世界心道教 りのさとし
気楽安楽に暮らさして、いただくことができる、ということや。わかったでしょう。
一八日 国狭土之命様 ごくらくの よわたりできる 今日のひや 二七六
なんとめずらし なんととのもし 仏滅 ☆ 九五一
四三八 🐂
ということは、皆さん方が、入信される前と今とは、どう違いますか。実行をしている人は、何んとめずらし御利益をいただいて、何んと楽しみな道やと、喜んで運んでおられるでしょう。
この「会田ヒデ」も、大正十二年末より、入信をさしていただいて、人様をお助けさしていただくのに、願えば助かる。願えば助かる。というありがたい一条で、この道にまい進させていただいてまいりました。そこで御言葉の中に『万国を一つにまとめの甘露台。以の字の中の一点を知れ』と仰せくだされてあります御言葉を、天降りいただいてから伺っておりますが、
『万国を一つにまとめの甘露台様』とは、月日様のこと。『以の字の中の一点を知れ』ということは、伊佐那岐之命様、伊佐那美之命様。この神様の理を受けて、一家の家庭の父母様、それにつらなる子供ということは、『一点を知れ』という言葉の理。
それから書面の一番しまいに、「以上」という言葉を使うでしょう。上という字が、以の字の方から見れば、上下の下でしょう。反対から見れば上(かみ)親子も共ということが「以上」ということだそうな。
また御言葉の中に、『よろずの元の根をほらす、力あるならほりきりてみよ』と仰せくだされてありますが、『この世に生まれさんしていただいてから』と仰せくだされてありますが、『この世に生まれさんしていただいてから、あとさき知りたる者はさらにないから』と仰せくだされてあります通り、『この根のほりかた知りたものなし』と仰せくだされてあります通り、まったくお互様は、これ
から段々と運ばしていただいて、因縁につきあたる前に聞かしていただいて因縁にひっかからずに暮らさしていただくことのみを、研究して暮らしてゆけばよいのであって、研究心のない者は、ともしびに風が吹いたようなもので、ふっと吹きけされたようになりましたから、まこと真実の根強き人になってお暮らしください、ということや。それですから、何んとめずらし何んとたのもしいう、ということもしるわかるでしょう。そこでよくわかったでしょう。
一九日 月読之命様 みなさまよ むほんばらいの このこころ 三八七
さとりとれたら よろずたすかる 大安 ☆ 一六二
五四九 🐅
ということは、昭和二十年の三月の十と五日の午前一時ごろ、東京の洲崎という所に大空襲がありまして、何万という人が爆弾でみな出直しになっておる真最中に、天から突然、『むはん払いの手をつけねば、日本が破滅におちいる』と仰せくだされて、それから、むはん払いの手をつけていただきま
したことを、今日にいたるも、皆さんが朝夕おつとめをさしていただいておるのでしょう。ここのところは、天からの御言葉でございますから、よく聞いて心に治めていただとうございます。それはどういうことであるならば、容易ならざる天の御言葉でございますよ。
『むはんすっきり払うでしっかり助けに甘露台』と願う。はき出す息が空中へとびまわる。そのとびまわっている息を、吸いこむ人が、腹の中の悪気邪念が退ぞいて、おのずと導かれてくるのだそうでございます。
そしてまた、各教会で、支部長や、分講長や、責任役員や、委員や、教師や、信徒の家で、おつとめをされる空気が広がっておる。これを甘露法の雨という。ですから、このお道を聞かしていただいておる近所に火災がおこっても、その息を吸っているのと、甘露の法雨とで、家が焼けないのですが、あくたもくたをゆうておる人が隣におれば、その隣は焼けても、皆さんのお
になっているのでございますよ。
そこで中に反対者がおると、一様の家庭でも、業者でも、会社でも、空気が人間心と信仰心とがショートして、もやのごとくに暮らしている世の中でございますよ。ですから、この道の者が、意気はつらっと心のうちで、『むはんすっきり』と願いながら、ほとりの人にまじこらんよう、心してお暮らしください、ということや。わかったでしょう。
二〇日 雲読之命様 皆様よ さかきのまいとは なんのこと 四九八
あまくだりたる 元のいんねん 赤口 ☆ 二七三
六五一 🐰
ということは、この世をお造りくだされた、月日親様や八方様のところへ、この台が、『今この世上が、大東亜戦争とか何んとかいうて、日本へ攻めよせてきて、日本の人間が、みなごろしになるというような、危険な状態で皆おびえておりますから、さっそくくに地上へ、この私といっしょに天降っ
(一個前のもの)家には、甘露の法雨のしめりけで、火災をまぬがれるのでございますよ。この御言葉を天からいただいておられる人は、『授けのこうや広大無辺』と仰せくだされてあるのでございますよ。
それですから、まさえあったら、ほしい、おしい、かわいい、にくい、うらみ、腹立ち、つづまるところ、欲、高慢の心をなぎ払って、むはん払いのおつとめを余念なく、つとめていただきたいものでございます。それですから、この道の人のおられるところは、台風でも、水害でも、火災でも、地震でも、雷様でも、みな無難で通していただいておられるでしょう。こういういすいを悟ってお暮らしください、ということや。
すべての作物も、豊年作物の御利益をいただいておられるのでございますよ。会社でも、家庭でも、業者でも、なんとなく甘露の法雨のしめりけの御光を、人間の魂が吸いたくなって、商売の方も、会社の方も、すべて豊かに
てお助けいただきとうございます。人間ではとても世の中の人を救うことができませんから、お願いいたします』と天に御願いに出かけた姿が『のぼり龍』。天といっしょに天降っていただいたのが『下り龍』。皆さんがお助けをいただくたびごとに、天に願いをかける、これが『のぼり龍』。御言葉のさがってくるのが『下り龍』。そこで、皆さんとこの台と月日様と八方様と皆さんと共にやらしていただいて、世の人でとに助ける。この姿が、天降りたるものとの因縁、ということや。わかったでしょう。
二一日 煌根之命様 おたがいは かぐらのめんを よくさとれ 五一一
うたのいみあい こうしてよめ 先勝 ☆ 三八四
七六二 🐉
このとおりと思います。だが皆さん方の神社で、お祭りがあるでしょう。その時に、神楽堂へ出て、お面をかぶって、いろ〜な踊りをされるでしょう。その姿がみな、皆さんの家庭でやっておられる姿と思います。
にこやかにほがらかに暮らしているのが【おかとめさん】。口をとがらせて腹を立っているのが【ひょっとこ面】。いつも腹を立って、ものを言わずにふくれているのが【おたふく面】。あまりよくはこちらではわかりませんから、皆さんの方でお悟りください。
本部に運んで、おかがらづとめをなさる時、ただうか〜と、おかがら歌を読み流しにせぬよう。『こうして願えよ、助けてやるぞ』と、天からおさげ渡しされた御言葉の文面を、一言ずつ心におさめて、よく味わって、家庭におっても用い、外へいっても、人のふり見てわがふり直し、つとめにいっても、不足不足のけんかのうずにまきこまれて、不足はせぬよう。のらへいっても、畑に家々のほこりのいきをふっかけると、作物の実りが、とぼしくなりますから、ほこりの心つかかんよう。いつの時でも心して、日々お暮らしください、ということや。わかったでしょう。
からもう手ずがつけられないから自宅で養生をしてください、と医者からつましいんどうを渡されることになるでしょう。
それから親族会議を開いて、家へ引きとって、交互に看護することにしたそうでございますが、お医者さんは、今年いっぱい持つか持たんだかわかんないというそうだ。だが寿命の点はお医者様でもわからんし、あの世から持ってきた寿命どおりに、世の中に生きている人もあるし、あまりほこりをつみすぎれば、寿命より早くなる人もあるし、こういうことも、『理から治る道であるから』と仰せくだしてありますから、日々心してお暮しください、ということや。
この人は本部にきても、親様に近づったこともなく、御言葉もあまり聞いてはいないようでした。本部に来れば、明けの日には早々ともどるましう、つくし運びもそのわりにしてはいないし、こういう人は今にどうな
間がしてもらったり、春秋の講習の御言葉やら、話しは山ほど聞いておっても、自分のことになると、人間というものは、思いがえをしないで、勝手な心を使って、「死んでしまった方がましだ」なぞと、つまらん心を使って苦しんで願いに出るより、もう一息苦しんで死んで行けばよいのに、苦しくなると、たえられなくなって、「ああ死ぬような心を使ったからこうして出てきたのだ。あるじの帰りがおそくても、不足をするとせきが出るのだ、これはあるじといきが合わんだの」と親様月日様へおわびをして、あるじがおそく帰ってきても、きげんよく迎えてやるような心になれば、身上はたちまち守護になるんだが、どうして人間というものは、心の改良しないのでしょうかね。
ある所のある人が、体がだるいとか、苦しいとかいうて、お医者様にみてもらったら、子宮癌だとか、体内へ癌ができているとか、肋膜へ水がたまっ
ているとか言われて、家族の者が悲観をして、「親様月日様、まことに申しわけありませんが、もう一度神様へお願いをしていただきますとか、いろ〜なことを願っておられましたが、その身上の人は、お医者様に、いろ〜なことを家の人に話す。それを家系の者が悲観をしている人に、『悲観をしないで暮らしてもらいなさいよ。親様が天に願ってくださるから』と注意をすれば、『もと〜医者なんてだめだということは知っておりますから、今となっては、神様におすがりするよりほかに道はないいうて、家々は皆願っておりますよ』と、何んでも心というもののそっちのにして、おすがするだけではまことにと困ったものですね。
先方からこうした口上を聞かされると、親様の方では、ああ困った者だ。たとえ一カ月でも二カ月でも、お医者様にみてもらっておりながら、『もともとお医者様はだめだ』なぞいうて、たたきつぶしていたのでは、お医者様
からもう手ずがつけられないから自宅で養生をしてください、と医者からつましいんどうを渡されることになるでしょう。
それから親族会議を開いて、家へ引きとって、交互に看護することにしたそうでございますが、お医者さんは、今年いっぱい持つか持たんだかわかんないというそうだ。だが寿命の点はお医者様でもわからんし、あの世から持ってきた寿命どおりに、世の中に生きている人もあるし、あまりほこりをつみすぎれば、寿命より早くなる人もあるし、こういうことも、『理から治る道であるから』と仰せくだしてありますから、日々心してお暮しください、ということや。
この人は本部にきても、親様に近よったこともなく、御言葉もあまり聞いてはいないようでした。本部に来れば、明けの日には早々ともどってしまうし、つくし運びもそのわりにしてはいないし、こういう人は今にどうな
るかと、本部では見ておりましたところ、こうした身上になられて困っておられますのよ。
とにかく家庭では嫁さんをもらい、そのしゅうとめさんと嫁さんがあまり仲がよくなくて、嫁さんが出ていったの、戻ってきたのというているうちにけんかした嫁さんに、さかんにめんどうを見てもらわにゃならんのだから、嫁さんをもらいたてに、あまりしゅうちゅうとめ風をふかしていたから、年限たって嫁さんに頭を下げて、たとえお水一杯でも、下の世話でもしてもらわねばならんようなことがおこりますから、皆さん方も、理というものを日々研究してお暮らしください、ということや。よろず助かる道をたどってお暮らしくださいね。わかったでしょう。
二三日 大戸辺之命様 おたがいに りでなるみちと こころして 七三二
大じのまえの しょうじききわけ 先負 ☆ 五一六
九八四 🐎
ということは、どういうことであるならば、お互様に今世家庭で現われていることが、前生通った裏が出ているのだから、どんなことが現われてきても、本部へ運んできて、理というものを教えていただいて、前生の因縁を自覚していけば、大事にいたらず因縁をくい止めることができるから、大事の小事ききわけ、ということや。
お互様にどんな因縁が積んであっても、理でなる道であるゆえに、一歩手前で、因縁をふみかぶらずに暮らさせていただける、ということや。お互様に、心して暮らさせていただきましょうね、ということや。
たとえていうたら、あるじが極道して、家族の者を今世困らしいているとしたら、前生にないしょうで、家内が極道しておって、今世あるじに極道されて、前生困らしいた因縁の期間だけ、あるじに困らせられるのだから、人間というものは、見た目の解決ばかりしておって、あるじが悪いとばかり思って
そうして暮らしているうちに、家内がたま〜戻ってきて、あるじを離縁して、子供をつれて立ち去る家内もあるそうな。世の中というものは、よくむじゅんしているようなことは、みな前生の裏が出て、今世みなー家族かわめいているのでございますよ。
因縁自覚ということが、一番大切でございますよ。そうしてゆけば、おだやかに世の中が治まってゆくということや。
『理というものがわからねば、がんぜ知らずもおなじことや』と天で仰せだしてありますから、日々現われてくる因縁にとらわれぬよう、理を見わけて暮らしていただくことが、かんじんと思う。よくわかったでしょう。
二四日 岐様 身上て事情やとても そのごとく 八四三
はるとあきの ことばこころせ 仏滅 ☆ 六二七
一九五 🐑
『春と秋の言葉心せ』ということは、どういうことであるならば、皆さ
んもご存知のごとく、春は陽気で花も咲くし、人間にも若い時代陽気であって、浮いた浮いたの心で、花ざかりのような気持ちになって、いろ〜なものを着かざって、ふらりふらりと歩きまわって金を使う。そして若い時代には、何の働きもないくせに、親を困らした因縁で、年とって汗だくになって働いて、実りのような季節がきたころには、親不孝の因縁が積んであるから、今度は自分がかたずいて、子供が授かって、その子供が年ごろになって、親の働いた金をむさぼりとって使い果たして、秋の実りのに、田地田畑を売り払って、人手に渡ような時がくる。
そして何もないようになって、ふるえあがるような時がくる。そうしたこと数を積み重ねっていってオルことを、神様の御言葉の中に、『因縁をきらねばおもつづくなり、おそい早いかきらにゃ通れん』と仰せくだされてありますから、生まれさしていただいた子供を育てながら、親がざんげをし
てまじめに子供のめんどうをみておいて、娘や息子というように、若い時代がくる直前に、親の方が子供の姿を見て、「このくらいの年の時に、こういうぜいたくをして、親を困らしてきた。申しわけなかった」と、若い親が寄りの親に心真からざんげして、自分が使い果たしただけの御恩報じをさしていただいておりさえすれば、若い夫婦の子供は、年ごろになって極道するにはならずに、まじめな息子や娘に仕立てあがる、というものや。
さすれば、その若夫婦を年寄りの親が愛することになる。さすれば、若夫婦の子供が一生懸命に働いてくれて親思いになる。こうした家族制度が代々続いてゆけば、家中が陽気になる。家々が豊かになるから、身上や事情もよくなる。さすれば、むだ使いがなくなるから家庭が豊年万作となる。
あたたかい心で、家々が愛し合ってゆけば、つまらん因縁が現われてこないから、ものにおびえて、ふるいあがるようなことはなくなる、ということ。
や。一家そろいて万々才となる。こうした家庭ができあがれば、世界中が極楽世界になる、ということや。よく分かったでしょう。
二五日 美様 かなごろの はなしはみなも きいている 九五四
なれどほんしん わかりいるかよ 大安 ☆ 七三八
{ ... } 二一六 🐒
ということは、どういうことであるならば、皆さんが日々お話ししておられる言葉というものは、なかなかですねい。そのかなの言葉の声をかけようでお、先方が自分に満足のできる言葉をかけてくれるというもの、これが理というものでしょう。
それだから、発言する前に、『胸と口とが砂とすいのうにかけて、こした言葉を出せよ』といつも天から仰せでございますよ。それだから、耳にたこがいるほど聞かしていただいておっても、皆さんは家へ戻って実行をしておられますか。こういうことを、一番親様は心配をしていてくださるのでござい
ますよ。声のかけかたが違うと病気になったり、事情がおきたり、まわりの人が心配をしたり、うち〜の心のうちがまっくらになってしまいま物すから各自の家庭のめい〜が心して、声をかけ合っていただきたいと思います。
そこでたとえた話しが、あるじが外からおそく帰ってきても、「なぜ今ごろおそく帰ってきたか」というて、むか〜と腹を立つところを、ぐるっと向きをかえて、「お帰りなさい。きょうも早かったですねい」と声をかければ、「きょうはこれ〜こういうわけでおそくなったが、あすは早く帰れると思うよ」というて、先方からいいわけのような声をかけてくれることになるでしょう。
そこでまたむか〜してくるところを、ぐるっと向きをかえて、「外へ出られておるために、いろ〜と用事もありますでしょう。どうぞご心配なく」というて声をかければ、相手の人が、「これからは脱線しないように、家へ
早く帰るくせをつけよう」という心になって、一家の家庭が円満になる、ということや。
さすれば、家にいる家内の声のかけ方ひとつで、相手の人も家へ帰るのが楽しみになる。しゅうとや、しゅうとめや、小じゅうとも、孫も、皆うちそろって、夕食のだんらんのひと時がおくれる、というものや。それを反対に「きょうはおそいわねい。外で何してきたの。ご飯のしたくをして待っていたのに、あまり帰りがおそいから、しゅうとさんも、しゅうとめさんも、小じゅうとも、私も、子供も、みんなご飯をいただいてしまいましたよ。おふろみんなではいってしまいましたよ。おふろは少しぬるいかもしれませんが見おそく帰ってきたばちで、ぬるいおふろへはいりなさい。おそく帰ってきたばちで、ご飯でもおかずでも、みんな冷たくなってしまいましたが、勝手におあがりなさい。」相手方から、「おれはもうご飯もすんだし、おふろ
もすんだし」というて、ぷり〜怒って、寝間へはいって、相手の人が勝手に布団をしいて寝てしまうというようなことになったら、一家の家庭がばらばらになる身仕度を、はじめたようなことになってしまうでしょう。それだから、一家の家庭がばら〜にならないうちに、いっさいの心の向きをかえてお暮らしください、ということや。わかったでしょう。
二六日 国狭土之命様 なにもかも きいてつたえて いるけれど 一六五
わがみのしあん なんとしょうぞや 赤口 ☆ 八四九
三二七 🐓
ということは、どういうことであるならば、わが身の思案は家庭のこと。これは運んで聞かしていただいて、心のもっていき方をさとしていただいて実行にうつしてさえゆけばよいのであって、親様月日様、八方様のみ教えて聞かしていただいて、八方の人に話しをさしていただいて、ということが、『聞いて伝えているものの』ということや。
そこで皆さん、どんなことがあっても、いくら人間がきれいなことをいうておっても、『清水もしびんで出せば』ということは、神様のお話しは清い御話しでございますが、日ごろの行ないが悪ければ、しびんでしょう。しびんで出したお話しは、人に用いていただくことはできませんねい。『道に立つ身はよろずつつしめ』と仰せくだされてありますとおり、しっかりと実行していただきとうございます。
まあたとえた話しが、神様の御話しを、聞いて伝えていたとしても、実行のできん人のいうことは、人が用いてくれませんねい。「あんな心道教の話しを聞いている人が、家内や子供をほっておいて、二号三号もって極道をしているものの話しを聞いたって仕方がない。あの心道教の親様は、あんな極道をしている人を、支部職だの責任役員だの委員だの教師だの信徒だのと、寄せ集めてやらしておくということはない。あんなところへ行って、もしや家
のせがれやら、嫁やらが、極道になっては大変だ」と、ひとりちりふたりちり、年限たつうちに、人がひとりともよらなくなってしまって、先頭者が極道をしていると、枝先のものが皆不足をして、身上事情でもちもさげもならんようになって、困った者やと思った日もかず〜ありましたが、たとえ先頭者が極道をしておっても、枝先の人が不足をして、ばら〜になってしまえという教えてはないのだから、親様をめどうに、たれもかれも真剣にやらしてもらっておりさえすれば、いつか先頭者も、身上か事情で目ざめる日もあるのだから、「あの先頭者が、親様月日様、極道をやめますように御利益をしてやっていただきとうございます」と、一列の人が先頭者を願ってやるという、誠の心がほしいと思う。
先頭者は何かのショックで魔がさして脱線をしたのでしょうが、ものの半年もたたんうちに、中気のような身上が現われて、心を改良して御利益をい
ただいで、ついてできておりますが、回わりで不足不足をいうていた人はなかなか寄ってはきませんねい。ささいなことでも、先頭者はじめ一頭の者が、人を見て、ああのこうの批判をして暮らしていたのでは、しょせん助からんことになりますでねい。
御言葉の中に、『人を見て理を見る力なきものを、めくらというはちがいあるまい』と仰せくだされてありますとおり、「親様からいろ〜とお話しを聞かせてもらいたいが、ながく〜そばへによれないし、つまらんことや」というて不足を言っている人も、中にはたくさんあるように思いますが、
神様の御言葉の中に、『神というはつきあいよいものや』と仰せくだされてありますとおり、寄り日の時に、ごあいさつに出られて、遠慮なくどんどん質問してくださいれば、どんなことでも解答をさしていただきますから、ひとりでもよいから前へ出て、親様に声をかけていただきとうございます。
