられんそれゆえに、子供かたずけとしえに、このたび天からはる〜天降りくだされて、いろ〜とおさしずをしてくださるのでございますから、『こここうなおせと言うたら、はい〜
(賞ぎになるとということ)
きったらおちにゃ通れん』と仰せくだされてありますから、皆さんも、天の
​【29ページ(画像337)】
​仰せをすなおに守ってお暮らしください、ということや。わかったでしょう。
​一一日
​雲読之命様 おめおそれんりょきがねがまあとなる 三八七
​一日之命様 えんりょするような みちでないから 赤口 ☆ 一六二 五四九
​まったくのことと思います。なぜならば、この道に運ばしてもらうのに、「家族の者や、親戚縁者が反対する」と言うて、おそれて遠慮して、気がだして運ような道ではないと思う。信徒の中によく、「あるじが反するの、家内が反するの、この道のことをしゅうとが反対するの、むすこが反対するの、孫が反対して、なかく〜運べないの」というてこられるお方がたくさんありますが、この道は家族の者に反対されるような教えは一つもといておりません。
​そんなことを言うてくる人に限って、ただ自分が困るところだけ助けてもらって、なるべく運びたくないから、そんな家族の者が反対しているような

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​を言うてきておられますが、この道は、この「会田ヒデ」が始めた道ではありません。天地間のひとりひとりの人間を助けてやりたい、という御心から始まった道に、反対のありそうなことは絶対にありません。
​家族そろって運ばしてもらって、家族のひとりひとりが持ち前性分を改良して、何から何までとりけあって、夫は妻に感謝、妻は夫を思いやり、夫は妻を思いやり、家々が困っていたことを助けていただいて、そして近所隣りや、親戚縁者も共に導いていただいて、共に助かっていたいたく道に、おそれている必要はないと思います。おそれたり、遠慮したりしていると、四海同胞いあわれみ合うて、共に助け合っていく道が天に違反するから、あだとなって、家々へろくなことが出てこなくて、つまらん遠慮気ががねだということになりますから、日夜心してお暮らしください。
​そこで、『遠慮するような道でないから』ということが、よくわかったでし
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​う。
​そこで家内が運べば夫が出てこない、親が運べば若夫婦が出てこない、孫が運べば両親が出てこない、という家庭がたくさんあるように思いますがこうした家庭は金銭づくの欲で、「お前がひとり運ぶでいればいいよ、そんなになおぜいで運ぶと、経済がいきづまるからねい」と言われて、「それもそうだなあ」と一家の家庭でひとり信仰をしている家庭もあれば、または一家の家庭のひとりがあか〜持ち前性の改良しないから、「何の教えを聞いてけっつかるのか、ひまをかいて旅費を使って、おさい銭を持って行ってっかるかが、まあいや極道するよりましたいだ」といって、ひとり信仰してはっておく家庭もあれば、家族そろって交互に運んで、ひとりひとりが助かっている家庭もたくさんあるように思いますが、皆さん方はいかがでござい
​ますか、お伺いいたします。

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​天の御言葉に、『わかった者から、治めてとおる実の道』と仰せくだされてありますとおり、この道ということは、天の月日親神様、八方様、天降りゆえ、天地間の人にくじらとりと同じように、もりがうってありますから、作物、草木、鳥畜類、牛馬、人間いっさいのありとあらゆる物というものの一部統計とって、天に願いをかけて、このたび天降りいただいたいてあるのでございますから、人もれなく助けあげないうちは、何代生まれ変わっても、通りぬけさしていただいて、人間の魂の親は月日様、ということを送り届けないうちは、やめない道ですから、絶対に今世も来世も来々世も、万ごう末代御連れ通りいただく道であって、天の月日親神様の御世話どりをいただくかん者はひとりもありませんでねい。
​ですから、おめもおそれも遠慮気ががねをしてはおりません。あととなっている人が救われていないのでございます。皆さんに遠慮するような道では
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​ありませんから、どんなことでも天が道明けのしかた教えて、ここに運んでいる人は皆結構になっているのでございます。教えを守らんは助かってはおりません、ということや。よくわかったでしょう。
​一二日
​煌根(こうね) しあわせを のぞこころは ありたとりて 四九八
​一日之命様 みちをやらねば しゅごうないから 先勝 ☆ 二七三 六五一
​まったくのことと思います。お互様に、しあわせをのぞむなら、仰せの御言葉をしっかりと守って、実行してください。しあわせになりますでねい。『道をやらねば守護ないから』ということも、皆さんは知っているでしょう。一年に一度や二度や三度運んでいたとて、学校から修業証書もいただけないし、卒業証書もいただけないでしょう。学校へ一年に三日ぐらい運んだからとて、何を聞いて帰ったのか、何にもわからないでしょう。
​ただ自分て入信をしたというだけで、こちらでは一年に三回ぐらい

