世界心道教 りのさとし

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​にはとんちゃくなく、お助けやら、いろ〜な道も通らしていただきましたが、親からは十一回も、かんどうされ、夫婦別れや、親子別れが三回、最後には離別され、そして昭和十三年に天降りをいただき、昭和十七年には、八社様の天降りをいただき、昭和二十一年には、東京から豊川に引っ越し、二十四年には、諏訪官林へ引っ越しをして、現在の所に落ち着かしていただいておるようなわけでございますから、これから先の道の次第も、理に理がそうてだん〜と、おおにぎわいの心のふしんが始まってくると思う。という親様の入信からの四十四年ぶりでようやくきょうの日でございます、ということや。
​ですから、皆さん方も、ひるまずたゆまず、理に理をいただいて、道の発展に努力をしてゆけば、親様月日様、八方様に認められて、今世も来世も来々世もということは、万ごう末代見落しなく、お連れ通りをいただいて

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​り大そうじ、こわいようでも真の楽しみ、昼間はまじめに働き、夜はまじめに寝ること、かどめなり。
​夜の七時、八時、九時、十時にずぼらな道を通っていると、昼間の七時、八時、九時、十時の刻限に、夜のずぼらの道を通る話しを昼にする。まじめに働く時間といったら、わずかな時間であって、夜寝る時間もわずかであって、夜昼のまじめはたいてい十一時、十二時がまじめな刻限であって、だれかれなしにこれからも、刻限事情をよくさとり、真実決心どんと定めて、どんとかつ着いて暮らしてゆけば、なんのさわりもなく、けががあやまちもなく病気、病難、うれい災難にも出あわずに暮らしてゆけることやから、これからは先の道筋も、日夜心してお暮らしください、ということや。
​この八方様の刻限の中で、丑寅の刻に人間が動き出すことは、天から、『鬼門』と仰せやで、未申の刻限に、あちらこちらを見回して、夜の刻限
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​待ちかねて暮らしている人は、昼間の一時、二時、三時、四時に昼寝して暮らしているから、かんじんかななの病門や。
​鬼門病門でほこりを積んで、とらえられる人が八方ふさがりという。出られるに出られぬかごの鳥ようなことになりますから、人が休む時は休み、寝る時は寝、働く時は働く、足並みそろえて日々に、感謝の日暮らしいたしましょう、ということや。よくわかったでしょう。
​一六日
​美様 じゅうぶんの道をとおれば すえとまる 八四三 ☆ 六二七 一九五
​一日之命様 のぼりきったら おちにゃおれん 大安
​ということは、この道を聞かせていただいて、一家の家庭というものは、ものがあるからといって、ぜいたくをして、収入と使う金とのバランスをとらずに暮らしていたならば、しまいには赤字となっていきづまり、あれを売り、これをなくしてどこでも、ずいぶんな世渡りしていると、もぬけのから

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​になることを、天が御案じくだされて、御言葉に御知らせくだされたことやから、よくよく深く味わってお暮らしください、ということを、十分の道を通れば末とまる。末とは何か、年とって子供にあいそをつかされて、五尺の体の置き所なくなるようなことになる。一家中をくわだてて、世間へ恥じをさらすようなことになるから皆様よ、日々に心なされませ。すむとににごりでさらすようなことになるから皆様よ、日々に心なされませ。
​水。何事もにごり水飲むに飲まれぬ道の理を、よくよく深く味わうすんだ水。内容じゅうじつで感謝して、家名をけがさず、先祖に恥じいることのないように暮らしてゆけば皆様よ、のぼりきる理がないゆえに、貧乏するようなことはない。神様の御言葉の中に、『谷川のたえぬ流れを台にして、つくりうるおせきれることなし』と仰せの御言葉もよくよくさとりてお暮らしください、ということや。谷川とは谷間の川の水。谷川の水にきれめはないでし
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​よう。人間もひるますたゆまず働いて、これはこれ、あれはあれと一か月の収入のあることと使う道を心して、衣食住の三つに分けて、貯蓄して暮らしてゆけばきれいなく暮らしてゆける、ということや。
​つくし運びで陰徳積んで、においうつして助けて、天にも人にも喜ばれる道を通れば、おのずと天徳ましてくる。さすれば谷川の貯蓄もふえてくる心改良がじん徳となる。天徳じん徳むなれば、どんな災害もまねがれて暮らしてゆけばお互いは、天の御陰もよくわかり、人のお陰もよくわかる。世界の世渡りができてゆくのもまのあたり。お互様にこれからは、真剣勝負で暮らしましょう。こうして暮らすが来世のみやげ、今世来世もお互が、長者の暮らしになる、ということや。よくわかったでしょう。
​一七日
​国狭土之命様 おたがいは かぞくもともに みちびけば 九五四 ☆ 七三八 二一一
​一日之命様 はやくようきに なるはとうぜん 赤口 二一六