それから寄り日以外の日でも、なるべくお会いさせていただきますから、遠慮なく受付まで申し出てください。そこで皆さんに一言申し上げますが、ふだんつくしも運びもしないで、心の改良もしないで、お道に協力もしないで、においがけもお助けもしないで、ただばくぜんと本部へお参りにきて、人の話しを聞いてばくぜんと戻っている人は、おがみたのみのお参り信心で、親様月日様から聞かしていただくことはできませんので、自分から自然と遠ざかって、勝手に親様の悪口を言うている人も中にはあるそうな。
なれどそんなことは、こちらではおかまいなしですからねい。心次第でどれだけの協力したからとて、天で見おとしのありそうなことはありませんから、しっかりと目ざめて、道を正して向きを換えて、つくしもし、運びもし、心の改良もし、においがけもし、お助けもし、親様のところへじかに書面をよしてくだされば、一家の家庭の身上や事情の助かる道あけの御返事も、
次第によっては、出してもいただきますから、安心して近よるくせをつつけた方がとくだと思う、あいだの日に運ぶ時に、親様に面会するのがおっくうな人は、親様となれている人の案内で、出かけてきた方が早く助かると思うよくわかったでしょう。
二七日 月読之命様 めいめいの もちまいなるを よくさとれ 二七六
よろずたすかる ことになるから 先勝 ☆ 九五一
四三八 🦁
ということは、どういうことであるならば、お互様に、前々生から積んできた因縁の果し場所は、この地上でございますよ。『なんと生まれ変わっても、皆このとおり』といつも天で仰せだしてあるのでございますよ。
この地上でいろ〜な因縁を積んで出直しして、またこの世にきて仇をとったりとられたり、これがすなわち、『この世は恩の報じ場』という。御言葉の中に、『恩を果すかあずけるか。差し引き勘定天がしている』と
仰せくだされてありますからは、持ち場立ち場を大切に、現われてきたことを、恥じいることはないから、本部へ運んで聞かしていただいて、ふりかかってくる難をきりぬけていく道を教えてくださるのが、このたびの天降りの天からの、『こうせいよ、ああせいよ』とおさしずをしていてくださるのでございますから、仰せのままに進ましていただくことが、持ち場立ち場の役目を、無難で果していただくことができるのでございますから、しっかりと心しておさとりくださいませ。
『まあ前生にどんな悪いことがしてあっても、この道に出て、あやまり果ててざんげして、これからこうと改めかえて、このお道にふんばるというのなら、今までに積んだ因縁を切って、三代先の理を授ける、というは万どう末代一度の普請や。しっかりやってくれよ。月日たののみや』と仰せくだされてあって、人間が人を心でたたいたり、また相手の人にたたかれたりして
きょうまでは泥試合のような世渡りをしてきたが、『これからこうと、心を改めて暮らすというのなら、今までのところ許す』と仰せくだされてあるのでございますから、安心して、しっかりと道をやらしていただいてゆけば、どんな火水の中でも陽気暮らしになれる、ということや。いっさいの人間心をはいしして、神様一条で、おのが心をお互に、とりしまって暮らしていただくことが大切と思う。『大切と思う心は元へ出せ』と仰せくだされてあるからは、元とは親様月日様、八方様のこと。天地間の人を救わしてもらいうほど、親孝行はありませんね。
この世の中のありさまをよくながめて、よくさとって、善悪見さかいをよくつけて、心正しく導いて、あきずにこりずに運ばしてもらうことが助かる元ですよ。よくわかったでしょう。
このお道もそのとおりで、うんく〜わかった。腹立ちごとをやめるのか、うんく〜わかった、というて、一度運んでめったにこないで、年に一度ぐらい運んできて、「持ち前性分の改良か、また腹立ちか、そんなことは聞かんでもわかっているわ」といって、十年の間に三べんぐらい運んでいたのでは先生の顔もわからんし、本部の食堂がどこにあるのやら、自分が訪れる部屋がどこにあるのかわからんし、後から入信した人でも、真剣にやっている人は、前からですいていた人を追いぬいて、教会長になったり、支部長になったり分講長になったり、責任役員や委員や教師になったりして、世の中の理というものも明るくなって、人の先頭に立って多くの人にかしずかれて、敬いとばれて、親様にもみなかわいがられて、どんく〜と一家の家庭も助かり、教会内も助かり、結構ずくめになっておられる方もちくさんありま
すが、とにかく親様月日様、八方様の天降りということもしよくわからずに、うかつに暮らしていたのでは、年限だけは十年でも十五年でも運んでいるような顔をしておっても、十五年の間に三回か五回運んでおったのでは、きょう運んだ信徒と同じでしょう。
それだから、親様の前へもきまりが悪くてこらえなくて、だんく〜道から遠ざかっていってしまって、会長さんより古い信徒も中にはあるそうな。それが親ひとり子ひとりで暮らしていて、子供が成人して嫁をもらって、これからというところで、家をあけ渡ような気持ちで、お道にふばしてもらえばよいものを、子供が、「お母さん、神様のところへお参りでも行っていらっしゃいよ」と声をかけられたら、「ありがとうよ」と、お道に出させてもらえばよいものを、「おまえ二人はおれをじゃまして外へ追い出す気か。この親不孝者めが」といって、せがれをあくたもくたにの
のしって、「家のせがれは嫁が来てから悪くなった」といって、家から外へ一歩も出ずに、道もやらずに寝ているそうな。そのせがれは、幼い時から道を聞かしてもらっているから、道もやらねばならんが、生活面の維持も立てねばならんで、嫁と協力して家々のまわしから、人のつきあいから、道のことから、一生懸命でやっていているそうな。
なれど、この若夫婦の大事なところは、親を思いやって暮らしてもらっていないと、今度若夫婦が親の立ち場になるのだから、子供に親孝行してもらいたかったら、子供もつれてお道の方へ運ばしてもらって、心で親をかかずに、「何もかもおれの方の方がよくわかっている。この親はわからずやだ」といいて、親をさげしめんよう。何もかも聞かしてもらってわかっているとお母さんが、人間心にとざされて、今一生懸命で〇〇家の因縁を切ることも知らずに、来世のみやげをこしらえてもらう時期に困ったものやと、この
親様の方では、その人の将来をじっと見つめましておりますが、わかっていて実行しないのは、わからんと同じことでしょう。だんく〜と理に理がのって、しまいには天から理気知を取り上げられて、何んのみやげをもっておあの世とやらへ行かれるのか。ほどと深さもわからない。ただ目前になってしまって、むなしくこの世を送っている人の心が。こちらではいじらしいと思っておりますが、こういう姿で世の中を、「おれはわかっている。おれはわかっている」という人は、実行しなくなったらしもうろけてしまって人を相手にしなくなって、ひとりさびしく暮らさにゃならんようなことになりますから、いっせいに目ざめて、しっかりとこの道をやらしてもらいましょうねい、ということや。わかったでしょう。
昭和四十一年十二月二十日午後五時四十五分御書取り
三月の心得につき御言葉御願い
一日 惶根之命様 あれくろうせじょうのようすながめたら 四九八
みちの人ひと ひとりひとりが 先負 ☆ 二七三
六五一 🐭
心して暮らすにありとわれは知る。プロのどこまでお互は、人々助けに余念なく、天の御供いたしましょう。そうせんことには皆様よ、世上が破滅になりたなら、とってかえしがつかぬから、人々様にこのことを、一人ももれなく伝えましょう。さすれば、人も喜び、天も御喜びくださることとわれは知る。どこ尋ねても外にない、天の月日の親様や八方様の御心にそうような世送りをしたならば、世の人ごとに助けていただくことができるのや。
いつの時でも月日様、飛び出てござるということも、よく〜心に感じつつ暮らさせてもらわんと、日本が破滅になったなら、お互様も五尺の体のおきところが、ないようになってからではおそいから、今の間に、真の心からめざめさせてもろうて、それからそれいと道つけて心油断のなきように、八方めくばりいたしましょう。
とにかくこの未年は、病門という容易ならん節がきているのですよ。何事によらず、世界の様子ながめて思案してごらんなさい。悪いことをしている人が、多くなればなるほど、世の中が悪化してくるでしょう。そこでこの道の者が、悪化している世上に負けて、世の中の人を助けそこねてはいられないと、先手を越されてたまるものかと、先手をうって暮らさねばならんことでしょう。
とにかく、負ける人には負けておいて、まっしぐらにどん〜と、個性の因縁、【個性の因縁】とは、持前性分を改良しつつ、世の中の人をどん〜導いて、皆さん方他の人と手をつなぎおうて、どん〜運べば助かるのであって、道をやる事については、人に負けずに、競争心をもってやらしていただくにありと思う。それかというて、人を悪しざまにののしって、むちゃくちゃな道を通れというのではない。
お互様に、各教会や、支部や、分講を、責任役員、委員、教師や信徒がたばになって、盛り上げてゆくのみに専念してください、ということや。そしてまたうちそろって、本部へも運んで、助かる道をあゆましてもらいましょう、ということや。わかったでしょう。
四日 国床立之命様 むだなこと やめてくらせば りがあがる 七三二
どこのどこまで きれめなきよう 赤口 ☆ 五一六
九八四 🐇
『むだなことやめて暮らせば理があがる』ということは、どういうことであるならば、親様月日様のもとからはなれて、人をめどうの信仰をして、人とけんかをしたり、ぐちや小ごとで夜をあかしたり、つまらんことにかたくなって、親様月日様のもとから、だん〜遠ざかっている人のことを、むだなことをしていたのでは、親様に自然用いてもらえんようなことになる。
なぜならば、親様のもとへ寄りつかなくなれば、自然親様と遠ざかってしまって、忘れられてしまうでしょう。親様の手もとへ飛びこんで、つくしもし、運びもし、心の改良もし、においがけもし、お助けもし、理をば聞かしていただいて、だん〜と世の中の動きが、ひとりでにわかってくるようになれば、自然と心が陽気になる。陽気になれば、親様をしとうてくるようになる。本部へ運ぶのが楽しみになる。親様や本部の先生方と語りあうのも楽しみになる。また泊りがけで運ぶようなことにもなる。家へもどってからも家々でも陽気になる。笑顔で暮らせることにもなる。こういったことができるようになれば、理の日暮らしもさしていただけることにもなる。
そこで親様の目から見て、また人様の目から見て、また天の目からも見られて、『ああ、あの子はこのころは長者暮らしになってきた』と人にも言われ自分にもさとれ、親様の目から見て、『あの子は理があがったなあ』というようなことになる、ということや。
こうした心で、どこのどこまで暮らしてゆきさえすれば、今世はおろか、来世、来々世というように、一口に言えば、万ごう末代ということになりますが、皆さん、【万ごう末代】ということは、この世のあらん限り、この魂のあらん限り、この肉体のあらん限り、親様月日様、八方様に、御連れ通りがいただける、ということや。わかったでしょう。
五日 面足之命様 にちにちに こころがけたら おやがみの 八四三
みまもりあるを しかとさとれよ 先勝 ☆ 六二七
一九五 🐲
このとおりと思います。それだから、お互様は、日々の心がけが大切と思う。親様月日様、八方様に、いつも聞かしていただいておるとおり、この世の中に人間を、母の胎内に、『宿しも月日なら、生まれ出すのも月日世話どり』と仰せくだされてありますとおり、まったくのことと思います。
それだからお互様は、安心した世送りをさしていただくことができる、ということや。お互様に、つまらん思案はみなやめて、職務に精出して、働かしていただくことが右足なら、このお道を真剣にやらしていただくことが左足、これが要するに、車の両輪のごとくであって、世の中でよく言う、「手習いは坂に車を押すごとく、油断をすれば後へもどる」ということわざのとおり、商売の方も、このお道の方も、日々油断なく暮らしてゆけばよいけれど、とかく人間というものは、商売の方も、お道の方もゆるみがちで、遊ぶことだけは皆大好きなようですね。
遊んでばかりいると、地獄になるような、鬼が先へ行って待っておって、「この穴ほどへ落ちこめ、落ちこめ」というて、お互様の年限の節がきた時落ちこまねばならんことになりますから、皆いっせいにめざめて、いつの時でも心に拍車をかけて暮らさせていただきましょうねい。ということや。わかったでしょう。
六日 国狭土之命様 ひとすじに しんせきえんじゃ みちひいて 九五四
ともにかすかり おほほあははで 友引 ☆ 七三八
二一六 🐍
暮らすことが大切や。なれど皆さん日々に、『心の自性をふみならしてかよい道』という。心の自性をふみならしてかよい道ということは、たえず親様月日様を中心にして暮らすにありと思う。なれどとかく人間というものは人様を相手どってけんかをしたり、腹を立ったり、不足をいうたりしていることが、人間中心の信仰であって、こうした行動をとっている時は、親様月日様ということは忘れているでしょう。これをさして人間を中心の信仰というているのや。そこでたえず親様月日様を中心に、ひとすじ心で暮らさせてもらう、ということが肝心と思う。わかったでしょう。
七日 月読之命様 しょうねをば すえてかかれよ もうともに 一六五
いえもはんじょう みちもはってん 先負 ☆ 八四九
三二七 🐎
ということや。こうしたことはいつも聞かせていただいて、分かっていながらわかりなく、暮らしているのはよいけれど、身上面情にせめたてられて悪い時ばかり、「親様月日様、あそこが悪いから、ここが悪いから」とみやたらと願い出る人もたくさんありますが、何事もない時は、つくしもしなけりや、運びもしない。心の改良もしなければ、においがけもしない。お助けもしないで、道に協力もしないでいる時が、因縁を積んでおって、鬼門や病門や八方ふさがり節が来た時に、どうすればこの節が無難でこせるか、どうすれば徐行運転ができるか、何も知らずに、理というものもわからずにふわふわりと暮らしていると、しょせん助からんことにもなり。
あの世とやらへ行ってからも、さん〜に血迷わねばならんことになりますから、良い時も悪い時も、たえず運んで、御言葉を実行して暮らさせていただけば、悪いことなしに、良いことばかりが続いて暮らしていけるものや。ここのところが本文にあるとおり、性根をすえてこのお道を真剣にやらしていただけば、家も繁盛するということや。わかったでしょう。道を真剣にやらねば、家々の繁盛の御利益はありませんでねえ。
れから先も、どういうふうに世の中が変わっていくかわかりませんが、とにかく人間として生まれさしていただいた以上は、いま世の中では、忠孝の道は廃止になったような世の中になってしまって、子供は親のいうことを聞かんし、親は子供のいうことを聞いていられないし、一家の家風がばら〜になるような教育方針で、世の中の人の一人一人が困っているのではないでしょうか。
子供は親に見離されるし、子供は親を見離すし、なんのことないこの世の中は、泥試合のようなもので、親も困っているし、子供も困っているし、ラジオや新聞でうかがっていると、学校の生徒が先生を一室に閉じこめて、先生をふくろだたきのお目にあわして、先生が生徒に監禁されるようなことも、しば〜聞いておりますが、ことのよしあしは、話し合えばわかるものを、生徒が先生を一室に監禁するということは、あまりにも非常識ではないでしょうか。
先生が生徒が一室に監禁されたら、それこそ父兄やいろ〜な人が、学校側をたたくでしょうが、父兄がこうした事情をおなおざりにしておくわけにもいかんし、それかといつて、学校側にタッチすれば、今度は生徒は学校へ登校しなくなるし、先生も生徒にくってかかられれば、その子供の顔を見るのが先生がいやになる。生徒の方も気まずくなる。そこで生徒と先生との中に溝ができて、おもしろくもおかしくもない通学をしている人も、中にはたくさんあると思う。
会社に行ってもそのごとく、公務員というてもそのごとく、だん〜とこうしたことをやめないと、失業者ばかりがふえてくるし、失業者がふえてくれば、衣食住に困るから、殺人、強盗、窃盗、さぎ、横領というように、この世の中に悪人がふえてくる。この世の中が地獄と化してしまいますねえ。
ここあたりで道を正して向きかえて、心のしんせいふっこうをやらしていただかねば、この天地間が破滅になってしまいますねえ。憲法だとか、法律だとかいうものを、よってたかって無視していたのでは世の中は治まりませんねえ。我々がなんと思ってもしかたがありませんから上方からはっきりと、下々へ秩序を守るような道を、うながしてやっていただきたいと思います。お互国民の一人一人がめざめるにありと思う。わかったでしょう。
九日 惶根之命様 かたちをば そなえていても りにそわん 三八七
りからさだまる みちでなければ 大安 ☆ 一六二
五四九 🐇
『形ばかり』ということは、口先できれいな道を通っているようなことをいっているとは、天では受けとりはありませんよ。これが形ばかりということや。『理から定まる道でなければ』ということは、良いことも悪いことも、腹の中の心を天がおしらべになって、良い心を使っていれば、良いことばかりが現われてくるし、悪い心を使っていれば、悪いことばかりが現われてくるし、どちらにしても、理から守護があるのですから、皆さん方の心次第で、病もなおるし、事情もなくなるし、日ごろ三年でも五年でも、この教会では、おれが一番えらいんだと、教会長以下の人を、教会長が同情もなく、教会長に同情がなくなると、高慢をふりまわして、人をたたきつけて暮らしていると、高慢【中風】という病がおこるし、うらんでばかりいると、【肺病】もでるし、にくんでばかりいると、【い○ざり】歩きをしなければならんようになるし、わが身のかわいいばかり言っていると、【盲】にもなるし、強欲、とん欲の心を使っている人は、【癲病】にもなるし、腹ばかり立っていると、【癌】の病いにもなるし、利己主義と気短かの強い人は、【お○しにもなればつ○んぼ】にもなり。
こうした心の方向転換をして暮らさないと、因縁が切れないから、今世も来世も来々世も、一家族が全部御利益もらって暮らすことはできないことになりますから、一刻も早く、一家族がいっせいにめざめて実行してくださいということや。わかったでしょう。
十日 大食天之命様 おたがいに てんのみおしえ よくまもり 四九八
ふかくさとれば りからたすかる 赤口 ☆ 二七三
六五一 🐓
『天のみ教えよく守れ』ということは、運んで聞いて、その時だけ感心して家にもどっていたのでは、いつになってもわかるめのないことになる。ある所のある人が、ざっと二十年もこの道の教えを聞かしていただいて、最初は支部をやっておって、次に教会をやっておって、四十一年になって、現場の方は結構づくめにさしていただいておりながら、自分の思いが通らなくなったというて、人間の持ち前性分を使いだして、長い年間の間、一人で思うがままにやって、教会というものはどういうものであるか、教会には教会組織というものがあって、神様の御言葉の中に、『教会組織のようでかかるからりや』と仰せくだされてあるにもかかわらず、教会と個人とをいっしょにしてしまって、が高慢をふりまわして、自分の思うようにならんといって人をたたきつけ、人また教会長をたたきつけ、双方で綱の引きあいをしている間は、どっちも倒れないが、学校で綱引きをやったこともあるでしょう。両方でひっぱりあっている間は倒れないが、力およばんといって、相手の方の人が手を離すと先方が倒れる。
先方が倒れた姿をみて、びっくりたまげて、あんな人は心で道をやめるような心を持つと倒れてしまう。教会の中がしょうぎ倒しになる。長い年間高慢を積んできた因縁によって、高慢中気となる。それで第三者の親様こそいい災難で、長年倒さんよう、落さんようと、おかげおかげと喜んで、できげんとり〜一生懸命でやらしてもらったにもかかわらず、このとうといお道をやめるような心を使い出して、中気のようになって倒れてしまって、人間というものほどたよりないものはありませんねい。
そこで皆さん、この教えをどういうふうに聞いてきたんでしょうか。うつつらの信仰であったのかと、いまさらながら親様があきれている次第でございますが、この道をお互様に深くきとって、理から助かっていただきたいと思います。
こうした人が御利益をいただくには、入信時から、わがままいっぱいの道を通って、思うがままにやってきて、今度は思うがままにならなくなったというて、道をやめるようなわがままな根性はすっきりやめて、親様月日様、八方様のありがたいということを、いちかけから腹の中で心入れかえて入信時につらかった、助けていただいてありがたかった。こんな心を使っていたのでは、しょせん身上は助からない、と心構い改めるなら、中気も御守護をいただけるかもわかりませんが、ちょっとぐらいのざんげでは、御守護はなか〜いただけませんねい。
この道の教えを聞かしていただいておりながら、不足をせいとか、腹を立てとか、けんかせいとか、ひとつもそういうことは教えてないはずや。それに親様月日様、八方様に対して違反しているから、とんでもない身上になって、周囲の人も総倒れになって、新しく道についた人が、なんでこんなに教会長や責任役員や委員や教師が、身上になっているのかと不思議に思って親様もあんまりだ神様もあんまりだ。なんで御利益をくれないのかなあ、と五年や十年運んでいる人が不思議に思うでしょうが、親様のそばへは寄りつかず、ざんげの道もわからず、道あけもわからず、ただ〜かげで願ってばかりいて、親様をふら〜にしておいて、信仰をやめると言ったり、腹の中で願ってみたり、願ったら信仰はやめていないでしょう。