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​ありませんから、どんなことでも天が道明けのしかた教えて、ここに運んでいる人は皆結構になっているのでございます。教えを守らんは助かってはおりません、ということや。よくわかったでしょう。
​一二日
​ しあわせを のぞむこころは ありたとて みちをやらねば しゅごうないから四九八
​一 惶根(かしこね)之命様  先勝 ☆
二七三
六五一
​まったくのことと思います。お互様に、しあわせをのぞむなら、仰せの御言葉をしっかりと守って、実行してください。しあわせになりますでねい。『道をやらねば守護ないから』ということも、皆さんは知っているでしょう。一年に一度や二度や三度運んでいたとて、学校から修業証書もいただけないし、卒業証書もいただけないでしょう。学校へ一年に三日ぐらい運んだからとて、何を聞いて帰ったのか、何にもわからないでしょう。
​ただ自分て入信をしたというだけで、こちらでは一年に三回ぐらい
​【34ページ(画像342)】
​運んでいたのでは、顔もわからんし、名前もわからんし、その人の持ち前性分もわからんし、家庭のこともわからんし、中には三年に一度ぐらいきた人もあるし、十年の間に五回ぐらい運んできておいて、「腎臓だの、肝臓だの心臓だの、胃潰瘍だの、肺病だの、脳いっ血で三日前に倒れて、昏睡状態でおりますから、御利益をいただきとうございます」とせつない時の神だのみで、夜の夜中に電話をかけてきて、「御利益をいただきとうございます」という人もありますが、
​道に協力もしないでいて、「結構な給料だけもらいたい」というたとて御利益のありそうことありませんでねい。なぜならば、電話で持ち前性分の改良の仕方教えたからとてわからんし、とにかく願って御利益になるのではなく、自分の心が左巻で暮らしているから、病気になったのであって、心のうちは百八十度転換して、仏様のような心にならんとことには、助かるこ

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【35ページ(画像343)】
​とはできませんでねい。
​病で倒れている人は、仕方がないとして、周りの人が家族そろって、これからはお道に協力する心を供えれば、今病で倒れている人の通算もできますが、天のみ心にかナう心を持たんことには、利益は絶対にいただけませんでねい。それだから皆さんもよく聞いていただきますとうございます。
​十年も二十年も一生懸命に会社で働いておって、一年のぐらい病気したからとて首にはなりませんが、三年ぐらい一日も出なければ、だんく〜と病院生活の手当も少なくなったり、しまいには会社をやめなければならないようなことになりますが、十年も二十年も一生懸命につとめておった人が二か月ぐらい続けて休んで、あと三日ぐらい会社へ行って、またあと二か月ぐらい休んで、たま〜勤めに行っていても前の縁故があるから、半年や一年は休まずにいても、給料はくれておいてくださるかもしが、
​【36ページ(画像344)】
​本部の方でも、つくした功績がないから、助けることはできないでおりますが、それでも願えば、天からの御利益のある時もありますが、そういう人は、しゃばでいくらか人のためにつくした人かもわかりませんが、そういう人差引きは、天でなければわかりませんでねい。お互様に息ある間が大切ですから、道に協力して運べるだけ運んで、心の改良してゆけば身上事情には絶対にかかることはありませんでねい。皆さんもしっかりとやってください、ということや。よくわかったでしょう。
​一三日
​大食天(おおじきてん) てんおんを さとりてくらせ なにもかも 五一九
​一日之命様 ひとにあいさる ことになるから 友引 ☆ 三八四 七六二
​このとおりと思います。なぜならば、お互様がたれとてりも甘露台様の手足なら、こわきあぶなきないと思えよ。そこでこの道の一列の子供かわいいそれゆえに、願えばいつも心どおりの御利益をくだされまして、『だんく〜と
​【37ページ(画像345)】
​人数がしかとよりきたことならば、そのまま台もできることやで』ということは、願って利益をいただいた信徒が、天の御言葉にあるとおり、皆様方のことを、『あなたあなた、というようになる』ということは、会長さん、支部長さん、分講さん、皆よってたかって、「先生先生」と敬われ、信徒にかしずかれて暮らせる、ということや。だからお互いは、天恩一条を心に修めて日々に、感謝の日暮らしなされませ。感謝の日暮らしの功徳によって、衣食住にも不自由なく、どんな時でも敬われとうとばれ、何から何まで不自由なく、親戚縁者にいたるまで、とうとばれ皆従うてついてくるこのことを皆一同に愛される、ということや。
​お互いは先頭に立つ人は、寄りくる人にあれこれと、においいうつして、天恩を送り届けて共々に、いさましゅ楽しめ利益ある。それだから先頭に立つお互いは、道の発展どこにある。

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【37ページ(画像345)】
​人数がしかとよりきたことならば、そのまま台もできることやで』ということは、願って利益をいただいた信徒が、天の御言葉にあるとおり、皆様方のことを、『あなたあなた、というようになる』ということは、会長さん、支部長さん、分講さん、皆よってたかって、「先生先生」と敬われ、信徒にかしずかれて暮らせる、ということや。だからお互いは、天恩一条を心に修めて日々に、感謝の日暮らしなされませ。感謝の日暮らしの功徳によって、衣食住にも不自由なく、どんな時でも敬われとうとばれ、何から何まで不自由なく、親戚縁者にいたるまで、とうとばれ皆従うてついてくるこのことを皆一同に愛される、ということや。
​お互いは先頭に立つ人は、寄りくる人にあれこれと、においいうつして、天恩を送り届けて共々に、いさましゅ楽しめ利益ある。それだから先頭に立つお互いは、道の発展どこにある。