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​この世は生まれた時もひとり旅。死ぬる時もひとり旅。生まれた年月日は皆違う。そこで皆さん、だれが先で死んでゆくか、あと先知りたる者はない。そこで息ある間が大切や。人間という者は、末の細道知らぬゆえ、今さいよくばよいように、思うているのがさとり違いや。「今の若さに信仰だなととまっこうくさいそんな所へ運ぶなんていやらしい」と、あざけり、そしり暮らすいる人中にはあるそうな。
​なれど皆さんの道は、そんなおろかな道でない。いつも感謝のじつづきで暮してゆくのがあたりまえ、感謝せぬ人々はどこの人でもないけれど、おれがこの世に生まれきて、「おれが働いて、おれが食うて、おれが寝て、おれが家内を食わしてやって、おれが子供を育ててやって、おれが親をめんどうみてやって、おれは人には世話になったことはない、おれは人を世話してやった」と人間はいばって高ぶって、強がっている人が、「信仰なん
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​きらいだ」と言っていたて皆様よ。
​昼は御日様の御世話どり。夜は御月様の御世話どり。夜も昼も風の神様の御世話どり。人間という者は、わがと力で生みしものであって、「おれは人には世話になったことはない」というたて、すみや電気やまた米や野菜やさかなな、何もかもひとりでつくるものでない。天のみ恵みなかりせば豊年万作られない、大風とてもそのごとく、人間わざではふせげぬで、おれがわしのがけんこつ並べで、人間が水一てきも造れない。水気ぬくみもつくれない、人間様が人の世話にはならないといばっているけれど、金銭物金何んとする、病気ともなりゃお医者様やら、薬やら、人に看護をしてもらって暮してゆくのが人間や。
​他力本願わからずに、何んとおろかな人々が、世上にたくさんおるそうなそれはまあ、あとにして、これからは家族の者に、一大事とり次ぎまして皆