親様の方では、その人らに見すてられても、またほかの方面で、しっかりしてやっていてくださるお方もたくさんありますので、親様の方では、さっぱり心配しておりませんが、すがってくればよし、すがってこなけりゃそれまでだが、とにかく困ったものやと思っておりますが、皆さんは、これからは、お互に天のみ教えをよく守って、理から助かっていただきたいと思うのみの親様でございますからよく味わってお暮らしください、ということや。わかったでしょう。この理というものを、深くおさとりくださいねい。
十一日 大戸辺之命様 なんぎをば したいというて できぬみち 五一九
こころさがれば りからおさまる 友引 ☆ 三八四
七六二 🐕
このとおりでございます。なれど皆さん、この御言葉をどうお読みになりますか。威んでどうおさとりになりますか。『なるほどはわかっても日々の理が容易にわからん』と仰せくだされてありますとおり、親様も皆様に、何と語りてよいのやら、どういうふうにさとしたら、深くさとりとれるのやら十人十色、百人百色で、天の御言葉の中に、聞いてすぐわかるものがあれば三年五年たってわかる人もあり、一代かかってもわからずじまいで終る人も、世の中にはたくさんあるそうな。
天の御言葉の中に、『三つ子にもわかるこの教え、わからんという理はないはずのこと』人間の持ち前性分を改良するという気持ちのない人は、いつになりてもわかりませんねい。なぜならば、あれがこういうからおれがこう思う。あれがああいうことをするからおれもこういうことをする。天の御言葉の中に、『うり言葉にかい言葉の精神凡夫』という。とにかく改良する心のない人は、病のところが変わるばかりにて、病の根切れにはなりませんねい。このお道の中に、真剣に心も改良し、つくしも運びもし、においがけ
もし、お助けもし、教会の中も支部の中も、発展している人に聞いてごらんなさい。
『なんぎしたくもできぬ理の道』ということも、よくわかっておられますよ。そしていつの時でも人様と言葉を重ねないで、負けて暮らしている人は心がいつも人様よりへりくだっておるから、理からどん〜御利益をいただいて、運んで暮らしておられますから、そういう人が、親様の前へごあいさつに出られると、親様の方でも、理にかなった日暮らしをしておられますから、理から日々の喜びが親様の方へうつって、いつの時でも、オホホ、アハハで家へもどっておられますが、
腹に一も持って、不足不足の人が前にすわられると、親様の方が鎹ですからゆううつになって、その人の顔を見ると文句が言いたくなる。親様に文句を言われた時は、「ああわたしが日々不足ばかり言うて、腹ばかり立って暮らしているから、親様に文句を言われるんだなあ」とさとって親様の前へ出た時、見る聞く理をざんげして、その場で心を入れかえれば、親様の方は鎹ですから、『ああ心をきりかえたなあ』と思って、陽気な話しをしてくださるが心を悔い改めない限りは、いつまでも文句を言われますよ。
また、わが身思案の身びいき身勝手の強い人が前へすわると、親様の方では、口をきくのもいやになって、なか〜結構な御言葉がいただけませんねい。たまく〜運ぶ人は、身上事情にせめ立てられて、身上の御利益だけをいただきにこられる人も、中にはたくさんありますが、困る時だけ運んでいる人は、運ばない時に、理にかなわん心を使っている時に、病のもとを製造して、どこへ行ってみてもらっても直らんので、一度助けてもらったおぼえがあるので、きょうは何と言われても仕方がない。行って御利益をもらってこうかというて運んでくる。
ひとかわもふたかわもつらの皮をこきむかれて、御利益をもらって家へもどる。助けてもらっておきながら、あんなところへはもう運ばん、というてまた三年五年こない。三年五年たってから、また身上になって運んでくる。そうしてだん〜とめざめてゆく人も、中にはたくさんあるように思いますが、親様にあまり骨を折らさないでいただきたいと思います。
親様や月日様や八方様の方には、皆さんが身上になったとて、なんの関係もないのですよ。皆さんが腹の中でいろ〜な、ほしい、おしい、かわいい、にくい、うらみ、腹立ち、欲、高慢の心を乱用して身上になったのですから、めい〜がめざめなければ、理から絶対に御利益にはなりませんねい。本文をよく味わってお暮らしください、ということや。よくわかったでしょう。
十二日 岐神様 にんげんは たすかりたいが ひとこころ 六二一
たすけたいのが おやのこころや 先負 ☆ 四九五
八七三 🐗
天と人間とが、本文のような御言葉のとおりなら、何も言うことはないけれど、助かりたいのが人間の心であって、助かりたいくせに助かるような道を通らずに暮らしておって、教えを守らずにおって助けてくれというて、親様月日様、八方様に苦情をいうような心はないが、この地上におって通っている心が、天へ通っていることに気付かずに暮らしていることが、助からんと愚痴が出るから、ほんとうに人間というものは日々思案をして、助からんのなら、助からんような道を歩いているかと思えば、親様月日様、八方様は人間に対していつも残念に思っておられますよ。
それだから、今年という今年に未年なれば、親様や月日様や八方様や、いくら人を見て、とってもやれんようにしてくださいねい。ということや。まこと尊いことのお話となるのですから、実行して暮らししてください。ということや。分かったでしょう。
十三日 美様 ふうふでも おやことなるも いんねんや 七三二
そこらここらで わかるめはなし 仏滅 ☆ 五一六
九八四 🐭
ということは、お互様に、『どこから生まれてきたのやら、どこへ死んでゆくのやら、あとさき知りたる者はなし』と仰せくだされてありますが、主従親子や兄弟の皆因縁の集まりが一家族となり、親戚縁者となり、助けあいともなり、前生の因縁で仇同士にもなり、中にはぶっつぶしてくれる人もあり、助けてくれる人もあり、生まれ変わり死に変わり、もつれもつれて交通地獄、もつれもつれて家庭の地獄、戦争地獄。人を殺せば自分も殺さる。人のものをとればいつかは自分もとられる。またさぎを働けば人にまたさぎを働かれる。人のものを横領すればまた人に横領される。
この世の中のありさまは、自分でおかした罪のだん〜が現われて、世の中の人は困っておられるのでございますよ。これすなわち、理の世界ともいう。天罰ともいう。天の御言葉の中に、『つぶすことない、理がこわい』と仰せくだされてありますとおり、お互様にいつの時でも、心得違いは出直しして、皆お互様に、道を正して向きかえて、地獄の世渡りせぬように、ごく楽な世渡りができるような道を教えていてくださるのでございますから、いつときも早く皆おとずれて、聞かしていただいて助かっていただきたいのみでございます。
だがお互様は、このみ教えを食わず嫌いでいたのでは、助かる道はわかりませんねい。とにかく数多く運んで助かってくださいね、ということや。わかったでしょう。ここへ運ばしていただかねば、いっさいわかるものではありません。
十四日 国狭土之命様 みちあけの こころでくらし いるならば 八四三
どこのどこまで ずっとたすかる 大安 ☆ 六二七
一九五 🐂
この親様は、今年で四十五年の道をお連れ通りいただきまして、天からの御言葉や、また昭和十三年に天降っていただいて、それからまた昭和十七年に八社様も天降りくださってきょうの日でございますが、いつの時でも、天から道あけの仕方の御言葉をいただいてきょうの日でございますが、皆様も本部に運ばれて、道あけを聞かしていただいて、御利益をいただいて、帰宅をされておられるでしょう。
それだから神様にお願いをして御利益をいただくのではなく、運んで皆さんが道あけの仕方を教えていただいて帰宅をされて、再び本部になられるまでの間に、日々道あけをしてお暮らしになれば、身上にさわりは絶対につくものではありませんねい。どこ〜までも、道あけをすることをお忘れなくお暮らしください、ということや。
それだから、家族そろって交互に運んで、道あけを教えてもらってお暮らしください、ということや。運びが良くなると、道あけをしないで暮らしていると、お医者様に脈をとってもらわにゃならんようになりますからね。わかったでしょう。
道あけを教えられても、教えられた時、はい〜というておって、家へもどって持ち前性分を使いたい放題使っておられたのでは、とうてい助かるめはありませんねい。いつの時でも、持ち前性分の出るたびごとに、心をきりかえてお暮らしください、ということや。わかったでしょう。
十五日 月読之命様 いちれつに はやくたすけを いそぐから 九五四
どんなときでも りをばさとれよ 赤口 ☆ 七三八
_ 二一六 🐯
十五日 月読之命様 いちれつに はやくたすけを いそぐから 九五四
どんなときでも りをばさとれよ 赤口 ☆ 七三八
_ 二一六 🐯
このとおりと思います。『一列』ということは、『世界中の人』と仰せくだされてあるのでございますよ。そこで一列に早く助けて、ごく楽の世渡りをさしてやりたい、と天ではいつも導きをしていてくださるのだが、人間というものは、医者も薬も、法やまじないをやっても助からん時に、どこかに助かる道はないかとさがし求めるのが人間であって、この世界心道教という親様月日様、八方様の天降りというものは、どこ尋ねてもほかにはありませんねい。
37ページ
わかったでしょう。
十七日 惶根之命様 おたがいは のちのよまでも なを残す 二七六
(本部)ひとなりたら ひともしたごて 友引 ☆ 九五一
四三八 🦅
くるということわかるやろう。『いってひとつにさしずとおりに運ぶなら、天地世界におそるものなし』と天ではいつも仰せくだされてありますとおりお互様にしっかりと教えを守ってお暮らしください、ということや。それだから、教会長や支部長や分講長や責任役員や、委員や教師や信徒というように、管理から人が従ごうてついてきているでしょう。
これからもなお一層、今年は未年ですから、神様のみ教えをよくかみわけて実行にうつして、なお一層においがけに、お助けに、つくしに、運びに、心の改良に精出して、今年まいた種が四十三年度にははえてきて、長者の暮らしになっていただきとうございます、ということや。さすれば人も従ごうて
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ついてくるでしょう、ということや。わかったでしょう。
十八日 大食天之命様 かちまけの あらそいしては ほこりつむ 三八七
どんなときでも てんの支配を 先負 ☆ 一六二
五四九 🐍
うけねばならんことになる。それだから皆さん方は、『わがとほこりだけわれではらえよ』といつも仰せくだされてありますとおり、『ほうほうは神のおもわく天にあり、すきに迷わず心つなげよ』と仰せくだされてありますとおり、また、御言葉の中に、『すきな道、わきがもじやこうとかきちがう、やみじのめくらもとをささとれよ』とも仰せくだされてありますし、『すきが油断かやぶれめか、どんなとばちりとんでくるぞや』とも仰せくだされてありますし、『人間はすきたち山に入りこんで、迷いもだえる心ふびんや』とも仰せくだされてありますし、
『すきな道』とは、皆すきで命を落とす人もあり、すきのために世の中の人
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に恥をさらさにゃならんことにもなるし、よく〜御言葉の意味合いを味わってお暮らしください、ということや。そこでお互様は、見分け聞き分け油断なく、ほしい、おしい、かわいい、にくい、うらみ、腹立ち、欲、高慢の心をよく使い分けてお暮らしください、ということや。よくわかったでしょう。
十九日 大戸辺之命様 なにことも じぶんかってを やめにせよ 四九八
ともにたすかる みちをもとめに 仏滅 ☆ 二七三
六五一 🐎
本部へ運んで、道あけて暮らすことこそ、幸せがむいてくるのや皆の者これから先の道すじは、運んできておりさえすれば、そのつどそのつどお説きくださることであるから安心した世渡りができるというものや。
通りいっぺんの親でなし、九億九万の昔から、御連れ通りをいただいて、天から天保九年に天降りあり、百年たって、昭和十三年に天降りあり、昭和
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十七年に八方様も天降りあり、天からはおさしず通りに、何から何まで人間不自由のないように道つけていてくださるのだから、『どこからどんなことを聞こうがままや、天の世界や天の世や、ここかなわんという時は、天がひと花でるほどに』と仰せくだされてありますからは、何もこわみなあぶなげもないのですから、安心した世渡りをさせていただきましょうねい、ということや。
うたがいと案じ心はめくらやで、世をくらやみとかこつふびんさ』と仰せくだされてありますからは、『人間様はとかくうたがい深い者なるぞ』と仰せくだされてありますが、この道の教えをうたがう人は、勝手にうたがっておびえておればよいのであって、安心のできる人は、安心して暮らしてゆけば幸福の人ですねい。
お互様に、この世の中というものは、『なるよういくようじっとしてゆけ』
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と仰せくだされてありますが、何しろこの世上のありさまは、人間わざではどうにもならんのですから、一人も多く導いて、安心して暮らせる人が、たくさんできればよいのですから、お互様にしっかりやらしていただきましょうねい。
それですから、自分勝手なふるまいはやめにして、親様月日様、八方様のみ教えにもとづいて、共に助かる道を求めに、本部へかず〜運ぶにあると思う。よくわかったでしょう。
二十日 国床立之命様 ぜんあくの みさかいつけて くらすなら 五一九
なにもこわみな あぶなげもない 大安 ☆ 三八四
七六二 🐑
このとおりと思います。もういろ〜かず〜の御言葉を聞かせていただいておられる皆さんでございますから、これはよいことだ、これは悪いことだということは、よくおわかりでございましょう。なれど腹の中で悪い心を
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使うのは、時間空間なしに悪い心を使ってしまうので、それがざんげをしないで、うかつに日暮らしをしてしまうと、ざんげのとどおりになってしまって、腹の中の不足が、【かぜひき】
腹の中の先案じが、【肺炎】
腹の中でやっときになって、気をもむことが、【動脈硬化症】
腹物中でやっきになって気をもんでもんで気をもみすぎるのが【心臓肥大】
心一つでどのような身上事情もおこってくるのですから、よいことはよいとしても、悪い方の心は必ず道を正してむきをかえてお暮らしください、ということや。いつも心にブレーキをつけて暮らしておりさえすれば、電光石火に心の改良ができるから、何もしこわみなあふなげもない、ということや。よくわかったでしょう。
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二十一日 面足之命様 このみちの おしえというは どこにある 六二一
こころひとつで どんなことでも 赤口 ☆ 四九五
八七三 🐒
親様月日様、八方様と親様と心を一つにして暮らさせてもらうことが肝心と思う。理というものは、みな親の元にあるというものや。元は天。さすれば天が元なれど、天はこの「会田ヒデ」に天降りゆえ、元は本部。どんなことも、皆様が訪れてこられて、聞かせてもらって、教えをよく守って暮らしてゆきさえすれば、心一つでどんなことでも自由用自在のお働きをしてくださるのだから、お互は皆自由用をいただいておられるでしょう。
それだから、お互は一生懸命で心の改良しながら、お助けもやり、つくし運びもし、においがけもし、お互に商売繁盛の御利益もいただけて、身上壮健に暮らさせていただきましょうねい、ということや。よくわかったでしょう。
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二十二日 国狭土之命様 なんぎをば したいというて できぬよや 七三二
しほうはっぽう さとりとるよう 先勝 ☆ 五一六
九八四 🐓
目的にむかってひとすじに暮らしてゆくことができさえすれば、結構な利益はいただけるのですよ。『四方八方さとりとるよう』ということは、
【北】は、国床立之命様。
【南】は、面足之命様。
【東】は、雲読之命様。
【西】は、大戸辺之命様。
【丑寅】は、大食天之命様。
【辰巳】は、国狭土之命様。
【戌亥】は、月読之命様。
【未申】は、惶根之命様。
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【中の右】が、伊佐那岐之命様。
【中の左】の御座所が、伊佐那美之命様。
【北の国床立之命様】は、持ち前性分の改良としては、利己主義の心を使えば、国床立之命様のご心に違反をしますよ。
【二番目の面足之命様】に違反をする心は、やっきになって気短がおこして、もえあがる心が違反をしますよ。
【三番目の国狭土之命様】の、み心に違反をするのは、金銭不足、縁談不足、わが身かわいいの心を使えば、この神様に違反をしますよ。
【四番目の月読之命様】の、み心に違反をするのは、男気を出して人に金を貸したり、いつの時でも自分の言い条通して、負けん気をおこして、威張りはっているのが、この月読之命様のみ心に違反をして、骨の病にかかりますよ。
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【五番目の雲読之命様】の、み心にかなはん心は、人をうらむ心を使っていると肺病になって苦しまねばなりませんから、この神様のみ心にかかなような道を通るには、人をうらむ心をやめて暮らせば、この神様のみ心にかなうのでございますよ。
【六番目の惶根之命様】の御心にそうような日々の日暮らしは、うそをついたり、おれはりこうだといって、ものを甘くみる心、腹の中で人を言い負かして暮らしていると、【心臓弁膜症】や、自分のことを人が認めてくれないといって、腹を立ってばかりいると、【脳軟化症】や、いつも一つことを思いつめていると、【精神分裂症】や、いろ〜な病が生じて、しまいには、【かくの病】すなわち【癌の病】を煩らって、とってかえしのつかんことになりますから、こうした心にならないよう暮らしていただけば、この神様の御神意にかなうことになりますから、日々
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心してお暮らしください、ということや。また、
【七番目の大食天之命様】の、み心にかなうような道を歩かしていただくには、強欲、とん欲の心をやめて、人を思いやる心が大切と思う。やさしいすなおな心で暮ラしてもらえれば、【癲病】になるようなことはありませんから、こうした心も使わんようにに、人を愛する心、すなわち人を思いやる心が大切と思う。それから、
【八番目の大戸辺之命様】の御神意にかなう道を通らししていただくのには、相手方を眼下に見くだして、腹の中で人をたたきつけて、日々暮らしていると、老後には、【中気】になって暮らさねばならんことになりますから、早いめに人をたたきつけることをやめて、人を思いやって通る心になっていきさえすれば、人またわれを思いやってくれる。この心が大戸辺之命様の御神意にかなうから、中気を煩うようなことはありません。
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でねい。それから、
【伊佐那岐之命様】は、人間の父親の理。
【伊佐那美之命様】は、人間の母親の理。
さすれば父母様の子供となる人は、父の教えや母の教えをよく守って、父親や母親の行いのよいところはとり入れて実行し、父親や母親の悪いところは改良して、見直して、きりかえて暮らすにありと思う。さすれば、十社様の親様の、み心をみ心として暮らしていただきたいさいすれば、この世上という、実社会に出て働いてもらっても、わが身にしあわせが向いてくる、ということや。
八方ちょっともちがわぬよう、さしがね定木の道ならば、心してお暮らしください、ということや。『お互に難儀したくもできぬ世や。八方十方さとりとるよう』と仰せくだされてあるでございますから、八方様の理をしっ。
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かりとさとりをとって、八方様や十方様の心に違反しないようにしてお暮らしください、ということや。よくわかったでしょう。
二三日 月読之命様 おたがいはいくたのじっしょうみてあろう 八四三
さとりのとれたら におううつせよ 友引 ☆ 六二七
一九五 🐒
と天で仰せくだされてあるのでございますから、わかっていていながら、においはうつさず、助けもせず、つくし運びもせず、心の改良もせず暮らしていたのでは、天の御神意にかなわんから、ろくな利益はいただけませんねい。惜心してしっかりとした、ありがたい御利益をたくさんいただいてくだね。お互様は長年の間聞きかしていただいて、いろ〜と御利益もたくさんいただいておられるでしょう。
それだから、自分が助けていただいたありがたいということを、人さんにお話しをしてあげて、そして、人様にも助かっていただいてくださいね。そ。
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して共に助け合って、しっかりとこの道をやっていただきたい、ということや。よくわかったでしょう。
二四日 雲読之命様 なにとても こころしてよめ こののかぐら 九五四