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【38ページ(画像346)】
​ある教会の信徒が本部に来て、「親様うちの会長さんは、私のことを同じ教会の信徒に悪口を言う。そうするとこの会長は、またほかの信徒のことを他の人に悪口を言う。お助けは第二の問題として、一の信徒には二の悪口を言う。この悪口は一に言う。三の悪口は二に語る。二の悪口は四に語る。四の悪口は五に語る。五の悪口は四に語るというように、くる人ごとに悪口を言われておるそうな。それだから、みんなで相談をして、教会へ運ぶのはやめにしようと思いますが、親様それでいいでしょうか」と問われたことがありましたが、
​『その会長はこの道に出させていただく前からの、くせ性分であってその会長があるじの悪口を本部に来て語り、またある時は、せがれの悪口をきて語り、嫁の悪口を本部に来て語り、だんく〜と道が古くなってきたので家々の悪口はやめて道に出て、道の悪口をいう因縁の人だから、あんた方も
​【39ページ(画像347)】
​人の悪口をいうたことはないかね』と尋ねましたところ、「悪口をいうたことはない、とは言えませんね。そうしてみれば会長さんが悪いのではなく、やっぱり自分のざんげでした」と申しまして、「また信徒にその由を話して教会へ運び、また多くの人にもにおいがけをさしていただくことにいたします」というて帰宅をされましたが、それ以来なにも申さなくなりましたが、お互様にどんなことがあっても、『どれが悪いとさらに思うな』といつも天から仰せでございますから、お互様にどういうことがあっても、思いがえして、人を愛する心になってお暮らしください、ということや。人間の一人は、皆天の月日親神様の分け霊なれば、愛して愛さるということと忘れずにお暮らしください、ということや。
​どんなことでもまかぬ種はえぬのだから、『相対にするむとはかぎらず、他のある理を現わす』とも仰せくだされてありますとおり、相対で話した時

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【40ページ(画像348)】
​に腹を立っていると、今度は第二の人に腹を立てられる理が現れてくるの
だから、日々心油断はできませんよ。日々に自分が腹を立てば、人に今度は
腹を立てられることが理の当然ゆえ、何でも人様に接近した時は、心油断
のなきように暮らしてゆくが第一や。
むか〜と腹の立つようなことあらば、『相手にとりてきり結び、やみじの
めくら元をさとれよ』とありますとおり、御言葉の中に、『今はやみじのこ
となれば、みたする姿はおのが心や』心一つでどのような自由用自在の働きも
してくださることやから、愛して愛さる世の中や。見わけ聞きわけわけ油断
なきよう、日々にお暮しください、ということや。わかったでしょう。
​一四日
​大戸辺之命様 にんげんは まよいかけたら きりはない 六二一
​一日之命様 まよわずはこべ りやくあるから 先勝 ☆ 四九五 八七三
​ということは、皆さんが日々に商売のことでも、会社のことでも、学校
​【41ページ(画像349)】
​のことでも、百姓のことでも、人間という者は、ふた道になると、どっちを選んでよいか迷いが出る、そこで神様の御言葉に、『辻々に龍頭』と仰せくだされてありますとおり、いつの時でも迷いかけたらきりがないから、本部ン運んで、先生方に申し出て、親様から御言葉をいただいて、どちらかを選んでいただいて、迷わずに実行にうつしてゆくが第一ヤ。はなれると近づくとは、ここにあるのでございますよ。
​まあたとえていたら、金もうかるところと、あまりもうからんとところとふた道がある。人間の見た目では金のよけいにもうかるところへ勤めるとかよいと思うが、金のよけいもうかる所は、骨が折れて一か月のうちに四、五日ぐらい休むことになる。そうすれば取りだかは同じことなるから、あまりもうからんでも長く続く所へ働きに行けばよいと思う。うさぎと亀のかけっこと同じように、こつ〜とお山へかけ登ったのは亀

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​【42ページ(画像350)】
​さんの勝利であって、いくら亀さんが急いでも、あの山へつくのはなかな
か容易じゃないから、といって、ひとねむりしたために、うさぎの方が負け
になったという、たとえのとおり、あきずにこりずに、ひるまずたゆまず働
く方が勝利をうる、ということや。
​お互様に迷わず成仏いたしましょう。なれど人間の心というものは、骨が
折れても金がもうかって、くたびれて休んで、差し引同じでも、骨の折れる
方がよい、と思ったら金のもうかる方へ行っても、こちらには関係がありま
せんから、どちらにしても体は一つしかありませんから、ふた道のどちらか
を選んでお暮らしください、ということや。わかったでしょう。
​一五日 岐様 こきげなるも よくぞあじわえ 仏減 ☆ 七三二 五一六 九八四
​ということは、どういうことであるならば、八方様の卯の方と、酉の方と
​【43ページ(画像351)】
​思案をすれば、卯の方、辰の方、南の方、未申の方、酉の方、これだけは昼の理。戌亥、子の方、丑寅の方、これは夜の理。朝起きて、ごた〜とほこりを積んだり、不足をしたり、喜んだり、嘆いたりする刻限は七時、八時九時、十時。夜家にもどってほこりを積んだり、不足をしたり、腹を立てたり、らんんだり、あれやこれやと語り合うのも、ののしり合うのも、七時、八時、時、九時、十時、戌亥の方の刻限や。十一時、十二時、一時、二時、三時、四時は、子の方と丑寅の方であって、夜にある理が昼にでる。朝にあった理が夜にある。夜にあった理が昼にでる。だからお互いは、刻限事情もよくさとりでお暮らしください、ということや。
​夜の一時、二時、三時、四時は、昼間の未申にある。未申にあったことは夜の丑寅の刻に返しがある。真昼、真夜中と、朝起きろ、起きない、夜寝ろ寝ない、これすなわち、卯の方と酉の方、東西南北すまからすままですっき