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​様よ、家族そろって笑顔にと暮らしていけるような心になって導いて、今年の秋の大祭のしゅんをはずさず家族をば導くことが、これかなめ、ということや。わかったでしょう。
​一八日
​月読之命様 よろず上にじんじゃぶっかく かずあれど 一六五
​一日之命様 このふたとなれば よろずわかるで 先勝 ☆ 八四九 三二七
​ということは、一は勢至観音。勢至観音ということは、天の月日親神様がこのたび天より天降り、人間の持ち前性分の改良の仕方、といいて聞かしてくださる。これぞ誠の心のせいし観音。
​【面足様】は、千手観音。すぎたることは言うてないぞや、先なることをばかりいう。せんてせんてと先手をうって、御聞かせくだされるとうとさは、感謝のきわみと喜んで暮らしてゆくことこそありがたや。
​【国狭土様】は、弁財天結びの神達磨様。弁財天とはなんのこと、『弁天
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​や、びわに月日のあわれかな、とどくなしかとともに語らん』とありますが、『いかなる時でも皆様よ、手をたずさえて暮らすなら、こわきあぶなきないと思えよ』と仰せくだされてありますとおりでございます。
​達磨様とは、お互に身上や事情にとざされて、手も足も出ないというて、嘆いているところへ、においがかかりて、運んで助けていただく意味の御言葉を聞かせていただいて、実行してゆけば夫婦も仲良くなり、金銭回りもよくなって、不自由なく暮らせることを仰せくだされてあるのであって、昔の人がよく言うておりましたが、「七ころび八起き」というておったことがありましたが、この道を聞かせていただいて、実行さえして暮らしている人はしっかりと言いとしてください、ということはや。また、
​【月読之命様】は、八幡大菩薩、聖徳太子。八幡大菩薩様とは、八方の神
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​様がいろ〜と会議をして、その理を地上にうつして、御支配をしていてくだされる理の役目。
​聖徳太子様も、八幡様の理を受けて、この世に御出ましくだされて、いさいのことをひろしめし、世に名を残しくだされた若宮八幡とはこのことや。
​それから、五番の、
​【雲読之命様】は、薬王如来、龍王親王様。雲読様は人間に薬になる理をみ教えになり、この世に人間生まれきて、医薬の働きさしてくださるみ親様なり。この神様の理を受けて、この世に御生まれくだされたは法然様なり。
​【煌根之命様】の理を受けて、この世に御出ましくだされたは親鸞様なり。それから、大日如来様は、煌根様の理を受けて天地を御造りくだされた親神様なり。それから、
​【大食天之命様】の理を受けて、人間界へ御出ましくだされたは日蓮様
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​なり。その理の姿は虚空蔵菩薩、二月堂様、御釈迦様ということは、社会もこの理を知らそうと、国に一つのくらびらき、これでまことの虚空蔵菩薩妙法とかれし二月堂、妙見様とは何んのこと、妙な世界に妙な道、広めくださる妙見様。けんしん様とは月読様と国狭土様、地雷様とは面足様のこと。なぜゆえならば、この世に人間様をば生みおろし、すべての支配は、
​【伊佐那岐様と伊佐那美様】これをまとめてこの世に人間を引き出しくださる。
​【大戸辺様】芽ばえふっきり花咲き実りの守護くださる不動明王。お不動様の理を受けて、人間界へ御出ましくだされたは弘法大師様。
​これで十社のみ親様、一分時間のたえまなく人間界をあみだしくだされたる南無阿弥陀仏の六字の妙号。南無の二字から始まって、妙法を御ときくだされて、お互様はこれからも、つねにざんげをいたしましょう、と題目につ
​【54ページ(画像362)】
​づいてあるのが南無妙法蓮華経。それに続いて天の父なる神は国立之命様アーメンとは面足之命様のこと。十社のみ親を総称して天理王之命様とはことのことや。
​お互様はどこまでも、ほしい、おいしい、かわいい、にくい、うらみ、腹立ち、乱用せずに見分けて暮らすが人間の役。つづまるところは欲、高慢、ということや。お互様に日々はさんざい心で陰徳積んで暮らすならば十社のみ親に見守られ、救うてくださるありがたさ、神社仏閣かずあれどこのふたなか〜取りきれぬ、またく〜おって語りましょう。ここらあたりで筆とめて、語る糸筋くさとり、わかりがついたらさとれるで、案じ心配いらぬもの、心の改良にいそしんで、陽気遊びで暮らしましょう。
​極楽世界の世渡りの秘伝秘法家伝妙薬のありがたさ、心に修めて日々さとりの境地で暮らしましょう。これぞ誠の甘露の法雨の妙力の御陰なれば、互