いつになりても みなこのとおり 先負 ☆ 七三八
二一六 🐗
『いつになりても心して読めこのかぐら』とは、どういうことであるならば、人間がこの世に生まれさしていただいて、日夜行動しているでしょう。その行動して暮らしていただいてお人の、ひとりひとりを見きわめて、「あゝ、あの人はあゝいう行いをしているなあ。あゝこの人はこうゆうことをやっているなあ。あゝあの人は一つの会社の社長になっているなあ。あゝの人は一家の家庭のあるじになったなあ。あゝあの人は一家の家庭の奥さんになったなあ。あゝあそこの家では子供がひとり授かったなあ。どういう教育の仕方をするか。ふたりめの子供はどういうふうな性質かなあ。あそ
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この娘はあゝいう行いをする子だなあ。あゝあそこの親はまじめな性格だなあ。あゝあそこの奥さんは少しこしぜいたくなだなあ。あゝあそこの家では親ゆずりの財産をもらって、ぜいたくに暮らしているなあ。あゝあそこの家では親をみがしまりやで、家内が苦しんでいるなあ」といっさい世の中の人の動きをみて、よいところだけをとって、実行してさえゆけば、結構づくめになるのは理の当然と思う。良いことも悪いこともしながら暮らしてもらって動いていることが、天からは、『かぐら舞い』という。
神様の御言葉の中に、『かぐら両人つとめはなあ、これがたしかこの世はじまり』と仰せくだされてありますが、これは、かぐら両人とは父母様のこと、そこからこの世の中がなりたっている、ということ。いつになりてをもみなことおりという意味あいの御言葉もよくわかったでしょう。
そこで各自の家庭をながめて、「あゝいう行いをすればそうなったのか
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八方様ということも、日夜忘れてしまって、身上になった時、親様月日様と思い出したような信仰をしている人が、いつの時でも案じがわいてきて、
「親様月日様、行く末長くお連れ通り願います」とか、または「親様月日様この私をお見すてでなく」とかか申しておる人も、なかにはたくさんあるように思いますが、
親様月日様、八方様ということを考えてもいない人が、ようするに親様月日様をみすてているのでしょう。だから、おみすてなくというような言葉を出さなければならないようなことになるでしょう。そこでこれからお互様は、親様月日様、八方様ということとに、無関心で暮らしているようなことで、心を軌道にのせて暮らしていただいた方が得だと思う。よくわかったでしょう。
二六日 大食天之命様 おたがいに こそくなこころ みなやめて 二七六
くらせばともに ようきぐらしが 大安 ☆ 九五一
四三八 🐂
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できるということや。『こそくな心』ということは、ささいなことに腹を立ったり、不足をしたり、いつになってもきれめなく、御連れ通りのきょうの日や。さすれば皆さんこれからは、共に手をとりむつまじく、世界のみにあらためて、どっちからでもふんばりて、道の次第もよくわかり、天のみ心もよくわかり、台の心もよく知って、本部の人々の心もよく味わい、一家族の人々の心もめい〜よく悟り、親戚縁者の人々の心も、ひとりひとりよく味わい、それからそれいいと道つけて、感謝の日暮らしいいたしましょう。こうして暮らしてもらうことが、こそくな心のない人と思う。そこでめいめいお互が、陽気に暮らせることになると思う。
世の中によくある、殺人、強盗、窃盗、さぎ、横領というようなことも、もとはといえばこそくな心から生じて、五尺の体のおきどころのないような道を歩んだら、人にけいべつされてしまうし、ささいな道を歩くために、
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いろ〜な悪風をたてられて、世目をせまく渡らにゃならんことにもなるし、お互様に、「言うはやすし、行いがたし」で、まことに困ったものでございますねい。お互様に、日夜心して日暮らしをさしていただきましたしょうねい、ということや。よくわかったでしょう。
二七日 大戸辺之命様 おたがいは いつまたどこで あえるよな 三八七
こころでいては ともにくらやみ 赤口 ☆ 一六二
五四九 🐅
ということや、どういうことであるならば、天の御言葉の中に、『一家の家庭は、主従親子や兄弟の皆因縁の集まりである』と仰せくだされてありますが、いつも申し上げておるように、一家の家庭というものは、汽車の中の乗組員のようなもので、いつどこでどういう災難に出会って下車をする、というように、出直しになっても、いつまたどこで会えるというような心でいたの
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では、共にくらやみとなります、必ず天が仲立で、どこへも去ってしまうのではありませんよ。
親が子となり子が親となり、また親戚縁者ともなり、また世の中の人がよくいう、「つらい浮世」だとか、または、「世の中は割りきれない世の中だ」とか、「わしにはこうしたいやな因縁はないはずだ」とか、「あそこと家は金持長者だ」とか、「おらんところは家庭にめぐれない」とか、いろいろ〜なぐちゃや小言で暮らしておられる人も、世の中にはたくさんありますが、
とにかく人間というものは、身から出たさびであって、いつどこでどどの様な種をまいておったか、『どこから生まれてきたのやら、どこへ死んでゆくのやら、人間としてあとさき知りたる者はなし』と天ではいつも仰せでございますが、天の方では人間の心を受け取って、いつも天によいことも悪いことも貯蓄がしてあるのですから、なによのことも一つも心配はありませんね
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い。それだからお互様は、日々気をつけて不平不満をとりこまぬよう、喜び勇んで感謝の日暮らしをさしていただきましょうねい、ということや。よくわかったでしょう。
二八日 岐神様 りというものを なんとみる 四九八
りというものは てんのほうそく 先勝 ☆ 二七三
六五一 🐊
皆さん方は、本部に運んで聞かせていただいて、理というものをよくわかり、人の心というものは、どういう心で暮らしておられるということもしっかり、自分ということもしよくわかっているはずのこと。良い心はよいけれど、悪い心はきりかえて、良い心の持ち主になって暮らしていただいてどうではありませんか。
『理というものは天の法則』と仰せくだされてありますが、理というものは、天の法律おいたも同じこと』と仰せくだされてあ
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りますとおり、国の法律を守らねば、どういう報いがくるのでしょうか。さすれば天の法律を守らなければ、どういう理が現われてくるのでしょうか。教えを守らのが、天へやいばを向けているも同じことで、どういう天罰をうけて、どういう事情や身上が現われてくるのでしょうか。
とにかく人間というものが、気付いていながら、気付いていないところを本部へ運んで聞かしていただくのだから、よく見つけて教えにもとづいて、実行家になってお暮らしください、ということや。天の御言葉の中に、『よく〜思案定めてついてこい。どんなときでも助けてやるぞ』という御慈悲のこもったお心を、よく〜くみとってお暮らしください、ということや。わかったでしょう。
二九日 美様 みなひとは りというものを しらんゆえ 五一一
なってくるりに おそれいるので 友引 ☆ 三八四
七六二 🐕
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まことに困りますねい。それだから理というものを知っている皆さんが一日も早く、西も東も何も知らずに暮らししている人に対し、人間の魂の親は月日様であるということを、においかけをしてお助けをして、心の改良をしてもらって、つくし運びに応念なく暮らしてもらって、だん〜と理というものもわかってくるのですから、聞かせていただいて、自分だけ助かっていたのでは、四海同胞のよしみとして、これほど薄情者はありませんねい。天に対しても申しわけないことになりますから、世の中の人を見わけて導いてやっていただきたいとうございます。
とにかく皆さんは、世の中の人を助けるという容易ならん責任があるのですよ。なぜならば、お互様にげんとう二世の利益をいただいて暮らしてらうのには、今世はおろか来世の路銀、すなわち来世のみやげ、またはこの世へ出て来る時に、幸福な家庭を結べるという陰徳を、今世いきある間に
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徳を積んで親元にかえり、再びきりょうよしに生まれさしていただくのには(鼻)
低いやさしい、すななな心で暮らしてゆけば、【おも高な顔】になり。
良いことと悪いことと目をつぶって通らしていただけば、【目のぱっちり】とした目にもなり。
人の悪口やら、ほめるやら、あけっぱなしの出しやばりの、よいくなことをしゃべって、色情因縁の強い人は、口にしまりがなく、変な口元になりますから、心がきりっとしまった人になって暮らしてゆきさえすれば【口元の愛らしい】人にもなり。
おれの悪口を人がゆっていないかと、きき耳立てるような心を使っていると、【おかしなかっこうの耳】にもなりますから、そういう余分な心を使わずに暮らせば、あたりまえの耳かたちにもなり、【よく聞える耳】にもなり。
忍耐力の強い人になって暮らせば、【福々しい柔和な顔かたち】にもなり。
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ますし。
【色目】に生まれさしてもらうのは、今世やつきになって、腹を立つ心をやめて通れば色目の顔になりますよ。
こうまんな心をやめて暮らしていただけば、【中肉中指のよい姿】になって生まれさしていただくことができるのだそうでございます。
外へとび出すような心を使って、親に苦労ばかりかけていると、【足の煩い】をうけますから、これからは、いつい素直な心の持ち主にならしていただきましょうねい。
そして世の中の人人は、自然天然になってくる理におびえている人が、たくさんあるようでございますが、理というものを守って暮らしていただけば神様の御言葉の中に、『天地世界におそるものなし』と仰せくだされてありますとおり、『何もこわみなあぶなげもない』と仰せでございますから、し
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っかりとお道の心になってお暮らしください、ということや。よくわかったでしょう。お道の精神の心がけが第一と思う。
三〇日 国狭土之命様 おたがいに かたることばは おなじでも 六二一
こころちがえば うけとりないから 先負 ☆ 四九五
八七三 🐍
ということは、親様月日様、八方様の天降りのやかたに運んで、理というものを聞かせていただいて実行してゆけば、皆ひとりひとりが助かっておられるでしょう。なれど天保九年からきょうの日まで、いろ〜な宗派もあれば、いろ〜な勉強もありますが、指導をうけていない勝手なひとり勉強は天降りのやかたに運んで聞かしていただけておる人と、無軌道で理というものもわからずに読んでばかりいたのでは、自我の悟りゆえ、天からのうけとりはありませんでねい。
それですから、しょせん助からんことになりますからねい。一日も早く運
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んで助かっていただきたいと思います。とにかく書いて語ってはおりますが語ればわずかな言葉ですが、これを大衆の前で会議をしてゆけば、万巻の書物になりますねい。
『共に語りて共々に、広く大きく真定め、こそくな心を皆やめて、かかりは一つ大きな心になれ』と天から仰せでございますが、小さな心ではにっちもさっちもいかんようになりますから、いつの時でも腹を立つときは、くるっとまいて、陽気な心になり、不足の心のわきおこるときも、くるっとむきをかえて、はれ〜とした心になって暮らしさせていただくことが肝心と思うこうした心が使いわけていれば、天から受け取っていくということできるという元ねでございますからね。よくわかったでしょう。
三一日 月読之命様 あちこちと においうつして たすけても 七三二
しゅうりこやしを せねばいかんかで 仏滅 ☆ 五一六
九八四 🐎
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まことにのことと思います。お互様に畑に種をまいをつけて、しゅうり肥しをしなければ立ち消えになったり、草だらけになったりして、まいた種を実りとることはできませんねい。ですからお互様はあきずにこりずに、種から芽をふっきるまでは、いろ〜とたんせいするのがにおいがけ。
それから、一つの身上事情のお助けするのが二段階。心の改良さすのが三段階。本部に入って聞かしてもらうのが四段階。それから陰徳積むのが五段階。六月のおついたちに稲の苗代。これが苗床。これ気がにおいがけ。田植がおり取りが、皆さんと手をたずさえて本部へ運ぶのが、実りとりの各自の家庭へ収穫の時期となるのですから。
自分が天から子供を授けていただいて、母の胎内へ宿してくだされて十カ月。二十年はむだ飯。それから家庭を持たして、妻や夫を迎える。それが二
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十四、五才。そのこと思えば、五尺の体になってはおるが、理というものがわからんから、むちゃも言えば不足もする。それを助け人が気短かおこしてほうってしまうしたら、種のまきっぱなしと同じことで、ついてきてはくれませんでねい。たんせいして育ててやってください、ということや。これが『しゅうりこやしで花が咲く』ということや。
助け人も、天の御言葉の中に、『人を助けてわが身助かる』ということをお忘れなくお暮らしくださいませ。日々なみな天でみわけいていてくださるのだから、しっかりとひとりひとりをたんせいして、親心になって導いてやってください、ということや。わかったでしょう。
お わ り
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(◎ 昭和四十二年二月二日午後八時十五分御書き取り)
四月の心得につき御言葉御願い
一日 雲読之命様 しあわせがむいてくるのもないのも 八四三
こころひとつで どんなことでも 大安 ☆ 六二七
一九五 🐕
みなとりのと思います。だが皆さん、古くより運んでおられる人々が助かっておられるでしょう。それだから、このお道を聞かせていただいていて多くの御利益をいただいておられる人が、新らしい人を育ててやっていただきたいとうございます。
先日ある所のお人が、「甘露様は月様、合様とは会田ヒデ様」と言われましたが、これは大きなまちがいですよ。なぜならば、「会田ヒデ」はあたりまえの人間でございますよ。そこで、この「会田ヒデ」が、『甘露様』
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について解説をいたしましたがい、「甘露様は月様」、「台様とは御日様」のこう、この二神様をさして、「甘露様」ということを、人様に取り次がねばいけませんよ。この「会田ヒデ」は、「天地間の、作物草木、鳥畜類、牛馬人間というように、いっさいの生あるものを、いちにんもれなく、おん助けにくだされ。この「会田ヒデ」は、十二月の二十三日の午後の十時二十分ごろにけりましたところ、はからずも、十二月の二十三日の午後の十時二十分ごろに天より天降りをいただきました、それからというものは、いつも皆さんが来られてお話しをいただきました、おさしずの御言葉をもつて、天に願いをかけたまえ」と天に御願いをかけました。
その時刻は、昭和十七年の四月の十八日に、東京に機関弾がはいりましてから、夜昼づとおし九か月の間、おさしずの御言葉をもって、天に願いをかけてくださって、何事によらず、困ることを御願いされると、この「会田ヒデ」が天に御願いいたしまして、天からの御答を、皆様に取りついで、御利益をいただいておるのでございますよ。
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とにかくこの「会田ヒデ」は、天からは、『天地間を総計とって願いをかけたまえ』と仰せくだされてありますし、また天の御言葉を取り次ぐ、「取り次ぎん」でもあり、この「会田ヒデ」のことも、『取り次ぎた親である』と仰せくだされてあります。また天の御言葉を取り次ぐ、親様が天地間の親、すなわち神様であって、この「会田ヒデ」が神様とは。
『今あんたに言わしてもらったとおり、月様、月様、「神様と親様とはおなじですよ」と申しましたが、これでよいでしょう』と申されましたが、八方様が天地間の親、すなわち神様であって、この「会田ヒデ」が神様とは。
また尋ねられたらさいとしてやってっているのでございます。
さんも、こういうところをはっきりと人様に答えていただきましたきょうでございますよ、というようなこととは言わんでください」と取り次ぎましたことが、皆
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は、「親様月日様、どこかとくが悪くて難儀しておりますから、御利益をいただきたいと願います」と願うこととは、天から受け取りもありますが、皆さんが本部に運んでこられた時、「親様、どこかとくが悪くて難儀しておりますから、御利益をいただきたいと願います」と願うことは、天から受け取りもありますが、皆
日親様へ、どこかとくが悪くて難儀しておりますから、御利益をいただきたいとあります、親様だけ願っても、御言葉はありません。また、「天の月
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日親神様へどこそこが悪くて難儀しておりますから御利益いただきとうございます。
といって、皆さんが願われても、天からじかに御声は聞こえ
ないでしょう。
御言葉の中にも、『天の心は龍頭よりかよう道はない』と仰せくだされて
ありますから、「会田ヒデ」をぬきにしたのでは、御利益はいただけません
ありませんから、「会田ヒデ」をぬきにしたのでは、御利益はいただけません
のでね。天の月様と日様とが甘露合様ゆえ、天と人間とをはっきりと秩序正し
く取り次いでくだされね。そして御言葉の中に、『天と会田ヒデ』とは、
同胞とはいん、どうたいうぐ』とあります以上は、天は天、「会田ヒデ」は
「会田ヒデ」そこで皆さんが、「会田ヒデ」のことも、「親様、親様」と
どうたいぐうの取り扱いをしていてくださるでしょう。
利益は、「会田ヒデ」が天に願って、利益をいただいてあげているでし
う。それだから、天と「会田ヒデ」とは同権ではないでしょう。そし
て、皆さんの願われることを天に向こうて、取りついているでしょう。そ
れは、「会田ヒデ」が天に御願いいたしまして、天からの御答えを、皆様に取りつ
いであげておるのでございますよ。
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たでしよう。
百日惶根之命様 このようはてんのせかいやてんのよや 九五四
ひとをあいてと みるぞおろかや 赤口 ☆ 七三八
二一六 🐗
と仰せくだされておりますが、皆さんは、いつも『人を見て、どうやっ
うやとくさすなよ、人にそうたるおもわくの道』と仰せくだされてあります
以上は、お互様は、親様月日様という八方様を中心の信仰をしなくてはなら
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心のなかに、やっともすると親様から心をなしてしまって、人間同士が奢りお
りて、あくいうた、こういうた、ほこりを山ほど積み重ねて、ひとつの病
が生して、本部におこしになって、病の元は心ということを聞かされて、御
利益をいただいてもっとっておりますが、まったく心というものを知
らずに暮らしている間は、天の御言葉の中に、『がんぜ知らずも同じこととな
り』と仰せでありますから、皆さん方は、このお道というのは、このお道を通
どういうふうに思っておられますか。
信仰をしている人でも、信仰をしていない人でも、ありとあらゆる病気を
わずらっておられるでしょう。このお道は、しゃばで暮らしておって、ま
だといえば、動脈硬化症だとか、腎臓だとか、肝臓だとか、心臓だと
か、肺腑だとか、腹膜だとか、癌だとか、胃癌だとか、四厄四病のうっ
わだとか、世上の人がいろいろにいうておられますが、この道を聞かしてい
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ただいておる人でも、心がこの道を聞いていない人と同じような行ないを
している人が、病気をするのであって、お互様は、いつも腹の中で不足をい
だいておる人が、病気をするのであって、お互様の思い、心の思いがえ、すなわち心のきりかえ、
はぎしりをしてくやしがったり、相手方をくやしがらせたり、いろいろな心
をしていたり、ねだってみたり、腹を立ったり立たせたり、自分でもう
たじ案してみたり、なででみたり、心や事情にとざされて苦しむのであって、このお道のお話