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44ページ(画像352)】
​り大そうじ、こわいようでも真の楽しみ、昼間はまじめに働き、夜はまじめに寝ること、かどめなり。
​夜の七時、八時、九時、十時にずぼらな道を通っていると、昼間の七時、八時、九時、十時の刻限に、夜のずぼらの道を通る話しを昼にする。まじめに働く時間といったら、わずかな時間であって、夜寝る時間もわずかであって、夜昼のまじめはたいてい十一時、十二時がまじめな刻限であって、だれかれなしにこれからも、刻限事情をよくさとり、真実決心どんと定めて、どんとかつ着いて暮らしてゆけば、なんのさわりもなく、けががあやまちもなく病気、病難、うれい災難にも出あわずに暮らしてゆけることやから、これからは先の道筋も、日夜心してお暮らしください、ということや。
​この八方様の刻限の中で、丑寅の刻に人間が動き出すことは、天から、『鬼門』と仰せやで、未申の刻限に、あちらこちらを見回して、夜の刻限
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​待ちかねて暮らしている人は、昼間の一時、二時、三時、四時に昼寝して暮らしているから、かんじんかななの病門や。
​鬼門病門でほこりを積んで、とらえられる人が八方ふさがりという。出られるに出られぬかごの鳥ようなことになりますから、人が休む時は休み、寝る時は寝、働く時は働く、足並みそろえて日々に、感謝の日暮らしいたしましょう、ということや。よくわかったでしょう。
​一六日
​美様 じゅうぶんの道をとおれば すえとまる 八四三 ☆ 六二七 一九五
​一日之命様 のぼりきったら おちにゃおれん 大安
​ということは、この道を聞かせていただいて、一家の家庭というものは、ものがあるからといって、ぜいたくをして、収入と使う金とのバランスをとらずに暮らしていたならば、しまいには赤字となっていきづまり、あれを売り、これをなくしてどこでも、ずいぶんな世渡りしていると、もぬけのから

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【46ページ(画像354)】
​になることを、天が御案じくだされて、御言葉に御知らせくだされたことやから、よくよく深く味わってお暮らしください、ということを、十分の道を通れば末とまる。末とは何か、年とって子供にあいそをつかされて、五尺の体の置き所なくなるようなことになる。一家中をくわだてて、世間へ恥じをさらすようなことになるから皆様よ、日々に心なされませ。すむとににごりでさらすようなことになるから皆様よ、日々に心なされませ。
​水。何事もにごり水飲むに飲まれぬ道の理を、よくよく深く味わうすんだ水。内容じゅうじつで感謝して、家名をけがさず、先祖に恥じいることのないように暮らしてゆけば皆様よ、のぼりきる理がないゆえに、貧乏するようなことはない。神様の御言葉の中に、『谷川のたえぬ流れを台にして、つくりうるおせきれることなし』と仰せの御言葉もよくよくさとりてお暮らしください、ということや。谷川とは谷間の川の水。谷川の水にきれめはないでし
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​よう。人間もひるますたゆまず働いて、これはこれ、あれはあれと一か月の収入のあることと使う道を心して、衣食住の三つに分けて、貯蓄して暮らしてゆけばきれいなく暮らしてゆける、ということや。
​つくし運びで陰徳積んで、においうつして助けて、天にも人にも喜ばれる道を通れば、おのずと天徳ましてくる。さすれば谷川の貯蓄もふえてくる心改良がじん徳となる。天徳じん徳むなれば、どんな災害もまねがれて暮らしてゆけばお互いは、天の御陰もよくわかり、人のお陰もよくわかる。世界の世渡りができてゆくのもまのあたり。お互様にこれからは、真剣勝負で暮らしましょう。こうして暮らすが来世のみやげ、今世来世もお互が、長者の暮らしになる、ということや。よくわかったでしょう。
​一七日
​国狭土之命様 おたがいは かぞくもともに みちびけば 九五四 ☆ 七三八 二一一
​一日之命様 はやくようきに なるはとうぜん 赤口 二一六