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【54ページ(画像362)】
​づいてあるのが南無妙法蓮華経。それに続いて天の父なる神は国立之命様アーメンとは面足之命様のこと。十社のみ親を総称して天理王之命様とはことのことや。
​お互様はどこまでも、ほしい、おいしい、かわいい、にくい、うらみ、腹立ち、乱用せずに見分けて暮らすが人間の役。つづまるところは欲、高慢、ということや。お互様に日々はさんざい心で陰徳積んで暮らすならば十社のみ親に見守られ、救うてくださるありがたさ、神社仏閣かずあれどこのふたなか〜取りきれぬ、またく〜おって語りましょう。ここらあたりで筆とめて、語る糸筋くさとり、わかりがついたらさとれるで、案じ心配いらぬもの、心の改良にいそしんで、陽気遊びで暮らしましょう。
​極楽世界の世渡りの秘伝秘法家伝妙薬のありがたさ、心に修めて日々さとりの境地で暮らしましょう。これぞ誠の甘露の法雨の妙力の御陰なれば、互
​【55ページ(画像363)】
​いに手をとって本部にはこぶをつねとして、暮らす心が第一や、というこ
とや。わかったでしょう。
​一九日
​雲読之命様 いつもかも あいてにとりて きりむすべ 二七六
​一日之命様 やみじのめくら もとをさとれよ 友引 ☆ 九五一 四三八
​『もと』とは何か、月日様なり。『もと』とは何か、わが心、心という理が始まりで、それからそれぞれと世がなりたってきょうの日や。これから先も同じこと、心一つで出直してあの世とやらへゆきまして、心の洗たくくままして、ふたたびこの世に生まれさしてもろうて、またく〜始まる、心の妙法あちらで学び、こちらで拝み、あれやこれやとしているうちに、ぜんだんくどくの道も通り、悪いりょうけんの道も通り、『今までは道すがら道すがらで通ってきたものばかりや』と仰せくだされてありますが、
​天の御言葉の中に、『はくあく因縁、人間に入悪事というてなければ、ち
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​よっとのほこりがついたまてや』と仰せくだされてありますとおり、善の因縁もあれば、悪の縁もある。人間の一家の家庭というものは、『前生の主従親子や兄弟の皆因縁の集りである』と仰せくだされてありますとおり、
​『親子となるは深き因縁、因縁よせてのこの守護や』と仰せくだされてありますとおり、一家の家庭のひとりひとりが因縁をきらしてもらうための親子や、父母様の言い条のとおる箇所もあれば、むすこや娘の言い条のとおる箇所もあれば、年老いたしゅうとと、しゅうとめのか言い条のとおる箇所もあれば、家族の言いうぶんが右と言えば左と言う、上と言えば下と言う、ごたくもめあうその時は、本部に出運んで聞かしてもろうて、前生の因縁をきかしてもろうて、自覚して、家へもどりて治めむき、おこのうて暮らすすその時に、天よりこのたび天降り、前生因縁とかれたら、負けて通るが勝となる勝はこるにもいたらんことや。
​【57ページ(画像365)】
​ならんとところを治めて通るが実の道、実とは何か、理でなる道や損得なしや、いつもかも相手にとりてざんげして、くらやみなしにお互があかるい道を暮らすには、妙力妙法悟らねば、くどくの道にはならんから、ひとりくらやみ暮らすより、長者の暮らしと喜んでお互様は暮らしましょう、ということや。わかったでしょう。
​二〇日
​煌根(こうね)之命様 ふみぞこないの なきようにせよ 先負 ☆ 三八七 一六二 五四九
​ということは、どういうことであるならば、この「会田ヒデ」が最初の天降りまでの十六年間の通らしていただいた年限の間に、いつの時でも日夜心調べをして通らしていただきましたが、これからもお互様は、『日々心調べをしてお通りください』と申しあていても、心調べの仕方かわからんといけませんから、ひとこと心調べの仕方をお話しさしていただきますから、よく聞

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​きとって、日々心調べをしていただきたいとうございます。
​いつも皆さんに申しあげておりますとおり、何事にかつきあたった時は方向転換をする、ということになりますが、一代のうちに大きな節に出あうこともあるでしょうが、またあったでしょうが、昭和五年の五月ごろの話でございますが、
​この私は大正七年から、昭和五年の五月ごろまで、東京の五反田というところで、自動車のハイヤーの営業をさいていただいておりましたが、昭和五年になって、道路の改正で店をたたんで、ほかの所へ移転をせねばならんうになりましたが、その自動車のハイヤーは株式になっておりましたので、社長や専務が、「もう自動車のハイヤーはやめよう」ということになったので、あるじもこの私も、あっけにとられておりました、こういう時が一つのかべにつきあたった時でございますよ。
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​ところが車はもう使えるだけ使ったので、がた〜になってどうすることもできないので、ボデーをはずして、自動車のシャシーだけ馬力に乗せて、ボデーの方も馬力に乗せて、シャシーを一貫目いくらで売る、ということになって、その馬力にシャシーが乗せられて、その馬力を見送る時の心といったら、今まで愛してきた車が全部よそへ売られていって、またようころへかけられて、製造しなおして何んの機械になるか知らないが、長年の間で苦労さんでございました、と車にお礼をのべ、天を仰いででおん礼をのべ、けにとられて、馬力を見送っておりましたが、そういう時に皆さんはいろいろな心がわいてるでしょう。
​この私にもいろ〜な心がわいてきました。そのわいた心はどういうことであったか、と申しますと、道路の改正で店じまいになるのは仕方がないが一台でも二台でもよいから、社長さんが自動車を買って、また自動車の営業