の持ち主の人が、病や事情にとざされて苦しむのであって、このお道のお話
しを聴かせていただいておっても、心の思いがえ、すなわち心のきりかえ、
また百八十度転換をして暮らしている人には病はありませんが、
本部にだけ運んでいても、家へ帰って実行しない人は、五年、十年、十
五年のうちに、子宮癌だとか、乳癌だとか、腎臓癌だとか、肝臓癌だ
と、胃癌だとか、いろいろな業病にかかって出直していく人もある、なかにはた
くさんあるように思います、こうした人は皆、親様月日様の教えのみ教えを満足
に聞いていない人であって、御言葉の中に、『今さいいよくばよいように』の
(病になっている時の心)
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心でお暮らしください、ということや。わかったでしょう。
すとが、籍づくめになるということはでございますから、日々皆さんも、
きですか、思いがえをして、腹の中が喜びでに満ち満ちるようになることが右
きで暮らしていると、病のうつわになってしまいましたよ。
長生きをしていただけるのでございますが、人間の体というものは、左巻
りかえの力を持って暮らしていただいてきさいすれば、病いけはなくなりて、
御言葉をいただいたように、癌でも肺病でも、どんなことでも、心のき
て、『ああ、あれは今どころうりっぱな心の持ち主になったなあ』と、おほめの
く開かしていただいて、自分で自分が心の改良にいそしんで、天から見られ
とにかく、どんな業病にかかろうとも、親様月日様、八方様のみ教えをよ
うていたらとりさとりがいや』と仰せくだされておりますが、
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三日 大食天之命様 みなさまよりでなるせかいでおるほどに 一六五
りさをばさとりて ひとりひとりに 先勝 ☆ 八四九
三二七 🐓
陽気な心で暮らすなら、天も萌んで守ってくださる。何事も心次第でどのよ
うにしていただくのに、利益のないようなことはない。いつでも願えば守護ある。
していただいて四十五年のきょうの日や。人信していただいて、お助けさ
な、利益も天からいただける、ということや。この親様も皆様よ、人信さ
神様の前に出て御礼申し上げる時も、御願いする時も、心が恥じて礼拝のそ
いつの時でも、自由用をいただきましたきょうの日やなれど、心がえがえば
きょうようなともしぶく、人様の前に出るのも恥じいる心がかわいてきて
でゆくこともできなくなるし、人様の前に出るのも恥じいる心がかわいてきて
きんようなこともしばく〜ありましたか、こんなことでは、親神様につかえ
んがことでは、人様に助かっていただくことはできないと、心そくさにひ
るがえし、静思録やら、お便りやら、心のかりや、お筆先やら読ましてい
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ただいて、頭の理気知で腹の中へと聞かせ、二度とふたたびこんな心を使
ていると、天にも地にも八方様にも、家族の者にも親戚者の人々にも、
世界の人にも申しわけないことにもなるし、第一お助けしていただくのに、
利益がいただけんことになるから、「心して暮らしなさい」と腹の中に言い
聞かせて、きょうまでのわからしていただくということは、ほど遠いことにも
できますし、理というものをわからしていただくということも、ほど遠いこと
にもなりますし、とにかく、何んと書き表わしてよいやら、けんとうもつか
んこともなります。心無関心に暮らさしていただいておる人は、ようにいか
んでございますか。心無関心の取り締まりというものを、無関心でお暮し
でございますか。それとも心というものに、むちを打たずにずにお暮し
でございますか。それとも心というものに、むちを打たずにお暮し
でございますか、このお道に人信さしていただいてから、日々にこうした心でお
聞かして、きょうまで暮らさしていただいてまいりましたが、
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ぬことになってしまいます。
この世の中の心がらがったありさまを見て、世の中の動きの不足を取り
入れて、日々に腹の中が持ちかもちまさげもないようになってしまうて、いつも
案じながら、心配しながら、ぐちをこぼしているようなことでは、とうてい
るのお。よくいって居られるでしょう。
はこの世の中の姿。表の道と裏の道。表の道とは細くても道、太くても
道。すべて道路のこと。腹の道は裏の道。裏の道ということは、腹の中で使
っている心を、天がうけて守ってくださるのだから、心のおさめ
方一つで、どんな自由用もしていてくださる。どんなお働きも天でしていて
下さる、どんな自由用もしていてくださる。どんなお働きも天でしていて
いる心を、天がうけて守ってくださるのだから、心のおさめ
方一つで、どんな自由用もしていてくださる。どんなお働きも天でしていて
くださる。この道は腹の中のおさめ方一つで、お互様に教えをよく守って、
実行して助かしていただきましたしょうねい、ということや。よくわかったで
しょう。
おかしいはてんのみてわざわかたら
り、何から何まで理の世界、理でなる道や損得なしや。心次第でどのよう
るし瞬のうち、成人しだいに見えてくるぞや』と仰せくだされてありますと
物の恩、よく〜さとりて暮らすなら、神様の御言葉の中に、『すじしわか
ら天恩をよく知り、妻の恩やらの夫の恩、子供の恩やら親の恩、いっさい万物
助からんことになりますから、腹の中のくしやくしゃやを皆やめて、真の心が
や。親様月日様のもとから遠ざかると、ろくなことにはならんから、接近率
運んでかせていただいて、心を軌道にのせまして、暮らしてゆくのが第一
な利益もいただけることになっている世の中や。
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をもちまして、進むにありとわれを知る。皆さん方もそのごとく、早く運ん
で助かっていただきたいといわれを知る。
天の御言葉の中に、『理というものがわからねば、かんぜ知らず』と仰せ
で助かっていただきたいといわれを知る。
やで。心しだいのこうきやで、運べ助かる。理というものがわかってくる。
理というものがわかったら、人様を助けずにいられないことになる。この御
言葉をいただいておると、限りのないことになりますから、このへんで筆と
めて、また後日ね。
四日 大谷辺之命様 しゅんしゅんの道をはずさずかたまりて 二七六
においうつして はやくたすけに 友引 ☆ 四九五
四三八 🐅
いそしんで暮らしていただきましてしょうね。『しゅんしゅん』ということと
はい、いつの時でもしゅんすですね。何かのショックで改良するのもしゅんといを見ると
世の中では、天然自然といってておられるようですが、この道では、自然が天
天然自然にそうていないということは、どういうことであるならば、日々、
で暮らしていくならば、どんな利益もいただけるのですよ。
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の御支配や。ぐうぜん自然も御支配や。
なぜならば、春は陽気で花が咲く、夏は暑いが作物をみのらししてくださる
春は花咲き、秋は実り取り、夏の炎天で人様が田畑をたがやしあれこれと、
ご苦労くださることもを、感謝しながらいただかねば、食事あたりや、も
のあたり、あたり散らして暮らしていると秋の実りの豊年は、天からいただだ
けんでになる。
さすれば冬になりていきつまり、大晦日が越せないようなということもに
なる。親様月日様の方では、大晦日は越せても越せないでも、元旦の日はき
なる。何が大晦日が越せないならば、天然自然に違反して、暮らして
ていきますね。何がとこなつになっていないのであって、お互様に天然自然にそう
いるから、ろくなことになっていないのであって、お互様に天然自然にそう
し、どんな利益もいただけるのですよ。
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に、『明けてくださる御日様、我がために御照らしやもの、寝ていたんでは申しわけない』と喜びで跳んでは起きて、食事のしたくや、働きに出かけさしてもらうという、各戸の家庭が一団となりて働くことに精出して、道をやるとともに精出して、時をうつさず真剣に、勤めと商売と農業とに、においがけもお助けも、心の改良もつくし運びも、何事もしゅんしゅんをうつさず、時ということをうつさずに、しゃんしゃんしゃんと立ち上がりて暮らすなら、天も明んで守ってくださる。
天の御言葉の中に、『かたまりひとつとって、なにがなんでも、どこもかしこも』一列子供かわいいゆえに、心違えば身上のさわり、事情のさわり、道がだるめは身上にもなるし、事情にもなるし、いつの時でもお互が、心に拍手をかけまして、暮らしてゆくのが第一や。よくわかったでしょう。
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五日 国床立之命様 おもうはりやが さしずしらべて 先負 ☆ 五一六
みちつがず つとめはできず そんなこと 四六二
三八七 🐓
暮らすなら、天地世界におそるものなし』と天ではいつも仰せでございますよ。
においがけでも、お助けでも、心の改良でも、つくしでも、運びでも、商売でも、お互様に、やりかけたらあとへはもどせず、真剣にやりしていただく心もて。お互様にいつまでも、いねむしたり、横目をふって暮らししていては助かん。これが交通事故のもとなる。
この道を歩いていながらふらふらと暮らしているのが気がかかる。越すに越されせんこの関を、皆の心をひとつによせて、日々無難で暮らさしてやりたいと、いつも天ではいつくしみくだされてあるのであるよ。それだからお互様の法則よく守り、国のおまてもよく守り、暮らしてゆけば
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難はない。お互様に道ということに変わりはないが、この道この道と皆さん
はよくいうておられるでしょう。
この道ということは、表の道と裏の道。表の道とは細くても道、太くても
道。すべて道路のこと。腹の道は裏の道。裏の道ということは、腹の中で使
っている心を、天がうけて守ってくださるのだから、心のおさめ
方一つで、どんな自由用もしていてくださる。どんなお働きも天でしていて
いてくださる。この道は腹の中のおさめ方一つで、お互様に教えをよく守って、
実行して助かしていただきましたしょうねい、ということや。よくわかったで
しょう。
六日 面足之命様 おたがいはずてんのみてわざわかりたら 六五一
えんりょよきがねは いらんことやで 仏滅 ☆ 四九八
二七三 🐎
「えんりょよきがね」ということとは、どういうことであるならば、お道をを
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らしていただくのに、「においがけをしても、一度はいってくるのが二度は出てこない」といって、よく親様の耳に入れる人がありますが、それは皆さんが、においがけにいかれて帰るときに、あの人はだめだと心にきめてしまうと、心でだめときめいたら、皆さんの骨折りが、なんにもならないことになるが、心でだめときめてしまうから、二度とふたたび理から出てないことがあるでしょう。そのために出てこようと思うても、においがけする人が、においがけにいかれて帰るときに、あの人はだめだと心にきめてしまうすが、「あの人はにおいがけにいったけどだめであった」と決めつけたときに、「あおそうではない。ことはやめてください。親様月日様、ためだといって、自分がためにするからだめになるんだ。親様月日様、ためだといって、自分が人を引き出すような心で、ためにして申しわけありませんでした」とざんげをして、二度三度ににおいがけをさしてもらんと、においがけをされた人が
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ますのよ。
りますよ。それだから『遠慮きがねがながだめになる』とも仰せくだされてあり
がだめにしていることに、気がつかずにいたのでは、申しわけないことにな
と、天からはる〜と天降りくだされたのでございますから、めい〜の心
このお道というのは、天の月日親神様が、天地間の人を助けてやりたい
さい、ということや。
お道が心一つで発展しないのでございますから、皆さんと安心してお暮しくだ
ない方がよいと思う。ここのところが、このお道の欠点であって、この
道はやめた。ひとりでにおまいりにいっておれればいいや、ときめこみ信心はし
教師の資格を失なってしまうて、おれにはにおいが気ができないから、このお
こういう心を使っていると、人様を導くことはできませんでねい。そこで
出てきませんでねい。
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そこで皆さんは、いつの時でも、御言葉の中に、『ざんげざんげでずっとしつつき』と仰せくだされてありますから、日々遠慮せずににおいがけをしながら、ためだなどという言葉は使わないでください。いつの時でも親様月日様、八方様のみ教えをよく守るようにと思う。
使ったときは、くるくるると思いがいをしなさい』と天から教えていただいておるのだが、「おれがにおいがけに行ったのに、あの人はだめだ」という心を使いっぱなしにして暮らしていると、すべてのところに何から何まで、「だめだだめだ」と暮らしていると、ますます世の中で暮らしているのに、動きがとれなくなりますよ。「このおやじが動きがないからだめだ、この子供は勉強がたりないからだめだ、この親はぐちばかりいうだ、この子供は勉強がたりないからだめだ、このおやじが動かないからだめだ、この親の親はぐちばかりいう
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ているから、こんな者はだめだ、親戚縁者の人のことでも何事によらずいっさい
いだだ、自分の心はどうしても改良はできないからだめだ』天の御言葉の
の中に、『すべてのことをだめにするからだめになるのや』といつも仰せで
ざいますよ。お互様にこれからは、いっさいだめ〜という言葉を、きよう
限り廃止してください。この心を腹の中で使っているからいけませんね。
それからお互に、『天のみてわざ』ということは、どういうことであるかな
ら、日々、「この子はだめだ、あの子はだめだ」といつもどどもを打って
暮らしていたのでは、天から自由用はいただけないということや。それから
みてわざということば、天で自由用を人間へくだされてあるということは、
『みてわざ』と仰せくだされてあるのでございますよ。御言葉の中に、『天
のみてわざ』と仰せくだされてある御言葉でございます。御言葉の中に、『天
のみてわざわかりたら、結構十分こればかり、これがが月日の教えやと、いう
たにおいがきがすんだら、結構十分こればかり、これが月日の教えやと、いう
たにおいがきがすんだら、結構十分こればかり、これが月日の教えやと、いう
よ
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きようのできごと、ということは、この道をお始めくだされた、ということと
や。よくわかったでしょう。
七日 国狭土之命様 このようはしんじつのみにつれども 五一五
みたするすがたは おのがかさだけ 大安 ☆ 七三八
四二四九
-22-
「このようは真実のみにみれども」ということは、天の月日親神様をはじ
め八方様が、この世に作物、草木、鳥畜類、牛馬、人間、この地球、天地
間にありとあらゆるものというものの一さい、花を咲かしてくださるも神術
ものをお実りとしてくださるも神術、天から雨をふらしてくださるも
る神術、おのせとやらへ出かけるも神術、天から雨をふらしてくださるも
神術、また風を吹かせてくださるも神術、地の中に水脈やら火山脈、石油
でも金でも銀でも銅でも鉄でも、お月様の雨と、地上の熱体のお日様と、風
の神様の植根立之命様と、この御三神の合体とで、この世の中ができあがって
おるのでございますよ。
そこであとの七社様が、風の神様とお日様と月様とのお心を現わしていて
くだされるのでございますよ。この世の中のいっさい、はりつめた神術、これを
この世は神秘のみに満ちている、ということや。この地球上で、天と地
と物とに人間は生かして置いていただいておるのですよ。
それだから、いっさいの物というものは、みな見せていただいているでし
ょう。なんでもきれいいなよい心を使ってゆくのはよいけれど、悪のりょうけ
んを使っている場合は、いつも教えていただいているとおり、心ひろがるし
て思いがえをして暮らしてゆくことが、心の監督をしていることだから、悪
りょうけんのかさを、少しでも少なくして、最後には全部よい心の持ち主に
なってお暮しください、ということや。
そこでお言葉の中に、『この世に出た人間というは、何ほどの理のあるや
-23-
21 -
ているからこんな者はだめだ、親戚縁者の人のことでも何事によらずいつさ
いだめだ、自分の心はどうしても改良はできないからだめだ」天の御言葉の
いでた、すべてのことをだめにするからだめなのや『すべてだめ』と言いつつ仰せでご
うでございますね。お互いにこれからは、いっさいだめという言葉を、きよう
ざいますよ。お互いにこれから、いっさいだめという言葉を、きよう
限りの廃止してくださいね。この心を腹の中で使っているからいけませんね。
それからお互いに、『天のみてわざ』ということは、どういうことであるな
らば、日々、『この子はだめだ、あの子はだめだ』いいつももどめを打って
暮らしていたのでは、天から自由用はいただけぬということや。それから
みてわざということは、天で自由用を人間へ人間へしてあるということな、
みてわざ』と仰せだされてあるのでございます。御言葉の中に、『天
のみてわざがわかりたら、結構十分こればかり、これが月日の教えやと、いう
たにおいがきようのできごと』と仰せくだされてある御言葉でございますよ
247ページ
22 -
きようのできごと、ということは、この道をお始めくだされた、ということ
や。よくわかったでしょう。
七日
国狭土
七五三
之命様
八四六
二九一
星
☆三八五
七六二
このようはしんじつのみつれども
みだすすがたはおのがかさだけ 大安
『このようは真実のみれども』ということは、天の月日親神様をはじ
め八万様が、この世に作物、草木、鳥畜類、牛馬、人間、この地球、天地
間にありとあらゆるものというものの一さい、花を咲かしてくださるも神術
の神術、おの世とやらへ出かけるも神術、天から雨をふらしてくださるも
る神術、また風を吹かせてくださるも神術、地の中に水脈やら火山脈、石油
でも金でも銀でも銅でも鉄でも、お月様の雨と、地上の熱体のお日様と、風
の神様の椎根之命様と、この御三神の合体とで、この世の中ができあがって
23 -
おるのでございますよ。
そこでおともの七社様が、風の神様とお日様とお月様とのお心を現わしていて
この世は神秘のみに満ちている、ということや。この地球上で、天と地
くだされるのでございますよ。この世の中の一さい、はりつめた神術、これを
と物とに人間を生かしておいていただいておるのですよ。
それから、いっさいの物というものは、みな見せていただいているでし
ょう。なんでもきれいなよい心を使ってゆくのはよいけれど、悪のりよう
んを使っている場合は、いつも教えていただいているとおり、心ひるがえし
て思いがえして暮らしてゆくことが、心の監督をしていることだから、悪
りょうけんのかさを、少しでも少なくして、最後に全部よい心の持ち主に
なってお暮しください、ということや。
そこで御言葉の中に、『この世に出た人間というは、何ほどの理のあるや
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かりやせんて』と仰せだされております。また世上でも、人間のこ
とを、「万物の霊長」ともいうているでしょう。それだからお互いに、日々
天のほどさをよく悟って暮らしましょう、ということや。よくわかったで
しょう。
八日
月読
之命様
読九
しゃかのたんじょう ふかくさくとりて赤口
☆八四六
七五三
二九一
このつきは 四月八日で はなみどき
『四月八日』ということだ、が、四という数字は月読之命様のこと。月とい
う言葉は国狭立之命様のこと。いつの時でも月日という言葉はついてまわっていて
は国狭立之命様のこと。八の数字は大戸之道之命様のこと。日か、というこ
と、
とは面足之命様のこと。いつの時でも月日という言葉はついてまわっていて
立がいりこんで、人間始め元の種、種に始めた親の理をつぐ親と知れと仰
そこでお月という言葉を二つ合わして、天の御言葉の中に、『月読に国床
くださる月日様のこと。
25 -
の理。
くだされる大戸辺之道之命様。月様は天地間の父親の理。御日様は天地間の母親
八の数字はいっさいの世に芽ばえふをつき、花咲き実りの守護していて
のこと。
【大戸之辺道之命様】は、天地間いっさいこの世に誕生してくださる百姓の
【国狭土之命様】は、いつさいの動物でも、人間でも、お産の時の陣痛の
神。
御働きをしていてくださる神様。
【大食天之命様】は、子返りの守護。
【大戸辺之命様】は、動物でも人間でも、お産の時、引き出しの守護をく
せくだされてありますし、人間でいえば男、御釈迦様でも、女の胎内よ