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【48ページ(画像356)】
​この世は生まれた時もひとり旅。死ぬる時もひとり旅。生まれた年月日は皆違う。そこで皆さん、だれが先で死んでゆくか、あと先知りたる者はない。そこで息ある間が大切や。人間という者は、末の細道知らぬゆえ、今さいよくばよいように、思うているのがさとり違いや。「今の若さに信仰だなととまっこうくさいそんな所へ運ぶなんていやらしい」と、あざけり、そしり暮らすいる人中にはあるそうな。
​なれど皆さんの道は、そんなおろかな道でない。いつも感謝のじつづきで暮してゆくのがあたりまえ、感謝せぬ人々はどこの人でもないけれど、おれがこの世に生まれきて、「おれが働いて、おれが食うて、おれが寝て、おれが家内を食わしてやって、おれが子供を育ててやって、おれが親をめんどうみてやって、おれは人には世話になったことはない、おれは人を世話してやった」と人間はいばって高ぶって、強がっている人が、「信仰なん
​【49ページ(画像357)】
​きらいだ」と言っていたて皆様よ。
​昼は御日様の御世話どり。夜は御月様の御世話どり。夜も昼も風の神様の御世話どり。人間という者は、わがと力で生みしものであって、「おれは人には世話になったことはない」というたて、すみや電気やまた米や野菜やさかなな、何もかもひとりでつくるものでない。天のみ恵みなかりせば豊年万作られない、大風とてもそのごとく、人間わざではふせげぬで、おれがわしのがけんこつ並べで、人間が水一てきも造れない。水気ぬくみもつくれない、人間様が人の世話にはならないといばっているけれど、金銭物金何んとする、病気ともなりゃお医者様やら、薬やら、人に看護をしてもらって暮してゆくのが人間や。
​他力本願わからずに、何んとおろかな人々が、世上にたくさんおるそうなそれはまあ、あとにして、これからは家族の者に、一大事とり次ぎまして皆

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​【50ページ(画像358)】
​様よ、家族そろって笑顔にと暮らしていけるような心になって導いて、今年の秋の大祭のしゅんをはずさず家族をば導くことが、これかなめ、ということや。わかったでしょう。
​一八日
​月読之命様 よろず上にじんじゃぶっかく かずあれど 一六五
​一日之命様 このふたとなれば よろずわかるで 先勝 ☆ 八四九 三二七
​ということは、一は勢至観音。勢至観音ということは、天の月日親神様がこのたび天より天降り、人間の持ち前性分の改良の仕方、といいて聞かしてくださる。これぞ誠の心のせいし観音。
​【面足様】は、千手観音。すぎたることは言うてないぞや、先なることをばかりいう。せんてせんてと先手をうって、御聞かせくだされるとうとさは、感謝のきわみと喜んで暮らしてゆくことこそありがたや。
​【国狭土様】は、弁財天結びの神達磨様。弁財天とはなんのこと、『弁天
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​や、びわに月日のあわれかな、とどくなしかとともに語らん』とありますが、『いかなる時でも皆様よ、手をたずさえて暮らすなら、こわきあぶなきないと思えよ』と仰せくだされてありますとおりでございます。
​達磨様とは、お互に身上や事情にとざされて、手も足も出ないというて、嘆いているところへ、においがかかりて、運んで助けていただく意味の御言葉を聞かせていただいて、実行してゆけば夫婦も仲良くなり、金銭回りもよくなって、不自由なく暮らせることを仰せくだされてあるのであって、昔の人がよく言うておりましたが、「七ころび八起き」というておったことがありましたが、この道を聞かせていただいて、実行さえして暮らしている人はしっかりと言いとしてください、ということはや。また、
​【月読之命様】は、八幡大菩薩、聖徳太子。八幡大菩薩様とは、八方の神
​【52ページ(画像360)】
​様がいろ〜と会議をして、その理を地上にうつして、御支配をしていてくだされる理の役目。
​聖徳太子様も、八幡様の理を受けて、この世に御出ましくだされて、いさいのことをひろしめし、世に名を残しくだされた若宮八幡とはこのことや。
​それから、五番の、
​【雲読之命様】は、薬王如来、龍王親王様。雲読様は人間に薬になる理をみ教えになり、この世に人間生まれきて、医薬の働きさしてくださるみ親様なり。この神様の理を受けて、この世に御生まれくだされたは法然様なり。
​【煌根之命様】の理を受けて、この世に御出ましくだされたは親鸞様なり。それから、大日如来様は、煌根様の理を受けて天地を御造りくだされた親神様なり。それから、
​【大食天之命様】の理を受けて、人間界へ御出ましくだされたは日蓮様
​【53ページ(画像361)】
​なり。その理の姿は虚空蔵菩薩、二月堂様、御釈迦様ということは、社会もこの理を知らそうと、国に一つのくらびらき、これでまことの虚空蔵菩薩妙法とかれし二月堂、妙見様とは何んのこと、妙な世界に妙な道、広めくださる妙見様。けんしん様とは月読様と国狭土様、地雷様とは面足様のこと。なぜゆえならば、この世に人間様をば生みおろし、すべての支配は、
​【伊佐那岐様と伊佐那美様】これをまとめてこの世に人間を引き出しくださる。
​【大戸辺様】芽ばえふっきり花咲き実りの守護くださる不動明王。お不動様の理を受けて、人間界へ御出ましくだされたは弘法大師様。
​これで十社のみ親様、一分時間のたえまなく人間界をあみだしくだされたる南無阿弥陀仏の六字の妙号。南無の二字から始まって、妙法を御ときくだされて、お互様はこれからも、つねにざんげをいたしましょう、と題目につ
​【54ページ(画像362)】
​づいてあるのが南無妙法蓮華経。それに続いて天の父なる神は国立之命様アーメンとは面足之命様のこと。十社のみ親を総称して天理王之命様とはことのことや。
​お互様はどこまでも、ほしい、おいしい、かわいい、にくい、うらみ、腹立ち、乱用せずに見分けて暮らすが人間の役。つづまるところは欲、高慢、ということや。お互様に日々はさんざい心で陰徳積んで暮らすならば十社のみ親に見守られ、救うてくださるありがたさ、神社仏閣かずあれどこのふたなか〜取りきれぬ、またく〜おって語りましょう。ここらあたりで筆とめて、語る糸筋くさとり、わかりがついたらさとれるで、案じ心配いらぬもの、心の改良にいそしんで、陽気遊びで暮らしましょう。
​極楽世界の世渡りの秘伝秘法家伝妙薬のありがたさ、心に修めて日々さとりの境地で暮らしましょう。これぞ誠の甘露の法雨の妙力の御陰なれば、互