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​をやらしてくださればよいのにとか、あるじがあんな昼遊びや、夜遊びをして、金を使わなければ、あんな自動車の一台や二台は買えるのにと思って、車庫をながめて、これだけ大きな車庫は造れないでも、せめて二台ぐらいなら入れる車庫がほしいなあ、と思ってみたり。
​子供がもっと大きければ、どこかへ働きに行ってくれれば生活には困らないが、何にも財産がないから困ったなあ、給料だけで暮らしておって、給料もらうと、すぐにあるじが使ってしまって、これから先どうにもこうにもっちもさっちもいかんが、やめるについて赤字続きの会社であったから、退職金という手当もないし、どこかへ家を借りて、また二の段を考えねばならんが、と馬力を見送りながら、いろ〜なことを思いだして、今考える と、あるじをうらみ、会社をうらみ、子供にぐちの心を動かしてみたり、何んのことない、ばかであったなあ、と天にむかって、『今使った心は帳消し
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​にしていただきとうございます。これからも一かけからやりらしていただきますから、親様月日様お見すてなく御連れ通りいただきますとうございます』とおわびやらざんげやら、お願いやらをして、奥へはいり道具をとりまとめておいて、近所を探して歩いて、小さな家を一軒借りて、そこへ引越しをいたしましたが、
​まあ、いいや、ホロの自動車が一台買ってありましたから、実家の弟にたのんで運転をやってもらって、そのうちにまた一台買わしてもらってどこか車庫を借りて、引越ししてから思案をしておりましたところ、ある日のこと、弟が運転をせずに家へもどってきましたので、「どうしたの」と申しましたところ、「出先で乗っていたお客さんをおろして、自動車の買い手を連れてきて、道ばたでお金の取り引きをして、おまえは家へもどっておれといわれて、がっかりして家へ帰ってきたようなわけでございます」と申さ

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​れましたので、それを聞いた瞬間、『まあ、なんとにくいことをするあ
るじだ』と思い、にくしく思いましたが、
​『にくでみたところでどうにもならんから』といって、『まあ今いろいろと思案をさしてもらいますから、ちょっと待ってください』と弟に申しまたところ、「もうこんなことになったんだから、わしも一つ考えますよ」というて実家へもどって行きました。それからこの私もいろ〜と考えた末でまた私どものことで世話をしてくれておった岡部という人にのんで、今度は目黒の検番へ勤めてもらうことになりまして、ほっと息をついているうちに、西小山という所で自動車屋を始めることにいたしましたが、
​『日々にわかす心の理を調べ、あざやかとなる心思案せ』と仰せくだされてありますが、人間という者が嘆いたり、くどいたり、うらんだりしてやつ
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​きになれば、【熱が出たり、腹痛がおきたり、背中が痛くなったり、家々で息が合わんとせきがでたり】そんなことなんぼくり返してみたところで、ろくなことにはなりませんから、こうしたほこり心は皆やめて、日々つまらん心にとらわれずに、人をうらまず、腹立たず、自活の道を歩むことが大切と思う。心というものは、たえずつまらん心を使って暮らしているのが人間だから、何が元で不足が起るか、何が元で腹を立つのかと元を調べれば、じが外で酒を飲んでくるのが元で、人にあたりちらしたり、あるじに文句を言ったり。子供がいうことをきかんといって、おこったり、嘆いたりしている。それも皆枝先であって、元を考えれば酒飲みが元、元にとられてほこりを積んでいたのでは、一家の家庭が円満にはなりませんから、も一つ真に一つの因縁で、自由自在を見定めて暮らしてゆくが第一と思う。こういうふうにして、心調べをして、腹底をたたいての日暮しをして、ふみぞこない