り誕生をされましたが、これは国狭土之命様、すなわち女の理、四月という
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26 -
ださる神様。
そして、国狭土之命様の陣痛と、大食天之命様や、人間の子返りと、大
戸辺之命様の助産や、人間の生まれる時に引き出しの守護。この三神様のお
かげで、動物や人間がこの世に生まれさせていただくことをお産という。
【伊佐那岐之命様】は、男種の苗代。
【伊佐那美之命様】は、女種の苗代、というように、いつも十社の神様が
さいの調節をしていてくださる神様。
【常立之命様】は、作物、草木、鳥畜類、人間、この世の中のいっ
【国狭土之命様】は、いっさい理気知の守護。
ひとり残らず人間の体を見守っていてくださるのでござい
天の御言葉の中に、魂までも人間に貸し与えていてくださるのでござい
ますよ。
27 -
すよ。それから、天のみにそわんに心を使っていると、身上事情が続出す
るのですよ。それだからお互いは、作物、草木、鳥畜類、牛馬、人間、と
いうのでございますよ。それだからお互いは、作物、草木、鳥畜類、牛馬、と
いうように、人間は万物の霊長といって、みな人間に不自由のないように、
天から自由に与えておいてくださるのだから、日々心して天恩の深さを
よく悟ってお暮しください、ということや。
それから、『花見どき』ということとは、妊娠中の心の使い方によって、生
まれた子供が成長するにつれて、よい子供を生まれさせていただけば、一家
の家庭をもつからでも、【綺麗な花を見たり、財産家になるという実りを
見たり】して、親子もろとも陽気に暮らさせることになるとなるですよ。
親山親子が子供の妊娠中に、腹を立ったり不足をしたり、妊娠中に子供をじ
やましにしたり、「子供はじゃまだ」といって、かき出してみたり、子供をお
ろしにしたり、いろいろなことをしている人も、世の中にはたくさんあるよ
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うでございますね。
生まれると世話がめんどさいとか、金がかかるといって、三人も五人
お子様をおろしている人も、世の中にはたくさんあるように思いますが、子
供がおろすくとの世に生まれさせてもらおうと思っていても、生まれてきた
供がせかつくこの世に生れさせてしてもらってもおりないで、生まれたき
が、三ッ口になったり、四ツ口になったり、盲で生まれてたり、小児まひ
いておいて、おろそうと思っても、どうやってもおらないで、生まれてきた
のような、半身不随のような子供が生まれてきて【親子ともに難儀な道を通
りとならぬようなとをすると、花も咲かずに実ものらずに、一代親子も
とともに、苦労をせねばならぬようなことになりますから、人間というもの
は、ほど心してお暮しください、ということや。わかったでしょう。
九日
雲霧
之命様
読九
このようはやすたでせめきるよのなかや
りというものをまなべたすかる先勝
☆九五七
四八六
三七二
29 -
『このようなすたでせめきる世の中や』と仰せだされておりますが、ま
たのことも思います。『うた』とは、長唄、ときわず、清元、浪花節、
活動、芝居、落語、まんざい、そのほかにいく-なぐ音頭や八木節、民謡
や甚句や、いっさいの土地のところの神社、仏閣、名所、古跡、や何から何ま
で言葉の理。天の御言葉の中にも、『草木も虫もどこもかも、一つ言葉にま
とまりがつく』と仰せだされておりますが、
神様の御言葉の中に、このお道の人に対して、『言葉一つが用本の力』と
と、くしゃくしゃになっているとを、御言葉の中に、『草だらけは損ばか
りでおいのはし』と仰せだされておりますから、草ぼうくーの不足は、
で、くしゃくしゃになっているのは、腹の中が不足や腹立ち
天の御言葉の中に、『胸の奥山かりたてて、(胸をはらうことと)心調べすること)
いっさいやめてください、ということや。
255ページ
30 -
で』と仰せだされている御言葉のとおり、日々実行にうつしてお暮しくだ
さい、ということや。理というものをしっかりと本部に進んで聞いてい
ただいて、だんくーと成してゆくことを、『学べ助かる』ということや。
一〇日
大食天
之命様
根堅
にんげんはくらうばかりでくらしいる
一九七
☆六二四
八四三
わかったでしょう。
「人間はくらうばかりで暮らす』ということは、まったくのことと思
うて、家でもおきないをしたり、行商したりして生活をやらしていただこ
り、あるじが借りた金を全部ぬきとって、競馬に持って言って、きれいに
使ってもどってきたことがありますが、まったく、くらうさいちはあてには
うと思ったら、『くらうさいちはあてにはならん』と仰せだされてあると
親様が二十年の道中の間に、子供に働きに行ってもらって、前借り
【31ページ】
なりませんから、皆さんも何かやらしてもらおうと思う時は、すぐに本部に運んで、先生方にことの次第を話して、「親様から、やり方を教えていただきたい」といって、先生にお願いをするか、または親様に面会をして、皆さんと談じあって、なるほどということを決めて、そして決めたことを、くずさずに実行してゆきさいすれば、将来が助かる、ということや。よくわかったでしょう。
一一日
大食天(おおじきてん) おたがいは くるしむことを みなやめて 九五四
一日之命様 りをばたよりて くらすことなり 仏滅 ☆ 七三八 二一一
『お互いに苦しむことを皆やめて』ということは、一刻も早く本部に運んでもらって、どんなことでも、腹の中の不足や、案じや、ねたみや、腹立ちの意味あいを本部でうちあけて、心のもっていき方を聞かせてもらって暮らすすにありと思う。そこで理というものをわきまえて、人が外から持っ
【32ページ】
てくるとかや、家々の家族の話す話をよく聞いて、理からさとって暮らすなら、いつも助かることになる。
天の御言葉の中に、『さとってするのはかほうもの、いわれてするのがようじきもの、いわれてもしないのがおうちゃくもの』とありますが、皆さんはどう思って暮らしておられますか。『いわれてもしないのがもの』とありますが、先日もある所から、ある人がきて、このお道を聞かせていただいてから八年になるが、八年の間に三度ぐらいしか運ばないでおるうちに、「六年前に井戸を掘って、始めのうちにはごっていたが、だんくなかけがふえつけて、今ではどろ〜になって、水が飲めなくなったから、かなけをとって、にごっているところを取って、御利益をいただきとうございます」と言われましたので、
『親様にはそんな芸事はできません。あんたがこれから心入れかえて、月
33ページ】
に一度ぐらい運んで、だんく〜と心がすんでゆけば、かなけもぬけるし、ごり水も御利益いただけるかも知れませんが、いつも日々心がにごっていて、神様の所へ運べば旅費がいる、おさい銭がいる、暇がおしい、というような心で、困る時ばかり運んでいるようなことでは、なんの御利益がいただけるものか」と申しましたところ、
「これからしっかりと運んで、聞かしていただいて、腹の中がりっぱな人になりますから、御利益いただくだとうございます」と願われましたから、親様が天に御願いをしてくださいましたが、困る時ばかりきているような横著者は助けていただくことはできませんでねい。
八年の間に三回ぐらいきたとて、小学校へ勉強しにいったぐらいで、理もひもわかるものではありませんねい。こうした人は、八年前にお道へ運ばしてもらった時、言うだけで御利益いただけるようなことは、絶対にありませんでねい。
【34ページ】
すませんでねい。皆さんは、理というものを聞かせていただいて、さとって実行して御利益をいただいてお暮らしください、ということや。わかったでしょう。
一二日
大戸辺(おおとべ) なにごも てんのしはいで あるゆえに 一六五
一日之命様 はやくはこんで みちをあけたら 大安 ☆ 八四九 三二七
お互いは天の支配下においていただいておる者ばかりでございますねい。それだから、『においがかかったなら、早く運んで聞かしてもらって道をあけたら』と仰せくだされてありますとおり、『道をあけたら』ということはどういうことであるならば、ある所のある人が、ある時本部に運んでこられて、「親様月日様、家のあるじが畑の中ですわりこんでしまって、立てなくなって困っておりますから御利益をいただきますとうございます」と願いにこら
35ページ】
この人はお道の古い人で、「何とかして御利益がいただきたい」ところれましたので、「あんたわねえ、ことへ入信してから、始めのうちはずいぶん真剣にやっておられましたが、今からざっと十年ぐらい前から、ひとつも道をやらずに、畑のことばかりに心して、人様をにおいがけやお助けや、つくるしや運びや。心の改良はひとつもしていないから、動けなくなったのであって、そこで親様月日様。つくしと運びと心の改良とににおいがけとお助けとしっかりとやらしていただいて、月々本部へも帰していただきますから、御利益をいただきとうございます。と腹のどん底から真剣にお願いをしなさい。さすればその心を天で受け取ってくだされて、御利益がいただけるとお思いますが、心の改良が道あけであットて、道があかねば守護いただくことは絶対にありませんでねい」ということや。わかったでしょう。
【36ページ】
一三日
岐様(きさま) おたがいは つづいてあて みちという 二七六
一日之命様 つづかんことは みちでないから 赤口 ☆ 九五一 四三八
『つづいてあって道』ということは、皆さんが表を歩かれても、道はどこまでも続いているでしょう。それと同じように心の中の道、すなわち世の中の人が、人のことを悪いことをしている人のことを、「道ならぬ道を通っているんだもの、天罰があたって、ああいうめにあうんだ」と表へ出して悪口はいいうまいが、腹の中では人というものは、人のことをなんでもあざけっているでしょうねい。
こうやって人のことを、腹の中であざけってあざ笑っていると、自分もまた人にあざけられて、あざ笑われていることに気がつかずに、「おれは人をあざけるが、人があざけったのは、しゃくにさわる」というような心を使っていると、しまいにはろくなことが出てきませんでねい。これが日々の心使
【37ページ】
いの現われが、理から出てきて苦しめにゃならぬことになりますから、心といものに、よほど心してお暮らしください、ということや。
それから、『つづかんことは道でないから』ということは、商売でもそのごとく、家々の者が、一致団結してやれないような仕事をしていると、いきづまりが出て、その商売をやめねばならんようなことになる。お互いに、見通しのつかん仕事はしない方がよいと思う。わかったでしょう。
一四日
美様(みさま) ひとのことしているように おもうたら 三八七
一日之命様 さとりちがいでおそをするぞや 先勝 ☆ 一六二 五四九
このとおりと思います。ということは人のことしているように思うたら、この結構な利益はいただけませんよ。人のことではない、みなわがためなのですからね。ここへ運んでおられる方々の中にも、いろ〜な心の持ち主がありましてねい。「お前のところへ信徒を連れてきてやったから、
【38ページ】
お助けしろ、ひとり運ばしたからおさい銭がもうかったろう。あの人がこうしたものを持ってきてやったから、たいへん助かったろう」というように、いつの時でも親様のためや、本部のために、「おれは信仰をしてやっているのだ」というような心でいたのでは、皆さんの心の中を、天が受け取って守護はしていただけませんか。
なぜならば、皆さんが本部に運んでこられて、お助けをいただくかれる。そのためにいろ〜なおさい銭をあげてくださる。あげてくださることはたしかにありがたいが、親様月日様という十社の御親様のお助けの御慈悲、すなわち御利益をいただいておられるのだから、おさい銭をお供えすることは、理のとうぜんと思う。そこで、おつくしをしてやったというような心で暮らしていると、こちらでも利益をしてやったというようなことになるでしょう。
そうすればどちらもやったやったといってしまうて、人に徳をやってし
【39ページ】
39ページ】
そう、という心使いになってしまう。
皆さんの方では、「御利益をもらってありがたい、御利益のおかげで」とちらでは、皆さんのつくしてくださる物をいただいて暮らしていただいておるのだから、天が中だちで、人間同志をお助けしてくださるのだから、『わがと力で生みしものなし』と仰せくだされてありますとおり、お互いは親様月日様、八方様のおかげ、本部隊は皆様のおかげ、皆様のおかげと、真の喜びとって、本部のおかげと日々に喜んで暮らしていただいてこそ、真の喜びとなつて、結構な理を悟りしていただくことができるから、理から損をするようなことはありませんよ、という意味の御言葉や。よくわかったでしょう。
一五日
国狭土(くにさづち)の命様 どこまでも てんのおんとも するひととは 四九八
一日之命様 しょうりえるぞや だれのめいにも 友引 ☆ 二七三 六五一
よくわかることになる。皆さんの目には見えているかないかわからないなども
39ページ】訂正版
まう、という心使いになってしまう。
皆さんの方では、「御利益をもらってありがたい、御利益のおかげで」とちらでは、皆さんのつくしてくださる物をいただいて暮らしていただいておるのだから、天が中だちで、人間同志をお助けしてくださるのだから、『わがと力で生みしものなし』と仰せくだされてありますとおり、お互いは親様月日様、八方様のおかげ、本部隊は皆様のおかげ、皆様のおかげと、真の喜びとって、本部のおかげと日々に喜んで暮らしていただいてこそ、真の喜びとなつて、結構な理を悟りしていただくことができるから、理から損をするようなことはありませんよ、という意味の御言葉や。よくわかったでしょう。
一五日
国狭土(くにさづち)の命様 どこまでも てんのおんとも するひととは 四九八
一日之命様 しょうりえるぞや だれのめいにも 友引 ☆ 二七三 六五一
よくわかることになる。皆さんの目には見えているかないかわからないなども
親様の方で皆さんをながめていただいておると、よくわかりますよ。親様月日様、八方様に身を入れて、しっかりとかのお道をやらしていただいておる人が、年々に家の中の空気が豊かになり、衣食住も豊かになって、品物もふえ、身なりもきれいになって、小金も残して、だんく〜と年限たつうちに、地所を買ったり、住ま居を建てたり、からだのいずまいから、顔かたちまでがにゅうわになって、気品もできて、人に敬われ、とうとばれ、また人様にかしづかれて、なくてならん人とならしてしてもらうことができておる人も、このお道にはたくさんありますし、またあまりこのお道に本腰を入れてやっていない人は、そのわりに御利益もいただいておられないし、あまり身なりもきれいにはならないし、いつもかつも運べない。運べないから話しも聞かれない、いつまでたっても貧乏からぬけでることができないで、苦しんでいる人の中にはたくさんあるそうな。
また十年も十五年もたっていても、身上事情にせめられて、やむなく運んできて、ごあいさつに出られますが、「親様月日様」と御礼を申し上げうるすもわからず、「親様月日様」と申し上げて、自分がもってきた話しも満足にできないで、親様を困らせる人も中にはたま〜あるように思いますが
『あんたさんはこの道に、入信してから何年になりますか』と言っても答えも出さないし、また、『本部へ何べんだ』と聞いても、それもたまっているし、何を聞いても答えるので、『お前はきょうは何しにきたんだ』というと也だまっているから、『だまっている人には用事はないから、わしの方から、ことをさがってしまうよ』というて、立ちかけると、やっとのことで「親様月日様、きょうまでは申しわけありませんでした。これからは真剣に運ばしてもらいますから、御利益をいただきとうございます」と願うから、立ちかけたのをまたすわって、
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「それだからさっきからいっているんだが、どこがぐあいが悪いのか」と言えば、「長い間胃潰瘍で苦しんでますから御利益をいただきとうございます」と申しましたから、『胃潰瘍というものは、天から見られて、何か心の中に発散するものがあるんだが、何も言わずにしまっておくのか』と聞いて、ぽつ〜話し出して、それからこちらがお助けをして、天にお願いをして御利益をいただいて帰宅して、また後日御礼にきている人もある中でございますが、
天の御言葉の中に、『親様をこわがるのないで、たのしむのやで』と仰せでありますが、親様というお方を知らない人は、こわがってぶるぶるふるえている人も、中にはたくさんあるように思いますがい、このお道を真剣にやっておる人は、ひとつもこわかったことはありませんよ。こわがるのは、日々心がよからん心を使っているために、親様の前へ出て、きょうは
どんなことを言われるかと思い、案じと心配で、ふるえておられるのだと思いますから、これからは、道を正して向きをかえて、親様月日様といいて、本部に行うのが楽しみになってくるような道をお通りください、ということや。『どこでも天の御供する人は、勝利えるぞや得心をせよ』という御言葉や。わかったでしょう。
一六日
月読(つきよみ) おたがいは ひとをねたんで いるよりも 五一九
一日之命様 あしもとどころ ようじんをせよ 先負 ☆ 三八四 七六二
ということは、どういうことであるならば、『足もとどころ』ということは、一家の家庭のこと。または親戚縁者のこと。世の中でよくいう、「人のふりみてわがふりなおせ」といっているでしょう。よいところを見てわがふり直すはよいけれど、「あの人はあのくらい悪いことをしているが、おれはこのくらいのことはいいだろう」自分で自分がきめて、ばかりにかけるこ
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とはよくないことと思う。人のふり見てわがふり直せ、ということは、よいところとしている人よりは、なお一層よいところを見習って、より以上に心の中がりっぽになることを、天は御待ちかねでございますよ。
暮らしむきやらいろ〜とぜいたくをしている人のことを見て、ねたんでいると、家のすることなすことが不足になって、親戚縁者の人々のことをねたんでいると、心の成人がおくれますから、『心の成人待ちかねる、親の思いはこればかり』と仰せがされてありますとおり、日々刻一刻に油断なくお暮らしください、ということや。
人間というものは、いつの時でも横目をふって現場ばかり見て暮らしていると、足もとがうるすになって苦しめねばならんことになりますから、各自が心して お暮らしください。なぜならば、借金をしてぜいたくをしているのか、よその家庭を見ただけで、
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とも悪いことをしてぜいたくをしているのかわかったものではありません。お互いは人のことはどうでもよいから、何から何まであたりまえの日暮らしをしながら、内容充実で暮らしていくことが、一番大切と思う。
とにかく世の中の人というものは、なにも知らずにむちゃくちゃな日暮らしをしている人の方が多いように思いますねい。このお道の人々はみな天が、一名一人見守っていてくださる、ということを聞いていただいて知っているから、安心の世渡りをさせてもらえるのでしょう。しゃばの人もひとりひとりと天が見守っていてくださる、この地球上が機械じかけになっていて、人間が動かしていたいておる、ということも知らずに暮らしているから、貧のどん底に落ちこむと、一家心中をしたり、またなげいったり、くどいたり浮かり上がることを知らずに暮らしている。『子供の心が気になる』と仰せくだされて、このたび天より地上に天降りくだされて、『子供かたずけと
【46ページ(画像1129)】
しらえをす」と仰せになっておられるのでございますよ。それだから、このお道の者は、安心の世渡りをさせてもらっているでしょう。
それだから、人をねたむどころの話ではない、足もとどころ用心しながら暮らしてもらいましょうねい。人をねたむということは、人が結構に暮らしているのも誠であって、ねたむということは、人が結構に暮らしているのを、「貧乏になればいいなあ」というて暮らしているも同じことになると
神様の御言葉の中に、『人のうれいを喜ぶは悪人ヤ』と仰せくだされてありますからねい。人のことはどうでもよいから、共に本部に運ばしていて、腹の中のごた〜を思いがえして帰宅をして暮らすすにあると思う。よくわかったでしょう。
47ページ(画像1130)】
一七日
霊説(れいせつ) みちのこと すべてなげだし いたのでは 六二一
一日之命様 りからしりぞく ことになりては 仏滅 ☆ 四九五 八七三
ならんから、天がこうした御言葉をくだされてあるのでございますよ。とにかく人間を助けたいのが天であって、百年前からこのお道を御始めくだされて、かずく〜の御言葉を聞かせていただいておりながら、道に協力もせずに、御利益だけをもらいたいといううところで、理から御利益のありそうなことありませんでねい。
そこで、『理からしりぞく』ということは、天から利益がいただけなくなってくるということや。御利益がいただきたかったら、おつくしに運ばしてもらって、心の改良をして、においができる人にはにおいもし、お助けのできる人はお助けもし、これから先もどこのどこまでも、親様月日様、八方様の御供をしながら、天の御心をよく悟って、親様と共に心を合わせて、わが