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【54ページ(画像362)】
​づいてあるのが南無妙法蓮華経。それに続いて天の父なる神は国立之命様アーメンとは面足之命様のこと。十社のみ親を総称して天理王之命様とはことのことや。
​お互様はどこまでも、ほしい、おいしい、かわいい、にくい、うらみ、腹立ち、乱用せずに見分けて暮らすが人間の役。つづまるところは欲、高慢、ということや。お互様に日々はさんざい心で陰徳積んで暮らすならば十社のみ親に見守られ、救うてくださるありがたさ、神社仏閣かずあれどこのふたなか〜取りきれぬ、またく〜おって語りましょう。ここらあたりで筆とめて、語る糸筋くさとり、わかりがついたらさとれるで、案じ心配いらぬもの、心の改良にいそしんで、陽気遊びで暮らしましょう。
​極楽世界の世渡りの秘伝秘法家伝妙薬のありがたさ、心に修めて日々さとりの境地で暮らしましょう。これぞ誠の甘露の法雨の妙力の御陰なれば、互
​【55ページ(画像363)】
​いに手をとって本部にはこぶをつねとして、暮らす心が第一や、というこ
とや。わかったでしょう。
​一九日
​雲読之命様 いつもかも あいてにとりて きりむすべ 二七六
​一日之命様 やみじのめくら もとをさとれよ 友引 ☆ 九五一 四三八
​『もと』とは何か、月日様なり。『もと』とは何か、わが心、心という理が始まりで、それからそれぞれと世がなりたってきょうの日や。これから先も同じこと、心一つで出直してあの世とやらへゆきまして、心の洗たくくままして、ふたたびこの世に生まれさしてもろうて、またく〜始まる、心の妙法あちらで学び、こちらで拝み、あれやこれやとしているうちに、ぜんだんくどくの道も通り、悪いりょうけんの道も通り、『今までは道すがら道すがらで通ってきたものばかりや』と仰せくだされてありますが、
​天の御言葉の中に、『はくあく因縁、人間に入悪事というてなければ、ち
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​よっとのほこりがついたまてや』と仰せくだされてありますとおり、善の因縁もあれば、悪の縁もある。人間の一家の家庭というものは、『前生の主従親子や兄弟の皆因縁の集りである』と仰せくだされてありますとおり、
​『親子となるは深き因縁、因縁よせてのこの守護や』と仰せくだされてありますとおり、一家の家庭のひとりひとりが因縁をきらしてもらうための親子や、父母様の言い条のとおる箇所もあれば、むすこや娘の言い条のとおる箇所もあれば、年老いたしゅうとと、しゅうとめのか言い条のとおる箇所もあれば、家族の言いうぶんが右と言えば左と言う、上と言えば下と言う、ごたくもめあうその時は、本部に出運んで聞かしてもろうて、前生の因縁をきかしてもろうて、自覚して、家へもどりて治めむき、おこのうて暮らすすその時に、天よりこのたび天降り、前生因縁とかれたら、負けて通るが勝となる勝はこるにもいたらんことや。
​【57ページ(画像365)】
​ならんとところを治めて通るが実の道、実とは何か、理でなる道や損得なしや、いつもかも相手にとりてざんげして、くらやみなしにお互があかるい道を暮らすには、妙力妙法悟らねば、くどくの道にはならんから、ひとりくらやみ暮らすより、長者の暮らしと喜んでお互様は暮らしましょう、ということや。わかったでしょう。
​二〇日
​煌根(こうね)之命様 ふみぞこないの なきようにせよ 先負 ☆ 三八七 一六二 五四九
​ということは、どういうことであるならば、この「会田ヒデ」が最初の天降りまでの十六年間の通らしていただいた年限の間に、いつの時でも日夜心調べをして通らしていただきましたが、これからもお互様は、『日々心調べをしてお通りください』と申しあていても、心調べの仕方かわからんといけませんから、ひとこと心調べの仕方をお話しさしていただきますから、よく聞