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​のないように暮らして行けば、病や煩いもなし、家々にけんか口論もなくなって、おだやかな目で日暮しができる、ということや。わかったでしょう。
​二二日
​大食天之命様 たましいのはたらくみちは かずあれど 四九八
​一日之命様 もととはいっぽん えだは八ほん 仏滅 ☆ 二七三 六五一
​ということは、どういうことであるならば、『魂の働く道はかずあれど』ということは、いつの時でも聞かしていただいておることであって、ほしい、おいしい、かわいい、にくい、うらみ、腹立ち、欲、高慢、この八つの心にいろ〜な欲で腹立つ人もあれば、うらんで腹立つ人もあれば、わが身かわいいで思うようにならないといって、腹を立つ人もあれば、人をにくんで腹を立つ人もあれば、わが身をうらんだりして、人をうらんだりして腹を立つ人もあれば、ああいしてくれん、こうしてくれんといって腹を立つ人もあれば、あんなことをぬかしゃあがって、といって腹を立つ人もあれば、人をばかにし
​【65ページ(画像373)】
​やがったといって、腹を立つ人もあれば、あそこのおやじはおれのことを、ほろくそにぬかしゃあがって、というて、腹を立つ人もあれば、いろ〜な心に因縁ばかりつけてきやがる、というて腹を立つ人もあれば、いろ〜な心を使っている人が世の中にはたくさんあるでしょう。
​だが『元は一本』ということは、どういうことであるならば、ほしいの強い人もあるえば、おしいの強い人もあるえば、わが身かわいいの強い人もあるえば、人をにくむ心の強い人もあるえば、うらみの強い人もあるえば、すべてのことに腹立つの強い人もありば、欲の強い人もあり、また高慢の強い人もあるば、情めいく〜の心使いによって、強い心がつのり重なると腹を立つ、これが元は一本、枝は八本、ということでございますよ。
​それですから、御言葉の中に、『もと一つ、真に一つの因縁で、自由用自在をいただける道を見るまで』ということを、天が仰せくだされてあるので

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​やがったといって、腹を立つ人もあれば、あそこのおやじはおれのことを、ほろくそにぬかしゃあがって、というて、腹を立つ人もあれば、いろ〜な心に因縁ばかりつけてきやがる、というて腹を立つ人もあれば、いろ〜な心を使っている人が世の中にはたくさんあるでしょう。
​だが『元は一本』ということは、どういうことであるならば、ほしいの強い人もあるえば、おしいの強い人もあるえば、わが身かわいいの強い人もあるえば、人をにくむ心の強い人もあるえば、うらみの強い人もあるえば、すべてのことに腹立つの強い人もありば、欲の強い人もあり、また高慢の強い人もあるば、情めいく〜の心使いによって、強い心がつのり重なると腹を立つ、これが元は一本、枝は八本、ということでございますよ。
​それですから、御言葉の中に、『もと一つ、真に一つの因縁で、自由用自在をいただける道を見るまで』ということを、天が仰せくだされてあるので
​【66ページ(画像374)】
​ございます。ですから、ほしい、おいしい、かわいい、にくい、うらみが下じきで、すべてのことが腹立ちにきすことになっておりますが、つづまるところ欲が元。高慢が元。お互様は下じきの心をひるがえし、ひるがえし日々暮らすことが助かることであって、この心使いがかんじんかなめですから、日々心してお暮らしください、ということや。よくわかったでしょう。
​二三日
​大戸辺之命様 なにごもほんごしいれて くらすなら 五一九
​一日之命様 てんのりやくは ふかくあるから 大安 ☆ 三八四 七六二
​このとおりと思います。このお道をやらしていただくのにも、本腰を入れてやらしてもらわんと、においがけもへっぺれ腰ではだめ。お助けもいそがしいせわしいの中腰で、つくし運びは逃げ腰で、心の改良はじぐざぐで、何を言うているのか、しているのか、こういう人の行ないは、教会も支部も分講も発展するようなことはない。
​【67ページ(画像375)】
​会社へ勤めてもらおう調子で、本腰入れて仕事をしていないから、ろくな仕事はできません。人のかしらには立てない。お互様に会社でも、らの字でも、商ないでも、いつの時でも本腰入れて、買出しに行けばよい品物が安く買えるというようなものや。だから本腰のはいっていない仕事をする人は、どこかの窓口でひとこと言われると家へもどってしまう。また呼び出しがあれば行かなければ、いつまでも放っておく。一つのきまりがなかなかかなわない。
​家々の商売でもそのとおり、まあいいいよいよというて、本腰入れて帳簿をつけておかないと、決算期になってから、徹夜をしなければならないことになりますねい。のらへ行ってもそのごとく、本腰入れてていねいに草をとっていろ〜とていねいに植木でも、畑の物でも手いれしておけば、その本腰の気に天でのって御働きくださるから、すべてのことに御利益がいた

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