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身も助かり、家庭も助かり、親戚縁者やいろ〜な人も、手広く導いて、それからそれへと道つけて暮らすゆのが道の者のつとと思う。
天の御言葉の中にも、『つとめさえかわらぬようになりたなら、どんな時でも天は利益をおこたるようなことはない』と仰せでございますよ。そこで お互いは、『心の成人まちかねる、親の思いはこればかり』とありますが、また、『千万無量ともりあるなり』とも仰せでございます。
そこで人間が、天と離れるような心を使えば、天も利益をおやめになるとになるから、皆さんはとうてい浮かび上がることはできませんでねい。そうですから本文にあるようなことで一列にこのお道に本腰入れて、しっかりとやらしていただきましょうねい。よくわかったでしょう。
一日 皇根(こうね) あまいこと ひとにいわれて このみちを 七三二
之命様 たるむおひとの わけがわからん 大安 ☆ 五一六 九八四
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まったくのことと思います。なぜならば、「心道楽だなどと言って選んでる、とにくにひどい目にあうから、信仰なんかやめて暮らした方がよいと思います。暇をかいて、旅費をつかって、おさい銭をあげて、そんなことしていたってろくなことにはならんよ、あんたは私の言うことはわかったかね。わからないでいぜんとして運ぶようななら、親戚の縁を切るとか、友達であれば友達のよししみはやめるとか、そんなところへ運ぶ金があったら、物見遊覧へでも行った方がましだとか、うまいものでも食べた方がよいとか、着物の一枚も買って着た方がましだよ」とかいって反対をするものが、あっちからもこっちからも出てきて、理というものを知らん人が、せっかくの道をとめてしまうことになる。
こうしたことには、とかく人間は、甘い口車にのりやすいのが人間であって、御釈迦様の経文の中にも、いろ〜なめずでずが出てきて、結構な助か
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る道へ出ようとするものをとめる人のことを、御釈迦様は「めずこず」とおっしゃっておられるのですよ。御釈迦様が修業に加わられた時、いろ〜な御殿女中や、屋敷のさむらいが、御釈迦様をお城へつれて行こうと思って、いろ〜な美人を迎えによこされたが、だんことして家へ帰らずに、修業をづけられてこられたのが、三千年のきょうの日でも、天地間に御釈迦様ということを、知らん人がいないように思いますねい。
しゃばの甘い言葉にのってしまうと、この世はおろか、来世も来々世も助からんことになりますから、こうした口車にはのらんようにした方が得だとからんことに成りますから、この道を聞いておりながら、このお道をたるんで道をやめる人も中にはたくさんあると思いますが、皆さんはいかがでございますか。
この道をひるんだりたるんだりしていると、天からの利益は絶対になりませんでねい。御利益がいただきたかったら、何んにも理のわからん人の口
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車にのるよりは、しっかりと聞いてもらった方がよいと思う。「そんなお道ではないですよ。あんたもいっぺん遅んで聞かせてもらって助かった方が得ですない」とあべこべににおいをかけて導いてやっていただきたいと思います。わからん間はそれまでや。このお道の教えは、『わかりきった話しばかりや』と仰せくだされてありますでねい。よくわかったでしょう。
一九日
大食天(おおじきてん) このようの おんをはたすか あずけるか 八四三
一日之命様 さしひきかんじょう 天がしている 赤口 ☆ 六二七 一九五
と仰せくだされてある以上は、人間が、「これだけつくしたとか、これだけ運んだとか、これだけにおいがけをしたとか、これだけお助けをしたとかいつもおれは、これだけ心の改良をした」とかといって、あだかも、親様月日様のせいで改良しているようなことをいうて、恩にきせて運んでいる人も中にはあるように思いますが、
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二〇日
大戸辺(おおとべ) おたがいは そんとくなしの みちなければ 九五四
一日之命様 こころしてよめ せじょうのことを 先勝 ☆ 七三五 二一六
『お互いは損得なしの道なれば』と仰せくだされてありますとおり、まったくのことと思います。お互いに、損得を考えていたのでは、とうてい助けていただくことはできませんよ。皆さんが会社なり、商売なり、百姓なり、何かしらんが、金もうけをしておられるでしょう。その金もうけをしておられるからもうからんとか、生活費が足りないとか、税金なんぞ払えないと言っていつも足りないたりないでなげいていたのでは、天にやいばを向けているようなことになるのでございますよ。これが理というものです。天の御言葉の中に、『この世の中というものは、ソロバンふせての道』なれば、勘定づくで働いて、勘定づくで支払いしていたのでは、ソロバンふせての道にはならんでしょう。
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『ソロバンふせての道』ということは、「最後には天がよいようにしてくださるわ」という心を持って、本部でつくしもし、心の改良もし、道に協力して、においがけもし、お助けもし、天の御神意にかかなう道を通ってやりさえすれば、つとめなら位もあがり、月給もあがり、家々の中が豊かになってくるのですよ。こういうところがソロバンふせての道、ということや。それだから、損得なしの道をやらしてもらって、暮らしてゆきさいすれば、の御神意にかなうから、結構な日暮らしができることになるのでございますよ。
それから、『心して読め世上のことを』ということは、このお道を真剣にやっている人と、いいかげんにやっている人と、しゃばにおって、信仰もなにもない無神論で暮らしている人とどう違っておりますか。御言葉をしっかり味わって、そして実行
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しながら、しゃばの様子を見てごらんなさい。よほど聞きがあると思う。
それだからこの道の者は、日々心して暮らすにありと思う。
聞いている人でも、聞いていない人でも、しゃばなみの心を使って、腹を立ったり、不足をしたり、なげいたり、くどいたりして、しゃばの人と同じような病気を煩ったり、事情が起こったりして、困ることばかりが次から次へと出てくるのですよ。それだから、御言葉の中に、『世界ながめて思案せよ』『天から天降りくだされた御言葉をよく味わって暮らすにあり、と 思う。この意味あいもよくわかったでしょう。
二一日
国床立(ことこたち)の命様 どんどんと というてうちだす てんののりに 一六五
一日之命様 いかなてこたえ みえてあったか 友引 ☆ 八四九 三二七
この親様は、この道を今年で四十五年の道中、いろ〜な山坂や、いばらの道もがけ道も、
け火の中も、だんく〜通りぬけて細道も通り
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今では天地間の人のお助けをしてくださる天がおひかえゆえ、天地間の人を助ける用意ができておるのでございますよ。
だんく〜とお話しを聞かしていただけっておる人は、どんどんと助かっておられるでしょう。どんく〜といいてうちだす天の御言葉、いつの時でもお助けをいただいておられるでしょう。こうしたことををどんく〜とといいてうちだす天の理に、いかな手ごたえ見えてあったか、ということや。これから先もおぜいついれだって運ばしていただいて、助かって結構な利益を見せていただいて暮らすにありと思う。よくわかったでしょう。
二二日
面足(おもだる) おたがいは どんなくろうも いとわずに 二七六
一日之命様 ついてくるなら すえはたのしみ 先負 ☆ 九五一 四三八
このとおりでございます。十五年二十年もこのお道をやっている人もありますが、十五年二十年と信仰にはたずさわっていても、つくしもしなければ
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運もしない、心の改良もしない、においがけもしない、お助けもしない同じ病気が再発して、年がら年中いきつくひまもなく、医者がよいに熱心なお人もありますが、こうしたやり方では利益はありませんよ。会社の前の通って、おれには月給をくれない、というのと同じことになりますねい。
このお道を真剣にやってい人は、あとから出てきても、教会長や、支部長、分講長や、責任役員や、委員、教師になっておられますが、たまたま話を聞かしていただいておりますが、教会長より古い信徒が、いまだに病や事情にとざされて、助かる道をあゆまん人も中にはたくさんあるように思います。こうした人の行ないを聞かしていただくと、朝十一時ごろまで雨戸をあけずに寝ておって、十一時ごろからぽつ〜起きて戸をあけて、ごはのしたくをして、朝ごはんをいただく。よそのお昼がその人の朝で、一食
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もうかったような顔をして、お道をひとつもやらずに、どっかとすわって、ごはんをいただいて、それから掃除をしたり、洗濯をしたりして、それから夕食のしたくをして、ごはんをいただいて、あまり電気をともすと、たくさん金を払わなければならないといって、七時か八時に寝てしまう。
こうしたやり方を長年続けているうちに、栄養不良になり、「わしぐらい世の中に因果なものはない」と世をうらみ、人をうらみ、わが身をうらみ、とうく〜肺病になって、お上のごやっかいになって、ただで病院へ入院してもらって、足かけ十五年も病院にはいって おいて、外泊を許されて、今どろま〜〜運んできておられるようでございますが、人間と生まれて生きがいのない日暮らしをしていたのでは、とうてい助かることはできませんねいこうした人でも、今から道を正して向きをかえて、においがけやら、お助けやら、心の改良やら、つくしや運びや真剣にやらしていただけば、まだおそ
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くはないから、めざめた方がよいと思う。
なぜにおくはないというならば、今世も来世も来々世も、万ごう末代、先が長いのだから、今のうちにおめざめて、働いてもらう心、すなわちお道としゃばと両輪でやらしていただくことが肝心と思う。お互いにどんな苦労もいとわずにいきてきて、働いてもらって おるいさいすれば、年をとってから気楽安楽の暮らしができる、という意味の御言葉や。よくわかったでしょう。
二三日
国狭土(くにさづち) それぞれの つとめのみちは かずあれど 三八七
一日之命様 つづまるところ こころひとつや 仏滅 ☆ 一六二 五四九
このとおりと思いますが、ただ一心というものが、いろ〜なことにならわれて、心が散乱しておったのでは、結構な日暮らしはできませ
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なぜならば、良いことをして表彰されるも心、悪いことをして取りおさえられて、監獄のうきめに会うのも心。そしてまた、きれいな心になって出てきて、自分で自分の心がとがめて、しゃばの人が自分をけいべつする、といって、また悪いことをしてふたたびひっぱられて、前科何犯ということになるのもの心。しゃばの人も、そういう罪をつくった人の顔を見て、批判をするのに、批判をされたと思われるのも心。きまじめに働かしてもらって金持ち長者になるのも心。二号とか三号とかを持って、金をむやみやたらと使って、しまいには困りぬいて一家心中をはかる人もあるそうな。これというのもみな心。その場その場のでき心、悪いことをするものあれば、勉強がすきだといって勉強するものも心。勉強はきらいだといって勉強しないのも心。
心、心と言いかけたらきりのないことになりますが、このお道の教えも、人間の心というものの色あいとしたら、八色あるそうな。その八色の色あい
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を善導に導いて暮らしていただけばよいものを、この八つの心使いを乱用すれば、それこそ一代破滅で終わらにゃならんことになる。この心のことを天では、『はちあい』と仰せくだされてありますが、お互いは、はちあいのほこりを積む方ではなく、よい方のはちあいの心でお暮らしください、ということや。
二四日
月読(つきよみ) なにことも こころにふかく うちこんで 四九八
一日之命様 あじあうことが いちのたからや 大安 ☆ 六五一 二七三
お互いに、不足や、なげきや、腹立ちを、の中に取りこんで病気をこしらえて、苦しんでいる人の心のわけのわからんことなれど、お互いに、何を深く打ちこんで暮らしたなら、結構になるのでございましょう。つまらないことは腹の中へ深く取りこみやすいが、そういうものを取りこんで用いていると、ろくなことはありませんでねい。
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とにかく、この道を聞いておられる人は、親様月日様の大恩を深く心に打ちこんで日々暮らすにありと思う。そうして暮らしてゆきさえすれば、けがやおまちもないし、病もないし、どんなときでも無難で暮らしていただくことができるのでございますよ。
このお話しは、皆さんが病や事情をこしらえて、本部にお越しになっておられる人もありますが、みなつまらんことを深く心に打ちこんで病のもとをつくり、また事情をこしらえることはみな名人で、親様はいつも皆さんに心、心ということをお話ししておりますねい。それだから、『ひとつ何か不足心を取りこんだ時に、くるりと向きをかえて暮らしなさい』と申しておるでしょう。いろ〜なものをたくさん心のうちに深く打ちこんで、教えを深く打ちこんで、腹の中がごったがえしてにえくりかえるような思いをしていると、の中がもちもさげもならんようになりますからねい。
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天の御言葉の中に、『一筋心でついてこい、末はたのしきことになる』と仰せでございますから、いっさい腹の中の心というものを立てわけて、これからこうとうと心をきめて暮らしていただくにありと思う。これからこうとうと心の基礎をこしらえて、天恩一条を深く心に打ちこんで、天恩を用いて暮らす心なら、いつでも心がすんでできますから、天の御言葉の中に、『すずしかるし胸のうち、成人次第に見えてくるぞや』とありますが、何が見えてくるのか。理というものがはっきりなわかってきて、人様の前にすわった時は、相手の人がどういう心で前にすわっているのか、よくわかることになりますよ。
なぜならば、心があれこれと波をうっている間は、相手の心なんぞわかるようなことにはなりませんが、腹の中が天恩一条で静かな日常の暮らしなら
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すべてのことを、天から御入れ知恵があって、よくわかるようになって、世の中に暮らしてもらうことが楽しくなって、ありがた涙にむせびつつ暮らしていただくことができるようになってきますよ、ということや。
ですから、善と悪とをよく見わけ、悪いことは取り込まんよう、よいことばかり取り込んで、日々にくよくわって暮らしていけば、結構づくめになるのだから、これを生涯続けていけば、今世も来世も来々世も、この結構な宝を持ち続けることができる、ということや。そして万ごう末天下の御供をさしていただけるし、また、天が我らを末代御連れ通りくださる、ということや。
なんぼう、「御連れ通りいただきたい」というたところで、悪い心ばかり使っていると、理からおくれてしまうし、よい心の持ち主は、どん〜御連れ通りいただいて、出世をしていく、ということや。同じ地上におって、御
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連れ通りをいただけ人と、横道にそれて、わがまま気ままでも暮らしていると、御連れ通りをいただくことができないことになりますから、いずれの人も、しっかりと借り物、貸し物をよく心して暮らしていただきましょうねい、ということや。わかったでしょう。
二五日
雲読(くもよみ) ひととはみな こころきちがい みはまこと 五一九
一日之命様 おのがこころの うわさしている 赤口 ☆ 七六二 三八四
『人はみな心きちがい』ということは、よくありうることと思います。また、『身はまこと』とは、この体というものは、罪もほこりもありません。天からの借り物の体。それゆえに、『身はまこと』と仰せくだされてあるのでございますよ。
『おのが心のうわさしている』ということは、どういうことであるならば親様が、ある所におかしてもらっておった時、ある人が親様のところへきて
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「あなたは、あの人とひっついている」とか、いろ〜なことを言われるので、親様はその時、世の中の裏面もわからしてもらいたいと思って、あの人の所へ行って、『あの女の人が、親様のことを、あんたとひっついているといわれているが、親様に言うた女の人はいどういう人なの、聞かしてくだい』と申しましたところ、「木瀬さんのことをそんなこと言うてかね。そのじつ、この間ぼくのところへきて、私はあるじがそっけないから話し相手になってくれないかと言うて、だらけいた形で、ぼくのところへ寄ってきたが、自分のことをかくすつもりで、木瀬さんに罪をなすりつけるようなことを言うたんなかなあ」とその男の人があきれておったことがありましたが、
そこで心のかりてを読ましいていただいたところ、『みなし人は心きちがい身はまこと、おのが心のうわさしている』と仰せくだされてある御言葉の理をは
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っきりとう、わからしていただきましたので、それ以来、いろ〜な人にいろいろなことを言われてまいりましたが、世の中には、裏表のない人もあるかもわかりませんが、色あいは違っていても、人間というものは、裏表のあるということは事実でございますねい。
なぜならば、「あの人はこのごろ壮健ですか」と人に問われた場合、この人に心配をかけてはいけない、と思う時は、「お陰様であの人は壮健でございますよ」と相手を思いやってうそを言う時もありますねい。何かがわかって二の句のつげないような答弁のできぬようなうそうはいけませんが、あとでわかっても、みんなで語り合って、オホホ、アハハのうさは、ばれてもどうということはありませんが、犯罪をおかして、にっちもさっちもいかなくなって、一はうったえても、二で答弁がいきつまって、どうにもならなくなって本部でくってくる人の中には多少はあるように思いますが
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天の御言葉の中に、『うそいえば、しぜんわが身に理がせまり、じつの言葉がじつとわからん』と仰せくだされてありますが、世の中をいつわって、うそを言うて暮らしていても、もとく〜うそだから、まことらしく言うてっても、実がじっしょうしたなくなるから、ひとりでいに、くらやみの道をゆまにゃならぬことになりますから、うそのことは語らないでお暮らしください。
うそを言う人は、その場その場でつくりごとをいっているから、次に出会った時、またいいかげんのことを話すから、三度会えば三度ともみな違ってくる。ここのところが、人を見わけてつきあえばよいのであって、三度会えば三度とも話しの中の違うような人とは、交際をしない方がよいと思う。交際しておっても、いつかどこかで、にくみの因縁を積まにゃならんようなことになってはいけませんからね。心してお暮らしください、ということや。わか
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ってでしょう。
二六日
皇根(こうね) かんしゃしてくらしいるはよいけれど 六二一
一日之命様 たまたままじがね いかんことやで 先勝 ☆ 八七三 四九五
日々に感謝の日暮らしなされませ。『ときぐーじがね』ということは、人間の持ち前前性分を使っていると、ろくなことがでできませんでねい。あなたの講習の時に四十八文字の裏表のことを、お話しをさせていただいておるでしょう。
そこでにろはいの字と、三番目の国狭土之命様の受け持ちのつの字と、国床立之命様の受け持ちのこの字と、よせるといくつになりますか、五になるでしょう。だがいの字は利己主義の利己主義でかみしも、ということ。それからつの字も、わがかわいいのわがかわいいで、これもかみしものと。そしてこの字は利己主義で五番ですから、うらみやすき心の持ち前の人
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一と三と五で九でしょう。九から八切れれば一残るでしょう。一残ればかみしもの持ち前前性分は利己主義の根強い人だから、自分かっての言い条を通すことをやめて、それから、三番目のわが身かわいしの心を投げ出して、人を愛する心を持って、それから、国床立之命様の受け持ちの五番のこの字は、うらみの心の根強い人になれば、何が事言おうとも日々心して暮らしてこそ、一代末代助かる人ですよ。