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【58ページ(画像366)】
​きとって、日々心調べをしていただきたいとうございます。
​いつも皆さんに申しあげておりますとおり、何事にかつきあたった時は方向転換をする、ということになりますが、一代のうちに大きな節に出あうこともあるでしょうが、またあったでしょうが、昭和五年の五月ごろの話でございますが、
​この私は大正七年から、昭和五年の五月ごろまで、東京の五反田というところで、自動車のハイヤーの営業をさいていただいておりましたが、昭和五年になって、道路の改正で店をたたんで、ほかの所へ移転をせねばならんうになりましたが、その自動車のハイヤーは株式になっておりましたので、社長や専務が、「もう自動車のハイヤーはやめよう」ということになったので、あるじもこの私も、あっけにとられておりました、こういう時が一つのかべにつきあたった時でございますよ。
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​ところが車はもう使えるだけ使ったので、がた〜になってどうすることもできないので、ボデーをはずして、自動車のシャシーだけ馬力に乗せて、ボデーの方も馬力に乗せて、シャシーを一貫目いくらで売る、ということになって、その馬力にシャシーが乗せられて、その馬力を見送る時の心といったら、今まで愛してきた車が全部よそへ売られていって、またようころへかけられて、製造しなおして何んの機械になるか知らないが、長年の間で苦労さんでございました、と車にお礼をのべ、天を仰いででおん礼をのべ、けにとられて、馬力を見送っておりましたが、そういう時に皆さんはいろいろな心がわいてるでしょう。
​この私にもいろ〜な心がわいてきました。そのわいた心はどういうことであったか、と申しますと、道路の改正で店じまいになるのは仕方がないが一台でも二台でもよいから、社長さんが自動車を買って、また自動車の営業

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​をやらしてくださればよいのにとか、あるじがあんな昼遊びや、夜遊びをして、金を使わなければ、あんな自動車の一台や二台は買えるのにと思って、車庫をながめて、これだけ大きな車庫は造れないでも、せめて二台ぐらいなら入れる車庫がほしいなあ、と思ってみたり。
​子供がもっと大きければ、どこかへ働きに行ってくれれば生活には困らないが、何にも財産がないから困ったなあ、給料だけで暮らしておって、給料もらうと、すぐにあるじが使ってしまって、これから先どうにもこうにもっちもさっちもいかんが、やめるについて赤字続きの会社であったから、退職金という手当もないし、どこかへ家を借りて、また二の段を考えねばならんが、と馬力を見送りながら、いろ〜なことを思いだして、今考える と、あるじをうらみ、会社をうらみ、子供にぐちの心を動かしてみたり、何んのことない、ばかであったなあ、と天にむかって、『今使った心は帳消し
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​にしていただきとうございます。これからも一かけからやりらしていただきますから、親様月日様お見すてなく御連れ通りいただきますとうございます』とおわびやらざんげやら、お願いやらをして、奥へはいり道具をとりまとめておいて、近所を探して歩いて、小さな家を一軒借りて、そこへ引越しをいたしましたが、
​まあ、いいや、ホロの自動車が一台買ってありましたから、実家の弟にたのんで運転をやってもらって、そのうちにまた一台買わしてもらってどこか車庫を借りて、引越ししてから思案をしておりましたところ、ある日のこと、弟が運転をせずに家へもどってきましたので、「どうしたの」と申しましたところ、「出先で乗っていたお客さんをおろして、自動車の買い手を連れてきて、道ばたでお金の取り引きをして、おまえは家へもどっておれといわれて、がっかりして家へ帰ってきたようなわけでございます」と申さ

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​れましたので、それを聞いた瞬間、『まあ、なんとにくいことをするあ
るじだ』と思い、にくしく思いましたが、
​『にくでみたところでどうにもならんから』といって、『まあ今いろいろと思案をさしてもらいますから、ちょっと待ってください』と弟に申しまたところ、「もうこんなことになったんだから、わしも一つ考えますよ」というて実家へもどって行きました。それからこの私もいろ〜と考えた末でまた私どものことで世話をしてくれておった岡部という人にのんで、今度は目黒の検番へ勤めてもらうことになりまして、ほっと息をついているうちに、西小山という所で自動車屋を始めることにいたしましたが、
​『日々にわかす心の理を調べ、あざやかとなる心思案せ』と仰せくだされてありますが、人間という者が嘆いたり、くどいたり、うらんだりしてやつ
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​きになれば、【熱が出たり、腹痛がおきたり、背中が痛くなったり、家々で息が合わんとせきがでたり】そんなことなんぼくり返してみたところで、ろくなことにはなりませんから、こうしたほこり心は皆やめて、日々つまらん心にとらわれずに、人をうらまず、腹立たず、自活の道を歩むことが大切と思う。心というものは、たえずつまらん心を使って暮らしているのが人間だから、何が元で不足が起るか、何が元で腹を立つのかと元を調べれば、じが外で酒を飲んでくるのが元で、人にあたりちらしたり、あるじに文句を言ったり。子供がいうことをきかんといって、おこったり、嘆いたりしている。それも皆枝先であって、元を考えれば酒飲みが元、元にとられてほこりを積んでいたのでは、一家の家庭が円満にはなりませんから、も一つ真に一つの因縁で、自由自在を見定めて暮らしてゆくが第一と思う。こういうふうにして、心調べをして、腹底をたたいての日暮しをして、ふみぞこない