それからまた、いつの時でも八方様の受け持ちの、のの字は面足之命様。ふににごりをうてばぶになるでしょう。その二と八とよせたら十になる。そこへこがつけば一がくわわる。八切って三残る、わが身の思案ばかりで日を送っていると、これがじがね。わが身投げうって人を助ける心なら、天の御供をさしていただきつつ、天から御連れ通りをいただいている人になるからじがねというものはないことになりますでねい。こうしたことを研究して、
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つづり合わせて、自分の名前と守護神とをよせて感謝して、日暮らしするにありと思う。
のの字と、ふの字なら、面足様と大戸辺様と国床立之命様と、この三神様になれば、気短をやめて、てきとうに見分けて、気長になって、それからふの字の大戸辺之命様の御神意にかなういのは、朝起きさしていただいて、用事を始める時、心のうちで人様ありがたいとみえる時は、自分の心が人様より低いが、あの人はちっとも役だたない、いやらしい人と見える時は、自分の心が高慢の心使いをしている時。この高慢が大けがの元、となるということになりますから、思いがえをして、いつも人を敬いとうとぶ心にならしてもらえば、八柱様の御神意にかなうから、何事もなく暮らしてもらうのですから、面足様も八柱様も御守りくださるから、何事もなしに暮らしてもらえるのですよ。
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この字は国床立之命様の受け持ちなれど、五番目にあたりますから、人をうらみやすき持ち前なれど、人をうらむより、人のことを天に願うて無難で暮らしていただけく心の持ち主になって、日々暮らしてもらうにありと思うすれば、利己主義のうらみ心は、しりぞいてしまいますから、国床立之命様の御神意にかなうことになりますよ。自分の名前をお互いは結論を出して、自分で因縁の自覚をして、感謝して心のじがねを廃止してお暮しくださいという意味の御言葉ですよ。よくわかったでしょう。
二七日
大食天(おおじきてん) おたがいは むだをはずいて くらすなら 七三二 ☆ 五一六 一六
一日之命様 すえはちょうじゃになるはとうぜん友引 九八四
人間というものは、一日のうちにどれだけむだなことをしているか気づかずに、むだごばかりしておりますねい。それだから、一年通じたら、むだを考えたら、ずいぶん不経済なことをして生活が困難になるように、困難に
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なるようにと拍車をかけて暮らしているようなことでございますねい。日々経済を重んじて暮らした方がよいと言えば、むだはやめないで必要なことがむだだと思って、つき合いをへらしてみたり、使わなければならんことをへらしてみたり、何とこそょうまでしてきたのやら、わけのわかんことばかりしているように思いますが、皆さんはいかがでございますか。
親様が通る道中道すがらに、こういうことを聞いたことがありましたが、ある所に親ひとり子ひとりの家庭がありまして、おとうさんは一生懸命で働いておられたが、たま〜せがれが金を持ち出して、芸術をあげてどんちゃんさわぎをしている姿を見て、家もどって、せがれの帰ってくるのを待ちうけて、おとうさんがせがれに向かって、「お前のように、ああやってひだ使いばかりしているのなら、おれもこれからはよ所へ行って、金を使ってくるぞ」とむすとに言うたそうな。
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そうするとむすこが、「おとうさん、おとうさん、わしはねい、一つもむだ使いはしていないよ、芸術のぎょくだいがい何んぼで、さしみが何んぼで、さかなが何んぼで、すの物が何んぼで」と言いて、ことこ細かく話しをしてくれたそうでございます。そうするとおとうさんが、「おお、そうか、そうか、そうして勘定してみれば、一つもむだはないなぁ」と言ータそうな。
こうした話を聞かしていただいた時に、おとうさんが、「おれも行って金を使ってくるぞ」と言うたけれど、「せがれは何もしないから」と言って、金を使うことをおとうさんはやめたそうな。おとうさんは金を使わないうちだから、それでむだではなかったが、せがれの方人は横道の方へそれて、始めからしまいまで、むだなことをしているのでしよう。
人間というものは、知らず知らずのうちに、むだばかりやって暮らしている人もありすようには思いますが、むだばかりしていると、
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しまいには赤字になって、正氏の体の置きどころのないようなことになって、上のやっかいにならねばならないようなことになりますから、むだをはぶいて内容充実で平凡な暮らしが幸福の元と思う。
経済を重んじて、経済の中から承知のうえで、許すはんいの内の物見遊覧ぐらいはよいと思いますが、飲みにいったのがやみつきで、とことまですやってしまうと、一家が皆路頭に迷わねばならんようになりますからね。世上の人のたとえ言葉のとおり、「一匹狂えば千匹狂う」と世のことわざも決してそうではありませんから、日々心してお暮しください、ということや。年をとってからのことがむだをはぶいて暮せば気楽安楽、ということや。本文にあるとおり、末は長者になるは当然、ということや。わかったでしょう。
二八日
大戸辺(おおとべ) にちにじに じかねをだしていたのでは 八四三 ☆ 六二七 一九五
一日之命様 てんのうけとり ないとこそしれ 先負
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人間という者は、じがねを出して暮らしていると、天からの利益は絶対になりませんでねい。何がじがねなら、持ち前前性を使い出して、自分のつとうのよいことばかり考えていると、本部へも運べない、心の改良もできないし、つくし運びもできないし、においがけもお助けもできないし、しゅはんらんかんことになりますねい。
人間の心のじがね、というものは、いたるところに心を使い出して、悪い時ばかり本部に運んで暮らしていると、一年のうちに二度ぐらいで、悪い時ばかり運んでいると、持ち前前の話しでもちきられるから、外に陽気になるような話を聞かしていただくところまでは話ができないので、お助けの仕方がよいとか、悪いとかといって、不足不足で帰宅をしている人もあるにはたくさんありますが、まったく困ったことだと本部では思っておりますが、
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いうことや。悪い時ばかりこないで、何事もない時に足繁く運んで、しっかりと助かっていただきたいと思いますがい、皆さんもこの御言葉をよく味わってください、ということや。よくわかったでしょう。
二九日
岐様(きさま) おたがいは かってまちがい たなにあげ 九五四 ☆ 七三八 二一一
一日之命様 ひとのすること どうやこうやと 仏減
強い者勝ちけんかばっかりで日を暮らしている人も、世の中にはたくさんあるように思いますが、皆さんはいかがでございますか。あれやこれやとけんかをふっかけたり、けんかをふっかけられて、けんかの相手になって、もちもさげもならんような日を送っている人も、世の中にはたくさんあるようでございますねい。
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らしていただきましょうねい。けんかするほど損なことはありませんねい世の中にはけんかをするのに命のやりとりをしたり、金をたくさん使ったりしまいには国をとられたり、あとのもんちゃくがなかん〜治まらんで困っている人も中にはたくさんあるように思いますが、
すべて一家の家庭の人もやり方がよいとか、悪いとか言うて、もめあったり、すれあったり、いつになってもこうしたけんかはやめられないものでしょうかねい。まあお互いはひとりひとり心して暮らしていただきましょう。わかったでしょう。
三〇日
美様(みさま) てんからは どんなときでも ひながたを 一六五 ☆ 八四九 三三七
一日之命様 みせてたすけて ようきづとめに 大安
してやろうと御心くだきのありがたいと、いうこともわからずに暮らしているのが人間でございますねい。神様の御言葉の中に、『にげつつかくれつお
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われつ通りてきたる道を忘れるな』と仰せでありますから、これからは絶対に、けんか口論なきように、命のとりやりやいっさいのたたかいとはやめた方がよいと思う。
この世上のひとりひとりがけんかをやめて暮らすなら、気楽安楽の生涯が送れるのでございますよ。にげつとかくれつおわれてつつ通りてきたる道を忘れるな、ということは、爆弾で逃げ、そかいをしてかくれ、追われ追われて丸裸になってもうで、やけくそ起して、うけては使いもうけては使いして、今だにうだつの上がらん人も世の中にはたくさんあるような。お互いにやけくそをやめて、まじめに暮らすことが幸福の元になるのだから、日々心して暮らしていただきましょうねい、ということや。
それだから、この人ならばという人はどんく〜導いて助けてやっていただいたいたいと思います。天からは、『人間にとひながた見せてあきらかにさとして
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われつ通りてきたる道を忘れるな』と仰せでありますから、これからは絶対に、けんか口論なきように、命のとりやりやいっさいのたたかいとはやめた方がよいと思う。
この世上のひとりひとりがけんかをやめて暮らすなら、気楽安楽の生涯が送れるのでございますよ。にげつとかくれつおわれてつつ通りてきたる道を忘れるな、ということは、爆弾で逃げ、そかいをしてかくれ、追われ追われて丸裸になってもうで、やけくそ起して、うけては使いもうけては使いして、今だにうだつの上がらん人も世の中にはたくさんあるような。お互いにやけくそをやめて、まじめに暮らすことが幸福の元になるのだから、日々心して暮らしていただきましょうねい、ということや。
それだから、この人ならばという人はどんく〜導いて助けてやっていただいたいたいと思います。天からは、『人間にとひながた見せてあきらかにさとして
80ページ(画像1163)】
ある』と仰せの御言葉をよくささとっていただきたいとうございます。
『ひながた見せて』とは、お互様にやき払われて、丸裸になったことが、ひながたですから、二度とふたたび相手を求めて、けんかするようなことはよくないことと思いますから、各自の家庭が皆けんかをしなくなれば、日本はおろか、世界どこのどこまでづうとづうと治まることになって、極楽世界を見さしていただくことができるようになれば、お互も気楽安楽になることと思いますから、一日も早くおだやかな世界になるよう、念願しているような次第でございます、という意味の御言葉や。よくわかったでしょう。
おわり
308.jpg(告知書)】
第五次 告示
このたび、左記のとおり門衛所・地下道及び参道の建設をすることになりましたから、自 昭和四十二年四月一日
至 同 年四月十六日
昭和四十二年四月一日
世界心道教 会 田 ヒ デ
代表役員
信者その他利害関係人各位
記
一、名称 第四期工事(内訳)……門衛所・地下道及び参道
二、型式 鉄筋コンクリート建
三、坪数 門衛所:一六二平米(約四九坪)
地下道:一八五平米(約五六坪)
参道:敷石、門柱等
四、予算 壱千六百万円
五、着工 昭和四十二年三月二十日
六、完成予定 同 年九月末日
七、施工者 竹中工務店
【309.jpg(1ページ)】
◎ 昭和四十二年三月四日午前十時御書き取り
五月の心得につき御言辞御願い
一日
国狭土之命様 このつきは さみだれづきで あるほどに 二七六
一日之命様 あじおてくらせ このかぐらをば 赤口 ☆ 九五一 四三八
『あじおてくらせこのかぐらをば』ということは、どういうことであるならば、『きみだれづき』ということは、五月すなわち、雲読之命様の月なれば、嘆きやくだぎや、またうらみ、お互いにしてうんばっとうの苦しみで、泣きの日暮らしは天も見かねてざるゆえ、『嘆きくだぎや、またうらみ、やめて暮らせよ』という天の御警告なれば、いっさい味おうて暮らしましょう。
『このかぐら』とは、天地間の人々が動いている。すなわち、働いている
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ことを、かぐらという。お筆先の中にも、『かぐら両人つとめはな、これがたしかこのよはじまり』と仰せくだされてありますとおり、『かぐらは両人』とは、父母様のこと。
『たしかこのよはじまり』ということは、夫婦のこと。『夫婦始まり人間の種、たねに始めた親の理をつぐ親と知れ』とも仰せくだされてありますおり、夫婦が始まりで、この世がなりたっているのでしよう。
月日親様をはじめ、八方様、それに連なる人間、作物、草木、鳥畜類めす、おす、め花にお花、世の中のありさまは、いっさいこのとおりと思う天から聞かせていただいて、何から何までえとくして、感謝で暮らすこの子供、何事によらず人間の心のうちを受け取りて、日夜の守護のありがたさ、お互いこれからもは、なおいっそうにふんばりて、感謝の日暮らしいたしましょう、ということや。わかったでしょう。
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二日
月読 おちついて くしてゆけば なんはない 三八七
一日之命様 いつになりても たすけくださ 先勝 ☆ 一六二 五四九
落ち着いて、静かに暮らしているならば、何の病にもなりはせん。御言辞の中にも、『おちつけば、のみものくいのものふじゅうない』と仰せくだされてありますとおり、この御言辞のうらを返せば、起きる時間に起きないで、人が寝るころ起きて遊びに行く、ろくなことにはなりません。夜寝ずにそこら庭をうろつき歩き、朝になったら寝てしまう。そんなことでは一家の家庭は恵まれね。どこ〜までも皆様よ、いさい味わう心もて、お互様に、ういたりしずんだり、ということは、どういうことであるならば、何か喜びごとのある時は、ういたういたでうかれ出し、前後左右も考えずにむちゃくちゃに金を使ってしまう。そのあとが悲観をする、嘆くくどくけんかする
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病の元はここにある。こうした日々の日暮らしは、ういたり、しずんだり、ということや。こうしたことでは天から利益はいただけんでない。お互い様が心を軌道に乗せて暮らすならば、天も勇んで守護くださる、ということや。わかったでしょう。
三日
雲読 せかいじゅう 言葉ひとつで まとまるで 四九八
一日之命様 いつになりても こころしてよめ 友引 ☆ 二七三 六五一
天の御言辞の中に、『言葉一つが用木の力、言葉一つでどのような、自由用もいただける』と仰せくだされてありますおり、声のかけようで、先方に腹を立たすもあり、喜んでもらえるもあり。こちらの声のかけよう一つで自分が満足のできる言葉をかけてもらえるもあり。また御言辞の中に、『草木も虫もどこもかも、一つ言葉にまとまりがつく』とも仰せくだされてありますが、皆さんはどう思いになりますか。天地間にありとあらゆるものと
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いうものには、皆言葉というものがありますね。
この「会田ヒデ」が通る道いの中で、いろ〜と言われてきましたが、悟る力の「会田ヒデ」は、何んと言われても顔の色の変わらんところまで、悟る力を持つ研究をさしていただいてまいりましたが、まあかりに、人に「馬鹿野郎」と言われても、これからは、うまくしっかりやりしてもらおうなあ、と思って暮らしていただきました。ばかやろう、という字は、馬と鹿と原野をとって暮らしていただきました。ばかやろう、という字は、馬と鹿と原野って暮らしていただいてまいりました。
くるまと読めば下から読んでまるく、人間の体の機械でもそのとどく、体の中のにたんのうという機械がある、ということですねい。『たんのうのただ一口にいうものの胸のよろずはこれでおさまる』と仰せくだされてありますし。肺病という肺があるでしょう。はい〜と答えて暮らす、ぴょ
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うはかなめ。またのうず、頭はのう、あれのこれのと暮らす心、これすなわ
ち、十二視神経というて、八社様の御心ののうず、人をふみつけて暮らす心
これすなわち、天に違反するゆえ、人をふみつけずに暮らす心。
しゃばの人がよく言うことでございますが、人間がこの世を去るいまわの
きわに、土ふまずがはれあがってくる時は、「長いことない」と申しており
ましたが、この土ふまずと、のうずとは、天と地とのすなわち、月日様の
み心に違反していなければ、頭の病、土ふまずの病にはかからんことにな
っておりますから、皆さんも日々心してお暮しください、ということや。
何から何まで日々の心のモっていき方と、現場とは、皆見るもの、聞くも
の、話すもの、かなな教えでございますから、心の改良に心して暮らす方が
よいと思う。人間という者は、いばり高ぶり強がりて暮らしていると、わざ
わいの元と思う。
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人が、「金を貸してくれ」とこられた時に、その言葉にのって、いばって
高ぶって妙味を感じて、頭を下げてくる人に、貸してやると、相手が頭を下
げただけ金を持っていくと、「返してくれないで」といって、腹を立つ。こ
れがあっちへ行っても、こっちへきても腹ばかり立っていると、世渡りをす
るのに人は相手にしなくなるから、広い世界に暮らしておりながら、世の中
を渡るのにせまくなってしまいますから、日々をよほど心して お暮しくだ
さい、ということや。わかったでしょう。
四日
皇根 いつまでも てんおんいちじょう 心せよ 五一九
一日之命様 こまかくさとり かんしゃするよう 先負 ☆ 三八四 七六二
『神一条、人間一条わかりたら、世界一条早く悟れよ』と仰せくだされて
いますが、天恩という天は天にあり。天からの御恩は地にあり。なぜなら
ば、おさかりが天から下ってくる。雨も雪も、雷様も皆天恩や。雷様の稲妻
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も稲ほのためになるとやら、雨がなければ雨ごい、とやら、大雪の年は作物
の豊年とやら、日々にわいてくる心、これすなわち、自分が日々にわいてく
る心を天に供えてあるから、うつりし理をつうし返してくださる、これ皆理か
なり。
御言辞の中に、『わかす心の理を調べ、あざやかとなる心しあんせ』と仰
せくだされてありますとおり、あけてもくれても天の御恩をわきまえて暮ら
す心が悟りの境地なり。人間というものは、物が一つ悟れると、神様ぜんと
すましこんで、人間が人間を助けることができないのに、おれがお前を助け
てやる、というような、大それた心になりてはならんから、天の月日親神様
が、高慢の心を使っていると、『のぼりたら、くだりはむこうにみえるぞ
や、ろくじをされと、おりのぼりなし』と仰せくだされてありますが、
日本数字の六の字は、点うって、横棒をひくでしょう。これすなわち、天
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の心を一筋に、『はいく〜と暮らす心になりてこい』と仰せくだされてあり
ますが、ハの字は六の字にあるでしょう。イは心、そこで、『はいく〜と一
筋心で暮らすなら、天も勇んで守護する』と仰せくだされてありますとおり
何ごとによらずいさい悟りにありとわれは知る。
御言辞の中に、『一二三と組んでいく、役割りできる、とりきまりする』
と仰せくだされてありますが、日本数字の一は一、夫、二は夫婦になりた時
が二、三は夫婦になって子供が授かる、これが三、一二三と組めば六、こう
して お互いが所帯をもって、この道の教えを聞いて守って暮らしていけばしあ
わせや。しあわせが四の数字。天恩の広大無辺をよくさされ、ということが
五のけた。日々に運んで聞いていただいて、迷わず暮らすが六の字や。七
宝様は大食天様、八宝様は大戸辺之命様。
三宝四宝は、国狭土様と月読様、五宝六宝、雲読様と煌根様、何から何ま


にはとんちゃくなく、お助けやら、いろ〜な道も通らしていただきましたが、親からは十一回も、かんどうされ、夫婦別れや、親子別れが三回、最後には離別され、そして昭和十三年に天降りをいただき、昭和十七年には、八社様の天降りをいただき、昭和二十一年には、東京から豊川に引っ越し、二十四年には、諏訪官林へ引っ越しをして、現在の所に落ち着かしていただいておるようなわけでございますから、これから先の道の次第も、理に理がそうてだん〜と、おおにぎわいの心のふしんが始まってくると思う。という親様の入信からの四十四年ぶりでようやくきょうの日でございます、ということや。
ですから、皆さん方も、ひるまずたゆまず、理に理をいただいて、道の発展に努力をしてゆけば、親様月日様、八方様に認められて、今世も来世も来々世もということは、万ごう末代見落しなく、お連れ通りをいただいて