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​のないように暮らして行けば、病や煩いもなし、家々にけんか口論もなくなって、おだやかな目で日暮しができる、ということや。わかったでしょう。
​二二日
​大食天之命様 たましいのはたらくみちは かずあれど 四九八
​一日之命様 もととはいっぽん えだは八ほん 仏滅 ☆ 二七三 六五一
​ということは、どういうことであるならば、『魂の働く道はかずあれど』ということは、いつの時でも聞かしていただいておることであって、ほしい、おいしい、かわいい、にくい、うらみ、腹立ち、欲、高慢、この八つの心にいろ〜な欲で腹立つ人もあれば、うらんで腹立つ人もあれば、わが身かわいいで思うようにならないといって、腹を立つ人もあれば、人をにくんで腹を立つ人もあれば、わが身をうらんだりして、人をうらんだりして腹を立つ人もあれば、ああいしてくれん、こうしてくれんといって腹を立つ人もあれば、あんなことをぬかしゃあがって、といって腹を立つ人もあれば、人をばかにし
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​やがったといって、腹を立つ人もあれば、あそこのおやじはおれのことを、ほろくそにぬかしゃあがって、というて、腹を立つ人もあれば、いろ〜な心に因縁ばかりつけてきやがる、というて腹を立つ人もあれば、いろ〜な心を使っている人が世の中にはたくさんあるでしょう。
​だが『元は一本』ということは、どういうことであるならば、ほしいの強い人もあるえば、おしいの強い人もあるえば、わが身かわいいの強い人もあるえば、人をにくむ心の強い人もあるえば、うらみの強い人もあるえば、すべてのことに腹立つの強い人もありば、欲の強い人もあり、また高慢の強い人もあるば、情めいく〜の心使いによって、強い心がつのり重なると腹を立つ、これが元は一本、枝は八本、ということでございますよ。
​それですから、御言葉の中に、『もと一つ、真に一つの因縁で、自由用自在をいただける道を見るまで』ということを、天が仰せくだされてあるので

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​やがったといって、腹を立つ人もあれば、あそこのおやじはおれのことを、ほろくそにぬかしゃあがって、というて、腹を立つ人もあれば、いろ〜な心に因縁ばかりつけてきやがる、というて腹を立つ人もあれば、いろ〜な心を使っている人が世の中にはたくさんあるでしょう。
​だが『元は一本』ということは、どういうことであるならば、ほしいの強い人もあるえば、おしいの強い人もあるえば、わが身かわいいの強い人もあるえば、人をにくむ心の強い人もあるえば、うらみの強い人もあるえば、すべてのことに腹立つの強い人もありば、欲の強い人もあり、また高慢の強い人もあるば、情めいく〜の心使いによって、強い心がつのり重なると腹を立つ、これが元は一本、枝は八本、ということでございますよ。
​それですから、御言葉の中に、『もと一つ、真に一つの因縁で、自由用自在をいただける道を見るまで』ということを、天が仰せくだされてあるので
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​ございます。ですから、ほしい、おいしい、かわいい、にくい、うらみが下じきで、すべてのことが腹立ちにきすことになっておりますが、つづまるところ欲が元。高慢が元。お互様は下じきの心をひるがえし、ひるがえし日々暮らすことが助かることであって、この心使いがかんじんかなめですから、日々心してお暮らしください、ということや。よくわかったでしょう。
​二三日
​大戸辺之命様 なにごもほんごしいれて くらすなら 五一九
​一日之命様 てんのりやくは ふかくあるから 大安 ☆ 三八四 七六二
​このとおりと思います。このお道をやらしていただくのにも、本腰を入れてやらしてもらわんと、においがけもへっぺれ腰ではだめ。お助けもいそがしいせわしいの中腰で、つくし運びは逃げ腰で、心の改良はじぐざぐで、何を言うているのか、しているのか、こういう人の行ないは、教会も支部も分講も発展するようなことはない。
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​会社へ勤めてもらおう調子で、本腰入れて仕事をしていないから、ろくな仕事はできません。人のかしらには立てない。お互様に会社でも、らの字でも、商ないでも、いつの時でも本腰入れて、買出しに行けばよい品物が安く買えるというようなものや。だから本腰のはいっていない仕事をする人は、どこかの窓口でひとこと言われると家へもどってしまう。また呼び出しがあれば行かなければ、いつまでも放っておく。一つのきまりがなかなかかなわない。
​家々の商売でもそのとおり、まあいいいよいよというて、本腰入れて帳簿をつけておかないと、決算期になってから、徹夜をしなければならないことになりますねい。のらへ行ってもそのごとく、本腰入れてていねいに草をとっていろ〜とていねいに植木でも、畑の物でも手いれしておけば、その本腰の気に天でのって御働きくださるから、すべてのことに御利益がいた

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